これは凄い。
讀まず嫌いというか、機会がなかったというか、北森鴻は本作が初讀だったのであります。猫は勘定にいれませんのtake_14さんのレビューを見てから興味を持って購入してみたのですが、これはなかなか。當にアレ系のフルコースといったかんじで、自分は思い切り堪能しましたよ。
冒頭のプロローグ、新聞の記事から既に大きな仕掛けが始まっています。山梨縣東部で直下型地震があり、倒壞した橋脚から人骨が発見されるのですが、まずこの人骨がこれから始まる物語のなかでどう絡んでくるのかというところが見所のひとつですね。
そして一転して「ねえキミ、雪が降っているよ」という若書きの文章から始まるモノローグ。卒業式が始まる前に書きつづったこの文章の記述者は誰なのか、そしてここで語られているキミとはこの語り手の「ぼく」はどのような關係にあるのか、ということを提示して、いよいよ物語は第一章「過去からの手紙」から始まるという趣向です。
作家、阿坂龍一郎の舊に届けられる謎めいたファックス。そこに綴られているのはこのモノローグの文章の續きとなるものなのですが、何故阿坂はこの手紙を恐れるのか、そしてこの手紙を綴った人物と、この手紙に綴られている、自殺として処理された男子生徒の死と阿坂の接點は何なのか、このあたりがまったく不明のまま物語は進んでいきます。
さらにはこの阿坂と同じマンションの階に住むストーカーめいた女性が絡んできて、世田谷の放火事件と阿坂との關連が浮かび上がってくるのですが、それでもこの過去からの手紙と現在の阿坂との關連は見えてきません。
物語の謎は宙づりのまま話が展開していく阿坂の場面とは對照的に、過去からの手紙においては書き手の「ぼく」が少しづつ殺人事件の核心へと近づいていきます。で、さながらその経過報告をするかのごとく、阿坂の舊に届けられるファックスは、さらに阿坂を追いつめていくのですが、その原因がまったく不明のままなんですよ。讀者は阿坂の氣持を推し量ることも出來ずに、そのまま手探りで進むしかありません。
ここでこの手紙を阿坂に送りつけてくる人物の謎めいた存在が提示されるとともに、阿坂のパートでは或る人物が殺害され、さらには世田谷の連続放火事件の關連性までもが浮かび上がってくる、……こんなかんじで、物語の中軸をなしている阿坂の場面では謎がどんどんと膨らんでいく一方で、過去の手紙のパートでは事件が核心へと近づいていくという對比が不思議な雰圍氣を釀しています。當然のことながらこの二つが繋がったときに大きなカタルシスが待っていると考えますよねえ。いや、實際そうなんですよ。
放火事件と狂ったストーカーの事件が呆氣なく終息しておやおやと思っていると、本作に仕掛けられていたアレ系のトリックが畳みかけるように明らかになっていきます。これが凄い。
とにかくもうアレ系のテクニックがテンコモリで、例えば複数のテキストを用いた時制の錯誤に始まり、語り手の人稱を用いたアレの錯誤、さらには手紙という形式に仕掛けられた語る側と語られる側との錯誤を用いたアレとか、……もうとにかくアレ系で思いつくものはすべて入れてみましたッ、てなかんじの贅澤さです。
take_14さんもレビューに書かれていますが、その中でも時制の錯誤に關しては樣々な手法が用いられていて、際だっています。過去からの手紙と、阿坂の現在の場面とのなかに挿入される探偵のパートがあるのですが、これが見事な騙しに奉仕されていて、プロローグのところで語られている新聞記事、このなかで巧妙に隱されていた或る情報も絡めて讀者をうまく誘導しています。これには感心しました。
こういう小技は勿論のこと、最後に阿坂が或る人物と対峙するところで明らかにされる阿坂とこの謎の人物の正体なども、思わずのけぞってしまいました。過去からの手紙の記述者である「ぼく」、そして語られている「キミ」、更には阿坂、そして手紙のなかの登場人物たちとの關係が、アレ系の仕掛けが開陳されるごとに二転三転していくさまはまさに恍惚。自分のような好き者に堪らない展開でありました。
そして事件の幕引きとともに、過去からの手紙の語りとモノローグがひとつになって、事件は阿坂の存在している現在のバートではなく、過去の場面で終わるという趣向もまた、何ともいえない餘韻を殘します。
take_14さんのレビューを讀んだ時に眞っ先に思い浮かべたのが、夢野久作の「瓶詰地獄」だったんですけど、解説で愛川晶も同じことをいっていました。これ讀んでちょっとニヤリとしてしまいましたよ。
この解説によると、本作は「一人の編集者の独断によって突然挫折。悪夢の出版中止に至ってしまった」そうなのですが、何となく分かるような氣もするんですよねえ。
ここまで複雜な仕掛けを凝らしたミステリはやはり、愛川晶もいっているように萬人向けではないですよ。ただ編集者は女性だったみたいなんですけど、彼女はこの物語のエピローグを讀んで何を感じたんでしょうか。
巧緻を極めたアレ系の仕掛けは勿論本作の主要な部分を占めている譯ですけど、同時に本作の場合、過去の場面のエピローグから始まり、現実の事件が過去によって呼び覺まされる、そして事件の終息のあと、最後にはこのプロローグとモノローグが融合し、過去のパートによって來たるべき絶望的な未來を封じ込めているという、この構成が光っているのです。これがなくて、事件の真相が明らかにされた現在の場面で物語が終わっていたら、本作の印象は大きく異なっていたと思うんですよねえ。
で、女性だったらこのエピローグが孕んでいる青春小説的な要素に胸を突かれない筈がないと思うんですけど如何。まあ、ミステリのレビューに女性だからとか男性だからとかいったら、氷川センセに怒られますか。
とにかく編集者って難儀な仕事だなあ、と改めて思いました。で、自分みたいな一讀者は、こういう編集者の方々にどうやって自分のたちの言葉を傳えれば良いんでしょうかねえ。本作の場合は幸いにして世に出ることが叶った譯ですが、一編集者の裁量によって潰されてしまった傑作がまだまだあるんじゃないか、そして自分はそういう傑作を讀み逃してしまっているんじゃないかと思うと夜も眠れませんよ、いや、大袈裟じゃなくて。
もっとも本作のような作品は大手の講談社じゃ簡單にリリースするのも難しいんじゃないかなという氣はします。だってねえ、谺健二の「殉霊」や「赫い月照」も文庫化出來ないようなところですから。
……と最後は愚癡めいた獨り言になってしまいましたが、とにかく本作はアレ系の傑作認定です。これ讀むと折原一がちょっと可愛く思えてくるからその毒は強烈。「闇色のソプラノ」と「メインディッシュ」を見つけたら是非とも讀んでみたいと思います。