探偵小説の彼方、浪漫幻想。
怪奇探偵小説名作選、傑作選の中では、今までにこのブログでも取り上げてきた「怪奇探偵小説名作選〈2〉渡辺啓助集―地獄横丁」、「怪奇探偵小説傑作選〈5〉海野十三集―三人の双生児」、「怪奇探偵小説名作選〈10〉香山滋集―魔境原人」、「怪奇探偵小説名作選〈5〉橘外男集―逗子物語」などに比較するとキワモノテイストは薄めながら、浪漫に託して話の筋と流れで魅せる風格はある意味孤高。ミステリに引き寄せてその趣向を見るというよりは、幻想小説として讀んだ方が愉しめるかもしれません。
収録作は、幻想的な夜の情景から静かな狂気が浮かび上がる傑作掌編「乳母車」、ルンペン爺から取り上げたバイオリンが狂気のトリルを奏でる「悪魔の顫音」、純情看護婦のモジモジな色恋沙汰が殺意となって爆発する「天使の犯罪」、性の人工転換を謳うキワモノ博士の見物興行に仕掛けられた罠「風原博士の奇怪な実験」。
ゲス女のよろめきを子供の視點から描きつつ悪魔主義的な趣向で見せる「窓」、よろめき夫人の密会電話を聞いてしまった男の悲惨「睡蓮夫人」、昔の女が忘れられないウジウジ男が過去と現在の交錯に異様な殺意を展開させる「洞窟」。
富士山麓の田舎町に隠居したモダン文士がピアノの怪異に取り憑かれる「陽炎の家」、気まぐれ旅行で海洋遊園地に取り残された男が怪異に出くわす「華胥の島」、行方知れずの友人が持っていた石を巡るミステリ「風蝕」など全十六編。
冒頭を飾る「乳母車」は、「怪奇探偵小説集〈1〉 / 鮎川哲也編」にも収録されていた掌編で、いかにも幻想的な夜の景色が綴られたあと、タイトルにもなっている乳母車が登場するや情景の雰圍氣が一轉する構成が見事で、静かな狂気を湛えて幕引きとなる完璧な構成も素晴らしい。インパクト十二分なこの掌編で始まる本作ですけど、實をいえば「乳母車」の狂気は強烈に過ぎて、収録作の中では些か浮いている感じがなきにしもあらず、でしょうか。
「春妖記」やこの変奏ともいえる「陽炎の家」などは、森の奥にある洋館からピアノの音が聞こえてくるというメルヘン風の趣に怪異を添えた佳作で、静的な情景の中にもキ印ぶりを大きく前面に押し出した「乳母車」のような風格は希薄です。
「陽炎の家」とかだと、怪異へと續くピアノの音が出てくるまでのエピソードなどはユーモア小説みたいなノリで、東京から富士山麓の田舎町に引っ越してきたモダン男の小説家が、地元の田舎者をさりげなく小馬鹿にしつつも町内会だのといったご近所との交流は眞っ平御免と駄々を捏ねてみせるところなど、幻想小説としての風格もまた皆無。
しかしピアノの音をきっかけに物語の雰圍氣が大きく転調する構成は巧みで、詩的な情景だけで掌編へと仕立てた「春妖記」に比較すると、より主人公の背景を描き込んだ「陽炎の家」の方が小説としての深みがある、というのは解説で日下氏が述べている通りでしょう。
個人的にツボだったのは、サナトリウムに勤めるヒロインが患者にベタ惚れ、しかしその文學青年を蓮っ葉な同僚女に寝取られたのにブチ切れて殺意を炸裂させる「天使の犯罪」で、純情めいたモジモジぶりを垂れ流す語り手のヒロインと、患者を喰ってしまう淫亂看護婦との對比がまず見事。
入院患者の体を拭いてあげるという「お清拭」という仕事についての記述があるのですけど、淫亂看護婦が初っぱなに誘惑するイヤ男の記述がまたキワモノマニアの心をくすぐります。「ヘアトニックの匂いをプンプンとさせてい」るこのモダンボーイは名前を大岡といい、
大岡はわたしが「お清拭」をする間、まるで赤ん坊がぐにゃぐにゃとしてなかなか思う通りに動かないようなふりをしながら、わたしの胸のあたりに不必要にさわったり、普通は蔽いかくすべきからだの部分までわざと露して、わたしに眼をそむけさせたりいたしました。
美人看護婦に裸を拭いてもらえるというなら、まずすべての男が妄想するであろうアクションを臆面もなやり遂げてしまう助平ぶりが堪りません。
で、件の淫亂看護婦はこの都会フウのスケベ野郞にご執心ながら、男が退院すると今度は、ヒロインがホの字の文學青年にアプローチを大敢行。しかしヒロインにしてみれば同僚とはいえ、こんな女に憧れのひとを取られるのは許せない譯で、
「じゃ、あんた大岡さんはどうなの?あなた、あの人を愛しているんじゃないの?」
「大岡さん?フン、あんな男!いやな奴ったらありゃしない!あの人はね、節子さん、女なら誰だっていいのよ。女たらしで、助平なんだから……」
……
わたしはアッ気にとられて、黙っていると光枝は、
「そこへ行くと、三浦さんはウブねえ。あたし、あの人のあの全然スレていないところが大好きなの。ねえ、節子さん、あの人、まだ童貞よ、きっと……」
件の文學青年はこのやり手女にベタ惚れされて、「ヘアトニックの匂いをプンプンさせるよう」な男に改造されてしまうのですけど、純情なモジモジ女であるがゆえに、自分がホの字の男への思いも強烈で、淫亂看護婦とエッチをした夜に文學青年が喀血するや、もう女を殺すしかないッ、と思い詰めてしまいます。
しかしこのオチが何ともで、淫亂看護婦と語り手の純情ぶりを執拗なほどに對比してみせていたところが伏線になっているとは思いもよらず、ラストは夢野久作みたいなかんじでジ・エンド。
「風原博士の奇怪な実験」もそのナンセンスぶりがツボだった一編で、旅先でフと見かけた映画館では「性の人工転換」という秘宝館的な出し物が始まる様子。興味津々で入ってみた主人公と恋人だったが、……というところから「俺があいつであいつが俺で」的な展開になるのかなア、なんて考えていると、性転換を是非自分に、と妙な妄執に取り憑かれてしまった主人公の恋人はマッドサイエンティストの元に奔走してしまいます。失踪してしまった恋人は果たして、……という話。
秘宝館ネタでハジけまくらないところが戸川センセや海野十三を讀み慣れているキワモノマニアには不満ながら、中盤までのナンセンスぶりを愉しみたい作品でしょう。
その他では「窓」や「路地の裏」における子供の視點から見た大人の酷薄さと非情を描いた作品も秀逸で、特に「窓」における少年の悪魔的な閃きや、「路地の裏」の幕引きにおける非情ぶりなど、これまた収録作の中ではやや浮いている作品ながら、強烈な印象を残します。
ギミックやド派手さこそ希薄ながら、その詩情と幻想に託して語られる極上の物語を取りそろえた一冊でしょう。