「錯置體」の日本語版「錯誤配置」が「島田荘司選アジア本格リーグ」の一冊としてついに刊行されました。本作は前のエントリでも述べた通り、日本語に翻訳された台湾ミステリとしては初の長編作品となります。ただ、講談社版には訳者の解説があるだけで、原版である大塊文化版の卷末に掲載されていた傳博こと島崎博御大の解説がありませんので、今日はそれを日本語にしたものを紹介したいと思います。
台湾ミステリに関しては、「自分が認めたものにしか解説は書かない」という公言されている島崎御大の解説「台湾推理小説の新たなる里程標――『錯誤配置』」は、「錯誤配置」のあらすじとともに、ヘイクラフトの「探偵小説・成長と時代-娯楽としての殺人」にも言及しながら、台湾の社会的状況と日治時代から現在に到るまでの台湾ミステリの歴史を俯瞰する刺激的な内容になっています。
個人的には、インドの本格ミステリでこの「島田荘司選アジア本格リーグ」の一冊として近日中に刊行されるであろうKalpana Swaminathanの「The Page 3 Murders」について波多野氏が以前e-Novelsの論評で紹介していた文章を引用しながら、島崎御大のこの論考の内容について若干補足をしたかったのですけれど、すでにリンク切れになってしまっているので、このあたりのアジア各国における社会的状況と本格ミステリの発展との連關については、波多野氏が「The Page 3 Murders」の解説で詳しく述べてくれることを期待しつつ、さっそく日本語にしたものをお届けしたいと思います。結構長いのですけど、今回は一気に掲載します。
なお、原文に出てくる章のタイトルなどは講談社版に合わせて日本語にしてみました。
台湾推理小説の新たなる里程標――『錯誤配置』島崎博「推理小説」というこの文学上の言葉は、今から四十年前、松本清張の作品とともに日本よりもたらされた外来語で、以前から台湾と日本でともに使用されていた「探偵小説」という言葉もあるが、両者の意味するところは殆ど同じである。
推理小説という言葉が日本において市民権を獲得したのは、一九五七年に松本清張が『点と線』と『眼の壁』という二つの長編を発表した後、メディアがそれ以前の探偵小説の作風と区別する必要があるとしてこれらの作品を推理小説としたことにはじまる。
『点と線』は純粹な謎解きを主題とした探偵小説ではあるものの、この作品はそれ以前のものと同じではなく、作品の主題を描き出す諸要素にはリアリティがあった。例えば事件が起こる舞台ひとつ取ってみても、それがいかにもな古めかしい大豪邸ではなく、密室など非現実な場所も登場しない。探偵の造詣もまた決して天才型といえるようなものではなく、現場へと足を運んでは証拠を蒐集する凡人型の刑事であった。殺人の動機は社会性を帯びたものであり、それは情事の果ての行為であったり私怨を果たすための復讐であったりする。また事件を記述する作者の筆もまた、神秘や怪奇、或いは恐怖がもたらすロマンなどをことさらに強調するものではありえなかった。
このように、初期の推理小説はリアリズムを持った探偵小説を示しており、それ以前のロマン型の探偵小説が一線を退いたあと、社会性を持った作品を「社会派推理小説」と呼ぶ。
当時の業者がどれだけ松本清張をはじめとした作品を紹介しようとも、彼らがこうした日本の推理小説の歴史的過程というものを把握していたのかどうかは判然としないものの、台湾の読者に新しい文学の認識をもたらしたということについては認めなければならないだろう。
一九八四年十一月に『推理雜誌』が創刊されたことで、読者はいつでも作品を読むことができるようになり、さらには創作の場が提供されたことで、若者たちが自由に創作を試みることも可能となった。このような経緯を経て推理小説の出版は第一歩を踏み出すことができたとはいえ、それからの二十年間を創作の実績という観点から見てみると、誰もが失望してしまうというのが正直なところであろう。
推理小説は普通の小説と同じではない「自己完結した様式を持つ」小説であるのだが、創作を試みようとする多くの者がそうした原理を理解できていない。ミステリにおける創作の形式は定型詩やギリシャ悲劇と同じで、はっきりとした「起承転結」の構造によって、曖昧さを排し、物語は順序だてて語られなければならない。そうした既存の創作形式を打ち破ろうとするのであれば、そこには理がなければならず、推理小説としての要件をないがしろにはしてはならないのである。
