本作「眩暈を愛して夢を見よ」に關しては、先のエントリで既にレビューしてあるのですが、オマケとして、作中で言及されている音樂作品について少しばかり書いておこうかと思います。まあ、ミステリとは全然關係ない話なので、本作に興味がないひと或いはプログレなんて聞きたくもない、という方はスルーしてしまってください。
さて作中でサンプリングという言葉が出て來るのは第二部で柏木美南の創作になるというミステリ小説「化粧」のあと、美南のミステリサークルのひとりであろう富田重壽なる人物が書いた「無責任かつ自墮落な標本化」という評論のなかの一節です。
この評論の主旨というのを簡單に纏めると、「おい、柏木美南、おまえの小説は他人の猿眞似、いや、それ以下の代物だよ、この莫迦野郎」というかんじで、まあ、かなり辛辣な言葉を連ねて、美南の「化粧」という創作を批判しているのです。
冒頭に「いまを遡ること約三十年、一九百六十年末のことである。イギリスで、キング・クリムゾンというバンドがデビューした。するとそのファーストアルバム『クリムゾン・キングの宮殿』は……」という一節は決まり文句ですね。「宮殿」を引き合いに出すときには必ず引き合いに出されるビートルズの「アビー・ロード」もここでしっかりと名前が出ています。
ここからしてすでに、この重田の評論もまたありきたりの音樂評論の一節を取り出したサンプリングに過ぎない譯です。作者としては讀者にここまで氣がついてもらえることを期待していたのかもしれませんが、それは無理ってものですよ。
うる星やつらを劇場で觀ていて、「宮殿」を聽いていて尚かつ連城、京極、奧泉光を讀んでいるなんて物好きはそう滅多にいませんよ、……ってまあ、自分はその物好きだった譯ですが。
で、話を戻してこの「クリムゾン・キングの宮殿」ってアルバムはいったい何なの、というところから始めてみたいのですけど、とりあえずジャケを見てもらいましょう。こんなかんじです。
でっかい口開けた赤鬼のこのジャケは結構有名なので、名前を知らなくても見たことはあるってひと、意外といるのではないでしょうか。
キング・クリムゾンというバンドは、ロバート・フリップという偏屈親爺のギタリストがほとんどワンマンで運営しているバンドなのですが、何度も解散と再結成を繰り返しておりまして、初期、中期、後期みたいなかんじで、リリースされたアルバムもしっかりと區分けされています。
この評論のなかで重田はファースト・アルバムである「宮殿」が、「一般的には、……最高傑作と呼ばれているようだ」なんていっていますけど、そんなことはありません。
勿論「宮殿」がやはり最高、という人がいる一方で、中期にリリースされた「太陽と戦慄」が一番というひともあって樣々です。因みに自分は「太陽と戦慄」が一番好きなんですけど、勿論「宮殿」も氣に入っています。作風が全然違うので、そもそもどれが一番とか決めること自體かなり無謀なことなんですけどねえ。
で、この「宮殿」で使用されている樂器、メロトロンのことを重田は「サンプラーの元祖のような樂器であった」と書いているのですが、まあそうかもしれません。とにかくこの樂器、最近までのイタリア車や八十年代のフランス車みたいに不安定で期待通りに動いてくれない樂器として有名なんです。おまけに高い。
そんな譯で、シンセサイザーが普及して、サンプリングが一般的になっていくと、殆ど使う人もいなくなっていったのですけど、懷古主義復古主義という點ではミステリ好きにも引けを取らないプログレマニアのオジサンたちは、メロトロンの蠱惑的な音がどうにも忘れられないのですよ。
で、こんな食傷気味のオジサンたちの心をぐっとつかんでしまったのが、北欧はスウエーデンからデビューしたアネクドテンというバンドでありました。
クリムゾン・リスペクトの音はクリムゾンファンを狂喜させ、最近日本にライブで來た時にはメロトロンを三臺を會場に持ち込んでブログレマニアも納得の素晴らしい演奏を披露したそうです、……ここで、「そうです」としか書けないのは自分がこのライブに行けなかったからでありでして、まあ、ライブアルバムも近々発売されるみたいなのでそれに期待ですな。
メロトロンでは「宮殿」に言及しているこの評論ですが、肝心のサンプラリングについて書いているところでは、これまたイエスの再結成アルバム「90125」を引き合いに出しているところが興味深いです。
このアルバムも大傑作で、プログレのみならず英国バンドラブの方にはマストだと思うのですが、いかんせんもう昔のアルバム、といってもロックがまだ神話であり得た七十年代ならいざ知らず、軽薄短小の幕開けとなった八十年代初頭にリリースされたアルバムですからねえ。もうロック魂なんて偏屈なものはすっかり市場でも抛擲され、安いっぽいポップスこそがよしとされた時代ですよ。しかしだからこそ奇矯なアルバムとして耳目を集めることになったというのも何とも皮肉な話です。
當事、自分の廻りの女子たちはニューロマンティックの旗手であったデュラン・デュランなんかに夢中で、イエスだクリムゾンだなんていっても知っている人はごく少數、それでも「ロンリー・ハート」の衝撃的なプロモ・ビデオは話題になっていましたよ。確かこれって、……蛆蟲洗顏のシーンとか、密室のエレベータの中で何だかグチャグチャのグロい展開があったりとショックな映像がてんこ盛りであったと記憶しているのですが、また見たいって氣にはなりませんねえ。
それでも音の方は際だっていて、ここでもふれられていますけど、プロデューサのトレバー・ホーンの手になるサンプリングの音は本當に衝撃的でした。
トレバー・ホーン、という名前、ちょっと昔に聞いたことありませんか。そう、あのドタキャン・オロシア娘ことt.A.T.u.をプロデュースしたのが彼でありました。だからまあ、t.A.T.u.の音、嫌いじゃないんですけどねえ、結構プログレ好きには訴えるものがある音だと思ったのですけど、識者の方の意見は如何。
と、……そんな譯で、本作は些かマニア(敢えてオタクとはいわない)受けするようなアイテムが各所に鏤められていて、それが分からないと今ひとつ愉しむことが出來ない作品なのでありました。やはり文庫化もされず、消えていく運命になるのでしょうか。勿体ないことです。