傑作。CFWシリーズのように世界観の構築に力点を置いた作品と平行して書かれた本作、タイトルにもある通り、写楽とは何者なのかという謎を解き明かすというシンプルな構造、――ではなくて、石岡君の遺伝子を一部受け継いだように思われるダメ男が人生の崖っぷちに追いやられた挙げ句、四面楚歌状態から一発逆転を狙って写楽の正体を暴こうと奮戦するという話に平行して、挿話のかたちで写楽がいた時代の江戸の物語が語られるという物語。
とはいえ、骨太の本格ミステリの物語にエピソードが重ねられるという結構は御手洗シリーズの大長編でもおなじみながら、本作で印象的なのは、ダメ男をサポートする美人教授の姿や、冒頭から主人公を直撃するあるトンデモない受難など、物語を支えている諸々の要素が、写楽の正体が明らかにされていくつれ有機的な結びついていくというところでしょう。
一見すると、主人公を襲う受難と写楽の謎はマッタク連関していないように思われるし、いくら主人公を崖っぷちに追いやり、写楽の謎解きに向かわせるとはいえ、この受難はあまりにアンマリじゃないノと感じてしまうわけですが、主人公があるとき突然悟るように、それらはすべて天啓ともいうべきものであり、その奇蹟がまた写楽の誕生のいきさつと見事に重なるという展開も秀逸です。
そして、写楽画と件の主人公を襲うあるものとが美しい連関を見せると同時に、その姿はまた物語の外から眺めている読者からすると、写楽画と主人公が受難に巻き込まれることとなったあるものとが日本の本格ミステリ誕生の姿とも重なりを見せるというメタ的な読みをも可能にしています。
あとがきでは、本作のネタバレも含めて日本のミステリ誕生のいきさつが語られているのですが、何故ここで日本のミステリ史が語られるのか、そしてアジア本格を手がける中でなぜ御大がジョン万次郎の名前に言及するにいたったのか等等、――最近の活躍とも繋がりが見られるところも興味深く、あとがきで明らかにされている本作完成のいきさつが、物語が進むにつれて明らかにされていく写楽誕生までのプロセスとこれまた奇妙な重なりを見せていくところなど、何か天啓という言葉を想起せずにはいられないという不思議な風格を持っています。
主人公はエリートで、金持ちで準ミス(準というところがポイント)の奥さんももらって、本来であれば幸せな筈なのに、何をどこでどう間違ったのか、奥さんはいつの間にかブッ壊れているし、仕事はなくなるし、……というかんじで次第次第に転落していく主人公をダメ押しとばかりに襲う受難はハンパなく、むしろそうした悲劇ゆえに主人公は写楽の謎の解明へと否応なしに放り込まれていくのですが、しかしハードボイルドとはほど遠い主人公の性格を反映してか、そのあたりはややあっさりと描かれ、美人教授との出会いを端緒に写楽の正体へと迫っていきます。美人教授をはじめとする主人公をサポートする面面や、その出会いなど、どこか小説的という言い方もヘンですが、偶然の重なりが続くゆえ下手をするとリアルじゃねえじゃン、なんて感覚を抱く筈なのに、これが何者かに操られるように主人公が突き動かされていく展開は非常にスムーズに描かれています。
繰り返しになりますが、こうした謎の解明に引き寄せられるように様々な人物が主人公の元に参集するという展開が、これまたあとがきで明らかにされている本作誕生のいきさつと奇妙な重なりを見せているところがまた不思議。というわけで、物語を読み終えたあと、あとがきにもじっくり目を通して、本作の余韻に浸るのが吉、でしょう。
写楽の正体は、という人目を惹く謎が物語の中心に据えられているゆえ、一般的には、この物語の中で推理される写楽の正体の驚きそのものへと焦点があてられ、それがいかに説得力を持ち、新味のあるものか云々といったところで本作の評価が定められてしまうのではないか、……という危惧はあるものの、個人的には、本作のキモはまず写楽とは何者かという謎の建て方を、何故写楽の存在が隠されているのか、その理由は、といったところへとずらしてみせたアプローチにあり、そこから写楽の正体そのものというよりは、写楽の作品が世に出る過程を解き明かしてみせたところにあるような気がするのですが、いかがでしょう。
そしてそうした過程を解き明かしていく中で、冒頭に主人公を襲う受難とが連関され、そうした流れを一篇の物語として、外側から俯瞰したときに、写楽画が生まれるプロセスはまた日本における本格ミステリ興隆の暗喩となっている構成が素晴らしい。
また、挿話として描かれている江戸篇も、前半は単なるおしゃべりジャン、と軽くながしていたのが、写楽の謎が解き明かされたあとの展開はもう頁を繰る手が止まらないというほどの躍動感を持って活写されていきます。とくに蔦屋重三郎の、近い将来の悲劇を予感させる終わり方は何ともいえない余韻を残します。
実際問題、写楽の正体こそ解き明かされたものの、主人公の実生活の問題はマッタク解決していないわけで、もちろん主人公の受難の結末も気がかりではあるものの、やはり気になるのは、江戸篇における蔦屋とある人物のその後でありまして、これが現代篇における写楽のその後とどのような連関を見せるのか、このあたりは是非とも続編を期待したいところです。
というわけで、御大の新たなる代表作といってしまってもいい必読の傑作といえるのではないでしょうか。オススメです。