このミステリー文学資料館の編集による文庫はキワモノミステリの寶庫ということもあってなかなか侮れないのですけど、本作はここ最近のものでも殊更にキワモノ度が高く、大いに堪能しました。
収録作はバカミス的な脱力トリックが冴える結構に語り手も含めた登場人物たちの思惑が交錯する甲賀三郎「ニッケルの文鎮」、タイトルのおどろおどろしさ通りにトンデモなメカによる奇想が光る海野十三「爬虫館事件」、例によってボンクラ檢事を前にしてのペダントリーにまみれた脱線推理が物語を迷宮化する、小栗虫太郎「聖アレキセイ寺院の惨劇」、子供のトラウマ解析が過去の祕事を明らかにする木々高太郎「網膜脈視症」。
二転三転する供述から脱力にしてトンデモな犯行方法が明かされるキワモノミステリの佳作、石浜金作「変化する陳述」、ノロマが仕掛けた二重の陷穽に惡魔主義の眞髓が煌めく小酒井不木「痴人の復讐」、キ印の迷走する思考を忠實にトレースしてみせた怪作、米田三星「蜘蛛」、年下男を誘惑三昧の不倫奥樣とDV旦那の死の真相にキワモノエロスの風味を添えた浜尾四郎「彼が殺したか」。
事件の構図に凝らされた怪異のような偶然の重なりが恐怖を喚起する傑作、山本禾太郎「閉鎖を命ぜられた妖怪館」、判事と容疑者のパパとの驅け引きが事件の真相を明らかにしていく結構が鮮やかな平林初之輔「予審調書」、電話を使った懷かしトリックを添えて倒叙の結構で犯人の陷穽を綴った角田喜久雄「現場不在証明」など、全十三編。
キワモノミステリとしてやはりここで強力にオススメしたいのが米田三星の「蜘蛛」でありまして、ノッケから獨房の中でキ印の男が「檻に入った熊みたいに首を振りながらのそのそ歩き回って居る」という出だしでありまして、この冒頭の登場人物の描写は枠線でくくられ、本編の方はこれすべて件のキ印の腦内思考のみ、という破格の構成が素晴らしい。
どうやら男のモノローグによると、彼はコロシを行ったかどでこの獨房に入れられているようなのだけども、そこには友人の人妻を、――というか、自分の憧れであった女性が友人と結婚してしまったものの、それでも彼女のことが忘れられない、……とくれば、好きだった女を殺して自分も死ぬか、あるいは戀敵の友人を殺すかのどちらかを採るしかありません。
で、このキ印の独白は、信用できない語り手のド眞ん中を行くような曖昧な語りでありますから、とにかく件の友人が生きているのか死んでいるのかも判然としない。死んだとすれば語り手である俺が殺したに違いないのだけども、その犯行方法や動機を考えるたびにその思考は迷走を繰り返すばかりという結構に、コロシの動機を補強するように回想を織り交ぜながら物語は進みます。
中でも友人が憧れの女性を妊娠させてしまったことを告白した刹那に語り手の精神が崩壞してしまうところのシーンが素晴らしく、簡單に引用するとこんなかんじ。
――(此処、御台所の御機嫌が莫迦に斜だと思っていたら、とうとうこれなんだ)明見君は両手を腹に当てて言った。(避妊法失敗の巻さ)。
俺にとって何という殘酷な言葉だったろう。検事氏の言い方をすれば、あの言葉が俺をして「殺意」を生ぜしめたのだ。其夜以来床に就きさえすれば、きまってあの言葉が悪魔の嘲笑のように俺の耳で鳴った。
美緒子さんが妊娠した。
腹の膨れた女。
家鴨(あひる)のような格好の美緒子さん。――
……
呪わしい明見君、俺を此の肉欲地獄に突入れたのは彼だ、彼こそ――彼奴め、妊み豚のような彼女の裸身を抱擁して、俺の苦悶を嘲笑してやがるんだ。見ろ、柔和そうな仮面の下に隱されている悪魔の正体はどうだ! 彼さえ居なくなったら、俺の苦痛は救われるのだ。……
こうして友人に対する呪詛の言葉を書き連ねたかと思えば、その舌の根も乾かぬうちに「明見君こそ俺の太陽だ。彼と一緒に居る時は俺も救われた気がした」なんて言い出す始末ですから、語り手の頭が完全にイッてしまっていることは明らかなのですけども、その一方で友人が殺された当時の回想を始めると、今度はこのキ印が探偵になって「真犯人」の推理を始めるという迷走ぶり。最後はほとんどホラーか怪奇映画か、とでもいうような繪柄的にも素晴らしいオチで締めくくります。
収録作には語りに工夫を凝らした作品が多く、甲賀三郎の「ニッケルの文鎮」も、バカミス的なトリックが眼目ながら、登場人物たちの樣々な思惑が語り手の目を通して語られ、最後に事件の真相が意外なかたちでその全容を見せるという結構が素晴らしい。語りの仕掛けの光る好編、でしょう。
平林初之輔の「予審調書」も、判事と、自分の息子が犯人にされてしまったパパとの問答の裏に二人の思惑があって、それぞれの言葉が驅け引きであったことが最後に明かされる構成がいい。同樣に、犯人であると自白している人物が嘘をついているようなのだがコトの真相は、――というところで見せてくれるのが浜尾四郎の「彼が殺したか」で、こちらは年下君を誘惑する美貌の人妻に、その愛人のボーイが容疑者、という圖式で、犯人ではないのに自分が犯人であると自白するボーイの心のダークネスが次第に明らかにされていくという構成です。
ここでは語りのうまさに、キワモノ的なエロスも添えて、人間の裏面が悲壯なコロシを引き起こしたことが判明します。収録作の中ではかなりの長さながら、後半に進むにつれて奥樣の怪しさや旦那のDV癖などが暴露されていき、最後に明かされる狂人の論理とでもいうべき事件の真相も印象に残ります。
ミステリというよりは、寧ろ秀逸な怪奇小説として評価したいのが、山本禾太郎「閉鎖を命ぜられた妖怪館」で、これは収録作の中では「蜘蛛」と並ぶ掘り出し物でした。お化け屋敷での出來事にある人物の死が語り手を中心に奇妙な連關を見せていくのですけど、そもそもこの偶然の背後には何者かの意図が隱されているのか、それとも単なる偶然なのか、このあたりを曖昧にしたまま物語は進みます。事件の真相が語られた刹那、語り手を中心に偶然と見えていた重なりが怪異ともいえるオチによって見事に決まるところなど、その結構も素晴らしいの一言。
その他にも例によってボンクラ検事を前に、事件の内容を語っていたかと思えば、すぐさま「所で」と話をアサッテの方向に持って行ってしまう法水の強引な推理がステキな小栗虫太郎の「聖アレキセイ寺院の惨劇」など、「理化学的探偵小説」「心理的探偵小説」「医学的探偵小説」「法律的探偵小説」「社会的探偵小説」なんてかんじで纏められてはいる一方、いずれもなかなかキワモノ度が高く、ミステリー文学資料館のシリーズならではの懷かし風味に破天荒なキワモノさが印象に残る作品がテンコモリ、――というわけで、<論理派>編という副題がついてはいるものの、個人的にはキワモノマニアへ強力にリコメンドしたい次第です。