読者を失望させた作品の作者というのは、そうした創作の原理に知悉していなかったことが理由とはいえ、筆者はそうした若者たちを責めるつもりはない。というのも、そうした失敗の最大の原因は、未だ成熟を果たしていなかった当時の台湾の状況にあるに違いないと考えるからだ。
イギリスの推理小説評論家であるハワード・ヘイクラフトは、一九四一年に出版した『探偵小説・成長と時代-娯楽としての殺人』の中で、推理小説は何故、イギリス、アメリカ、フランスの三国で発展を遂げたのかについて述べている(戦前、日本の推理小説は海外に輸出されていない)。その結論はきわめて明快で、当時の独裁国家であったドイツ、イタリア、ソ連などを考察した結論として、彼は「民主主義こそは推理小説が成長する土壌である」という。
戦後四十年あまりの台湾の政治状況については、皆も知っているはずであろうから、筆者がここで多くを語る必要もないであろう。ヘイクラフトの理論のごとく、この期間、台湾はまさに推理小説の不毛地帶であり、文化の砂漠であった。
ここで少し見方を変えて、百六十年にならんとする推理小説創作の継承というものについて見てみよう。一八四一年、アラン・ポーが世界で初めてとなる推理小説『モルグ街の殺人』を世に出して後、それからまもなくして、一八八七年にはコナン・ドイルがホームズものの『緋色の研究』を発表する。確かにこの間、イギリス、フランス、アメリカでは推理小説の創作が行われていたとはいえ、厳密に言えば、それらの作品は謎解きを主題においた作品とはいえ、アラン・ポーの作品に比較すると、主題の持っている要素は同じではない。歴史家も認めている通り、アラン・ポーの正式な継承者はコナン・ドイルであろう。そしてこの間には四十六年の隔たりがある。
日本では一八八七年に黒岩涙香が多くの欧米の作品の翻案を始めており、これに追随する者も多く現れた。あるものは原作を正確に翻訳し、またあるものは涙香の作品を模倣する一方、創作を試みるものもいた。とはいえこの時期における推理小説の創作は、推理小説として必要な要件を必ずしも備えてはおらず、日本の推理小説の確立はそれから三十六年の時を経た一九二三年、江戸川乱歩の『二錢銅貨』を待つことになる。
これら二つの例を挙げれば明らかな通り、推理小説において、種子が芽を出し、そして花開くに到るまでには模索の期間というものが必要となる。
推理小説の土壌(空間)と継承(時間)という点から見ていくと、創作が未だ成熟していないということについて言えば、台湾におけるこの二十年は種から花を開くに到るまでの模索の期間であったということもできるであろうし、またそれは必ず通過しなければならぬものでもあったわけだ。
ここ最近の出版界全体の現象というものを概観すると、台湾の推理小説の創作の技巧と作風は新たな段階へと踏み出し、今まさに開花の時を迎えようとしているように筆者には見える。
本書『錯誤配置』は、そうした模索の時期を脱してついに花開いた最初の作品ということもできるであろう。この作品は破格の推理小説であって、作者は大胆にも謎解き推理小説の形式を打ち破り、ここでは意外な犯人を明かしてみせるという方法を採っている。こうした特殊な創作形式は多くの議論を生むであろうとはいえ、この大胆な試みは大いに評価されるべきである。本作では、序章を除く五章において、その視点と記述の方法が異なっている。
序章では、殺人事件に卷きこまれることになった精神科医にして推理小説家でもある藍霄が登場する。ここでは彼を語り手に自身の不安が語られ、医学生時代からの親友である名探偵秦博士が高雄を訪ねてくるいきさつが描かれる。
第一章「孟婆湯」では一転して、自称三十歳のK医科大学医師である王億明が登場し、藍霄に宛てた一通の電子メールの全文を掲載してみせることで、王億明が藍霄を脅迫していく樣子が描かれていく。そしてそのあと、藍霄の語りによってこの手紙に対する彼自身の態度が示される。
