先日取り上げた戸川昌子の「猟人日記」は出版芸術社のミステリ名作館の一作でしたが、このシリーズはミステリ好きだったら無視できない作品も多く、例えばつい最近レビューした泡坂妻夫の「死者の輪舞」もこのシリーズの一作でした。
しかしインパクトという點では本作が一番ではないでしょうか。
何しろ本作はアレ系の古典的傑作として語り繼がれている作品でありまして、それ故既にこの仕掛けを知っている人も多いとは思います。
綾辻行人のアレや貫井徳郎のアレとか、或いは我孫子武丸のアレなどなど、新本格にはアレ系の傑作がたくさんある譯ですが、それ以前にも日本のミステリにはこういう作品があったんだということに驚いていただく為にも、今日は本作を取り上げてみようかと。
で、ジャケ裏に物語のあらすじが書いてあるんですけど、これはちょっとフェアじゃないです。というかこの描き方はマズいんじゃないかな、と思うんですけど、まあ、一応載っけておきますとこんなかんじ。
八島財閥の放蕩息子・杉彦に見初められ玉の輿に乗った売れっ子ストリッパー、ミミイ・ローイこと漣子は、悪意と欲望が澱む上流階級の伏魔殿で孤軍奮闘していいた。そんな折、八島家当主・龍之介が殺される。だが、まさか犯人が愛する夫の杉彦だったとは!死刑の判決を覆すべく、必至の調査を続ける漣子と仲間たち。新たに弁護側の証人は、果たして見つかるのか?
驚異のトリックでミステリ史上に残る不朽の名作、ついに登場!……
序章から始まるこの物語は本編の十一章の最後に終章を添えた、全部で十三章からなる構成となっています。
章題が第一章から「花婿」、「味方とわたし」、「よそ者」、「《黒牛》とわたし」というようになっていて、偶數数の「……とわたし」で示される章は「わたし」による一人稱で事件後の現在が語られています。
一方の奇數数では、八島財閥の放蕩息子、杉彦と結婚した売れっ子ストリッパー、ミミイ・ローイだった「わたし」を「彼女」という三人稱で表し、二人の出會いから結婚、そして事件が発生するまでの経緯が語られていくのですが、この構成は改めて讀み返してみても本當によく出來ていると思います。
序章の面會室で對面した杉彦と「わたし」の會話を一讀しただけでは物語の全體像は見えてきません。
「まだ控訴がある。上告だってある」と強い口調でいう「わたし」に、「死刑が宣告され、弁護士たちもさじを投げてしまったんだ」と「わたし」をたしなめるような口調で話す杉彦。ここで杉彦の父、すなわち舅が殺されたことが明かされ、二人は再び控訴を行い、眞犯人を突き止めようと考えていることが分かります。
この杉彦という輩がまあ、あらすじにもある通り、かなりのダメダメな放蕩息子で、父親に結婚を反對されたとなるや頭にきて、皆の前で「ぼくはおやじを殺してやる」などと宣言したりと、とにかく穩やかではありません。
その一方で、「わたし」も杉彦と結婚する前に、すでに誰かの子供を身ごもっていてそれを彼に隱していたりするので、まあ、どっちもどっちというかんじなのですが、これに加えて杉彦の姉たち、そして八島家の主治醫などなど、それぞれに利害を持った人物達がこの屋敷には巣くっていて、皆に八島龍之介を殺す動機があるように見えるところはいかにも古典的なミステリを踏襲しています。
物語は偶數数で、眞犯人は誰なのか、そして裁判を覆すための証人捜しが進められ、裁判に臨むシーンをクライマックスに控えています。一方の奇數数は結婚式で、二人が祝福される場面から始まり、事件が起こった夜から被告人の逮捕に向けて、ほぼ時系列に話が進んでいくのですが、この過去と現在のシーンの對比がとにかく秀逸。
第九章の最後で容疑者が捕まり、再び「わたし」の章である「愚問とわたし」に至ったとき、ようく讀んでいたひとはここで、「ええっ?」とのけぞってしまうでしょう。
ここでもまだピン、とこない人は、意外な人物を弁護側の証人へと据えて、いよいよ裁判へと挑む第十一章の「証人」で頭がグルグルしてしまうに違いありません。
因みに自分が初讀したときには、十章で何ともいえない違和感を抱えたまま、譯が分からず「証人」の章を讀み初めてひっくり返ってしったクチです。鈍いですねえ。
本作が素晴らしいのは、この仕掛けが第十一章で現れたあとも、眞犯人は依然として分からないまま、弁護側の推理を交えた法廷で明らかにされていくという展開でしょう。
とにかくこの後半の法廷の場面で、おのおのの証言の矛盾を突き詰めていきながら、眞犯人を論理的に追い込んでいくところがいい。
そして終章は再び序章と同じ場面へと立ち戻っていくのですが、この構成も見事。とにかくアレ系の大きな仕掛けを織り交ぜつつも、緊迫感のある法廷での場面や、殺された被害者の本心が最後に明らかにされるところなど、展開と構成の妙が光る傑作でしょう。
アレ系の古典的名作といい乍ら、この仕掛けは現代でも十分に通用するものだと思います。ストリッパーがヒロインというあたりが、戸川昌子の諸作と同樣、時代を感じさせる設定がない譯でもないのですけど、このヒロインやストリッパー仲間の人物造型などの清々しい雰圍氣が物語全体にある種の輕さを与えています。
このあたりが、同じように「レベッカ」を作中でほのめかしながらも、哀しい幕切れが何ともやるせなかった泡坂妻夫の「花嫁のさけび」と違うところ。あちらもかなり際どいアレ「系統」の仕掛けを用いた傑作でしたが、本作と讀み比べてみるのも一興かと。
繰り返しになりますが、綾辻行人のアレや貫井徳郎のアレ、或いは我孫子武丸のアレみたいな名作が讀みたいという人にはマストでしょう。特に新本格でアレ系のミステリに魅了されたミステリ好きにおすすめしたい古典的傑作です。