「ひとり百物語」第二弾。パステル調のおおよそ怪談本らしくない装幀に相反して、ジャケ帯や推薦文には、怖い最恐という惹句がズラリと並ぶものの、個人的には怖いというよりはヤバい一冊でありました。
流行の実話怪談の風格とはやや異なり、やたらと幽霊がブワーッと出てきて吃驚させるようなものではなく、その淡々とした文体から立ちのぼるどこか静謐とした語りがキモで、むしろ読者に向かって怖がらせてやろうという我欲の感じられないところからスラスラと一気に百話を読み進めてしまうところが本作の罠。
収録作の中で印象に残ったのは、前作に続くワンコものや、怪異といっても怖いというよりは不思議と形容したいささやかな現象を取り上げたもの、そして中国編で、ワンコものは個人的体験も含めてホロリときてしまう癒し怪談とでもいうべき物語が素晴らしく、作者の動物に対する暖かな情愛が感じられるところが素晴らしい。こうしたやさしい雰囲気の話が作者の平易な語りと絶妙なマッチングを見せているわけですが、これは描き方によってはなかなかに怖くできる幽霊譚をどこかもの哀しい風格の物語に変異させる効果もあり、三十九夜の「留学生楼」などは作者のそうした筆致が巧みに活かされている一例といえるでしょう。
霊感のある人物が作者の元を訪ねてきては、あれが見えるこれが見えるといった話をしていくのですが、なかには「見えるも何もアンタ、病院に行ったほうがいいよ」とアドバイスしたくなるような御仁が紛れ込んでいるのはご愛敬で、前作に続き作者の弟の体験もしっかりと収録されてい、作者とは違った視点から見た怪異の様態が語られるところも興味深い。
「視える」人であれば、本作に収録されている怪異と似たような現象のひとつや二つは体験しているかと思うのですが、そうした自身の体験と照らし合わせて、作者が感じたものと自分が感じたものとを比較してみるのも一興でしょう。そうすることで、自身が体験した怪異や見聞きした怪異をただツラツラと書き連ねただけでは決して怪談にはなりえないということも判るわけで、怪談にもまた怪談ならではの技巧が必要であり、その技巧の用い方によって個々の作者の風格が出てくるのだということを悟らせてくれるような気がします。
それと終わりに近づくにしたがって、怪異の語りの対象が内省的なものとなっていき、怪異を語ることそのものへと作者の視点が向けられていく構成が秀逸で、このあたりに京極氏を典型とする、怪異を語ることそのものを意識した現代怪談の流れを感じた次第。
あと最後に、冒頭に怖いというよりはヤバいと書いたことについて。加門氏も警告していますが、その作風は前作を継承しているものの、怪異を引き寄せる呪力とでもいうべきものは前作を遙かにしのいでいるような気がします。収録されている話そのものは決して悲鳴をあげてしまうほど怖いというものではないのですが、読了したあとに物語の枠組みを超えて怪異を体験してしまうという点では非常にヤバい一冊で、前作では何もなかった自分も今回ばかりはイッキ読みの結果として本作の呪力にアテられてしまった一人として、「視える」人は完全に取り扱い注意、ということで。次作は護符か八卦鏡をシッカリとオマケにつけてのリリースを期待したいと思います。