王億明はかつて藍霄に診察を受けたこともある統合失調症の患者であり、自らの見立によれば自分が抱えているこの病は解離性記憶障害と夢遊症のようなものであるという。この後、舞台は周國棟がたちあげた同友会である「喜福會」での十二月七日の集まりへと転じ、王が席をほんの少しの間外した刹那に、あたかも時空が逆転したかのごとく、周囲の人間が彼のことをすべて忘れてしまった――という奇怪な出来事が描かれていく。そして最後に、医科大学の学生である張時方が殺害された七年前の事件の犯人は自分であると彼が告白し、藍霄がこの事件の共犯であるらしいことが仄めかされる。
第二章「眩暈牛頭馬頭」は藍霄の視点から描かれていく。王明億の電子メールを受け取った後の六月十五日、二人の刑事が彼の元を訪ねてくる。昨日、首と胴体の異なる死体が発見された殺人事件について、その被害者の一人が藍霄に宛てた遺書を殘しており、その遺書をしたためた人物の名前が王億明であるというのだ。刑事が立ち去ると、藍霄は王億明と七年前の張時方殺人事件が関連していると確信、そして当時の事件発生の経緯が詳細に語られていく。
第三章「犯罪者の奈何橋」は藍霄の視点から描かれ、ここで名探偵である秦博士が登場する。喜福會に出席した周國棟の妻、李妙意が六月十三日の深夜に死亡していることが明かされるとともに、泰博士と彼の同級生である小李、そしてその妻柏芳恵も議論に加わり、張時方が殺害された状況が推理されていく。ここでは王明億と身元不明の男性との首すげ替え殺人事件、そして李妙意が澄清湖で入水自殺を計った可能性の真相が語られ、作者は四人の議論を通して読者に謎解きへの伏線を提示する。
第四章「李君、大道を行く」は小李を語り手に、十二月七日の喜福會が催されたスター・カフェへ秦博士とともに赴き、現場の調査が行われるさまが描かれていく。そしてこのあと、警察と今回の事件の関係者との会話を通して、四体の死体を生み出すことになった三つの事件について、秦博士の推理とその結論が語られる。
第五章「秦博士の独木橋」ではまず最初に藍霄を語り手に、推理作家であり、被害者であり、また加害者であり探偵でもあるという役回りでこの事件へ関与するにいたった彼自身の、今回の事件に対する思いが語られ、その後、一通の手紙によってこの物語は幕を閉じる。
本章でもっとも興味深いのは、作者である藍霄がこの物語の語り手である藍霄を通して、自らの「推理小説論」について語っていることである。この小論からは、作者である藍霄の推理小説観を垣間見ることができるとともに、また本書こそはそうした推理小説観の実践であると見ることもできるであろう。
作者である藍霄は、本名を藍國忠といい、一九六七年六月四日、澎湖生まれ。現在は高雄長庚記念醫院で産婦人科医師を勤めている。中学時代から推理小説のファンで、高校三年の時、『推理雑誌』十四号(一九八五年十二月号)に処女作『屠刀』を発表、それから四年の間は大学での学業が忙しかったことを理由に作品の発表は途絶えたものの、一九九〇年には第二短編となる『醫院殺人』が『推理雑誌』の賞を獲得。また同年の十月号には『迎新舞會殺人事件』が掲載された。これは本書にも登場する名探偵、秦博士とそのクラスメートである小李、阿諾、許仙、老K、藍霄の、読者へ最初のお披露目となる作品となった。この後も藍霄は続けて『推理雑誌』に秦博士と五人のクラスメートが登場する九編のシリーズ短編を発表、今年一月には『野葡萄文学誌』の第五号に秦博士が活躍する作品としては十番目の短編となる『私は大貝湖で恐竜を見た(我在大貝湖偶見恐竜)』を発表した。秦博士が登場する藍霄の作品のファンが、これらすべての作品について知らないはずはなかろうから、筆者がここで多くを述べる必要もないであろう。
『錯誤配置』は作者である藍霄の作品としては最初に本となった作品ではあるが、この作品よりも前に秦博士シリーズの長編としては二編がすでに書かれている。『天人菊殺人事件』(一九九四年に完成)と『光と影(光與影)』(一九九九年四月に完成)がそれで、両長編とも近いうちに読者は手に取って読むことができるであろうと聞いている。
筆者は、二〇〇四年が台湾ミステリ史において、また新たな階梯を積み上げた一年となることを切に願うものである『錯誤配置』の出版が若者たちの創作意欲を大いにかき立てることとなれば、いつか台湾ミステリが百花繚乱の様相を呈することもまた決して夢ではない。
二〇〇四年六月十二日