内容紹介から、「何かミステリじゃねーっつうし、御手洗ファン以外はスルーだろ」なんて考えている方が大勢かと推察されるものの、さにあらず。確かに青春のほろ苦い恋愛短編から始まるあたりはミステリというよりは明らかに一般小説の風格ながら、個人的には傑作「戻り橋と悲願花」だけでもミステリファンには必読では、と強調したくなる素晴らしい一冊でありました。
収録作は、ボーイのほろ苦い片思いにあるものの苦みを重ねた恋愛短編の佳作「進々堂ブレンド 1974」、社会問題とある男から語られる苦難が心地よい逸話へと着地する「シェフィールドの奇跡」、そして二つの謎を表裏に配置した変則的な本格ミステリの結構に、あの時代ならではの、或る男の怒濤の生涯を鮮やかに描き出した傑作「戻り橋と悲願花」、そして「戻り橋」と照応するかのように、浮浪老人が語る悲哀の一生から時代を駆け抜けた男の生き様が浮かび上がる「追憶のカシュガル」の全四編。
冒頭の「進々堂ブレンド 1974」 は、とあボーイと御手洗の関係を明らかにしつつ、ボーイの若さゆえのほろ苦い恋愛物語を描いた短編で、ミステリというよりは普通の小説の風格ながら、ここで語られる恋慕と嫉妬というテーマは、最後の「追憶のカシュガル」において壮絶な物語として変奏されるという、一冊の本としての構成が素晴らしい。
収録作のそれぞれの短編はこうしたかたちでお互いに照応をみせながら響き合い、個人的体験だけで閉じていた「進々堂ブレンド 1974」から続く「シェフィールドの奇跡」において、今度はボーイがもっぱら聞く側へと回り、物語はいよいよ御手洗の巧みな語りによって、現実社会という枠組みを意識させつつその中におけるささやかな一個人の逸話へと視点を移していきます。
「シェフィールドの奇跡」もまた、最後の映画的ともいえる見せ場とその明るい結末が爽快な一編で、確かにミステリというよりは一般小説的な語りの巧みさに力点をおいた風ながら、続く「戻り橋と悲願花」は、その一風変わった、ミステリらしくない結構の背後に隠された、作者ならではの企みと奇想が秀逸な傑作です。
御手洗が出会ったある人物の過去が語られ、それとともにボーイと御手洗がいる今ここ、で目にしている彼岸花の情景はやがて戦中の虐げられたものの逸話へと流れていきます。個人的には御大の小説中、最低のゲス野郎にランクイン確実ともいえるある日本人のエゲつなさに吐き気を覚えつつさらに読み進めていくと、そのゲス野郎を殺してやろうという少年の殺人計画に伴って、あるものの消失という謎が提示されます。コロシに絡めた謎、とい外観だけでも小粒のミステリとして本作を評価することは可能ながら、本編のすばらしさはこの、あるものの消失の謎に照応するかたちで、読者のあずかり知らないところにもう一つの大きな謎が隠されたかたちで用意されているところでしょう。
この大きな謎は、少年の成長に伴って最後の最後に明らかにされるのですが、先に述べたあるものの消失の謎が解明された瞬間、この隠されていた謎と消失の謎は壮大な奇想によって見事な連関を見せます。二つの謎はさながらカードの裏表のようなかたちに配置され、一方の側からこのカードの様態を語れば、それは殺人未遂とあるものの消失という逸話が現れる。そしてこれをもう一方の側から「もし」語ったとすれば、それはこれまた御大の傑作「大根奇聞」のような風格の話にもなりえたような気もするのですが、いかがでしょう。
この大きな謎を御手洗が調べていったとして……おそらく彼の頭脳をもってすれば、この人物へとたどり着くと同時に彼が長きにわたって抱いていたあるものの消失という謎をもまた、その場で解き明かしてみせたのではないか、……などというかんじで、この奇想によって見事な繋がりを見せた二つの謎を味わいながら、頭の中で「もう一つの謎を解き明かしていく御手洗の物語」を思い浮かべたりしてみるのも吉、でしょう。
最後を飾る「追憶のカシュガル」は、「進々堂ブレンド」で語られた片思いと嫉妬に、激動の時代ならではの苦みを添えて変奏させた一編で、「戻り橋と悲願花」と同様、ある人物の生涯を花に重ねた小説的技法が秀逸です。「戻り橋」に登場するゲス野郎にウンザリしていた読者は、この中に語られるある人物の短い生涯に涙すること必定ながら、同時に「進々堂ブレンド」で描かれた恋愛のほろ苦さは、時代によっては悲劇を引き起こすという対照的ともいえる結末もまた苦みを残します。
一応、ジャケ帯には「時空を超える、数奇な四編のミステリー」とあるゆえに、ミステリ読みが手にとってはみたものの「コロシもねーし、異国が舞台だっつーのに、幽霊も出てこなければ死体もブワーっと飛ばねーし、ボンクラワトソンもいねーし……」なんてブーたれる方もいるかも、と推察されるものの、現代本格を読み慣れた読者であれば「戻り橋」の謎の配置にこめられた巧みな構成と、御大ならではの奇想に度肝を抜かれる請け合いで、御手洗ファンのみならず、現代本格読みであれば御大の代表短編のひとつに必ずや数えられるであろう「戻り橋」だけでもマスト、といえるのではないでしょう。オススメです。