石持ミステリといえば、ロジックとキワモノと確信しているファンであれば、前者はやや薄味ながら「耳をふさいで夜を走る」のように後者のキワモノテイストを二割増にしてファンの変態心をグッと鷲・拙みにしてしまうという逸品で、最近の石持ワールドにはロジックよりもキワモノを期待している自分としては大いに堪能しました。
片岡義男のファンがヤケ酒を飲んだときに思いついたような、ぬるいタイトル通りにぬるい恋愛模樣が、犯人でも探偵でもない人物の語りによってダラダラと語られるなか、「おしっこ、もれちゃう!」や「――ダメよ。わたしはおしっこを漏らしているんだから」といった名台詞も記憶に新しい石持ワールドならではのヘンテコ・エロスや、世間の価値観からは大きく外れた思いこみをベースにシレッと悪いことをしてしまうという奇天烈な登場人物の造詣を凝らした風格は決してファンを裏切りません。
物語のあらすじを簡単にまとめると、どうやらカノジョが人殺しみたいなんだけど、殺人犯のカレシなんてかんじで世間の目に曝されるのは眞っ平ゴメン、とばかりに、カノジョとの別れを切り出そうとする主人公だったが、やがて第二の殺人も発生して、……という話。
まず舞台がごくごくフツーのリーマン会社で、そこに勤める登場人物たちもごくごくフツーの、――というか、石持ミステリの場合、ここではあくまで「一見すると」という言葉を付け足しておく必要があるわけですが、本作に関してはいえば、おもらしマニアを驚喜させた「ガーディアン」や「まっすぐ進め」に比べれば、登場人物はかなりマトモ。
ただ、性格造詣こそかなりマトモに「設定されている」とはいえ、ディテールの描写に至ると、途端にヘンテコなことになってしまうという石持ミステリならではの風格は本作にも健在です。
コロシに使われるブツが本作の場合ニコチンで、これがまた、主人公がカノジョを疑う理由として重要な鍵を握ってもいるわけですが、第一のコロシからして、二日酔いかと思っていた野郎がオフィスでいきなりゲロ吐いた挙げ句、自分が吐いたゲロん中に顔をつっこんでご臨終という、ドリフのコントもかくや、と苦笑するしかない描写がノッケから大炸裂。
第二のコロシについても、皆で新幹線に乗って愉しく弁当を頬張っていたら、いきなり女が「げふっ!」とえずいて嘔吐するという激しさで、確かにニコチンといえばフツーに手に入れることのできる劇藥でもあるし、特に第二のコロシについては容疑者を限定していくロジックの中でもこのブツが使われていたことが重要であるところなど、この毒が採用された理由についても、石持氏の得意とするロジックに収斂させることができるはいえ、それにしても、ニコチン中毒の描写をここまでディテールもしっかりと描けば、物語の外にいる読者としては苦笑するほかなく、石持氏は今回「も」非常にリスキーな決断をされたのではないか、と読者としてはヘンなところが気になってしまいます。
さて、本格マニアとして石持ミステリに期待されるロジックでありますが、今回はあらすじからして犯人はバレバレで、いったいどこにロジックの愉悦を置くのかと、そのあたりの技巧についても気になってしまうものの、本作の場合、探偵でも犯人でもない、ただ犯人の恋人というだけの人物を探偵「未満」の人物として配し、彼がカノジョを犯人と確信するにいたった手がかりについては他の人物に伏したまま、物語を進行させていくという構成が秀逸です。
その一方、この主人公である恋人が、恋人であるがゆえに気にもとめなかった、ちょっとした犯人の行動から、後半にいたって件の探偵が彼女をずばり犯人だと指摘してみせる対比が見事です。ここで使用されているロジックはオーソドックスな消去法なのですが、容疑者としてまず二人を絞り込み、そのうちの一人が件のカノジョで、もう一方が主人公というところが、上に述べた探偵未満の立ち位置と盲点をより際だたせているところがいい。
ただ、それでもキワモノでありながらロジックについてもネチっこいところを見せてくれた「まっすぐ進め」などに比べると、より登場人物は普通のリーマンらしく、また動機についてはパンピーもある程度納得できるという設定ゆえか、キワモノの濃度を薄くすればロジックも軽くなるという、考えれないような副作用が出ているところがちょっとアレ。
とはいえ、今回も「耳にふさいで」にも通じるエロスのディテール、――それも本格ミステリを愛読する紳士淑女をコーフンさせるにはほど遠い、 即物的な描写が際だっているところにも注目で、そのあたりをさらっと引用すると、
さらに奇妙なのは、恐怖を感じていながら、水野の股間はいささかも萎えていないことだ。……股間から口を外し、再び向かい合う。……
早智恵の口から、高い声が漏れる。水野は夢中になって腰を使った。
「あ、ん、は、激しいっ」
殺したという言葉が、耐えられない熱を持った冷たさとして、脳から股間に降りていった。早智恵の中で、まるで鼓動のように水野の陰茎が震えた。
「も、もうっ」
自分が早智恵に殺される――。想像したら、なぜか股間が熱くなった。昨晩ベッドで見せた、喜びの表情。火照った裸体。あの顔に、あの身体に殺される。まったく不条理ながら、恐ろしい想像が、ぞくりとする快感と共に、肉体を反応させたのだ。
恋人が殺人犯で自分も殺されるかもしれない、……確かにミステリ的には主人公ならずともゾクリとくるシチュエーションながら、殺され方が、美人と交わりながら首を絞められて腹上死ならまだしも、毒を盛られてえずいた挙げ句にゲロ吐いて悶絶死とあっては、とても萌えることはできません。
抗議する水野の意志を裏切って、水野の股間は立ち上がっていた。疲れ切っているのに。いや、疲れ切っているからか。
早智恵は立ち上がった。水野にキスをする。……今度は水野からキスをした。舌を差し入れる。こねるようなキスをして、ようやく離れた。
喪服の女にコーフンするという主人公にはかなり共感できるし、「こねるようなキス」という形容詞のセンスには苦笑してしまうものの、これが最後の最後のシーンでシッカリと伏線として機能しているところなど、「耳をふさいで」の「ザーメン臭いコンビニ袋」と同様、エロスのディーテールもしっかりとロジックへと組み込んでみせる石持マジックを堪能するのも吉、でしょう。
「耳をふさいで」に比べると、「陰茎」の連呼がないぶん、より普通の読者も愉しめる風格に近づいたとはいえ、ニコチン中毒の描写やエロスのシーンはフツーにエロい小説とも違うし、かといって、御大の「涙流れるままに」などとは違ってコーフンするのも難しいという作風ゆえ、やはりかなり読者を選んでしまう一冊といえるのではないでしょうか。「ガーディアン」と「まっすぐ進め」で石持ミステリのファンになったという、おもらしマニアには、早智恵のそうしたシーンがない分やや物足りなさを感じるかもしれないとはいえ、「耳をふさいで」の即物エロスがツボだった人はなかなかに樂しめると思います。