傑作。ジャケ帯にもドカーンと「『イニシエーション・ラブ』の衝撃、ふたたび」とあって、ミステリってよく分かんないケド、『イニラブ』みたいなお話は大歓迎という読者へ大アピールしている一冊ながら、本作の「衝撃」は『イニラブ』とはやや質感を異にします。いや、むしろ『イニラブ』的な物語を期待しているからこそ、最後の一撃で明らかにされる驚愕の真相に頭が真っ白になってしまうという逸品でもあったりするのですが、このあたりについては後述します。
物語は『イニラブ』と同様、ウブでややネクラな童貞君が、とあるきっかけで良家のお嬢様と知り合い、付き合うことになるも、実は彼女にはクリソツな妹がいるらしく、その妹は何と水商売の女。二人の女の間で揺れ動くボーイの心を盤石な恋愛小説のフォーマットにのせて描き出し、最後の最後に驚愕の真相が明らかにされ、――という話。
序章からして何となーく違和感を憶えてしまう書き方がされてい、もちろんそこには乾ミステリならではの企みがあるわけですが、このあたりについては物語が始まったばかりの時点では気がつくこともなく、ほとんどの読者はフツーの恋愛小説として読み進めていくことになると思います。
しかしこの序章には二重の仕掛けが凝らされてい、ある人物が隠そうとしている「もっと大きな嘘」というものが仄めかされ、そこから展開される、そっくりな二人の女という、これまた本格ミステリではお馴染みの装飾に凝らされた誤導が素晴らしい。
『イニラブ』が細やかな伏線を凝らしながらも、仕掛けの存在をまったく気取らせないよう、恋愛小説に見事に擬態してみせたアレ系の物語であったことに比較すると、『イニラプ』をすでに読まれている読者を射程に入れた本作においては、読む側もそうした仕掛けが隠されているであろうことは当然勘ぐってみせるわけで、そうした読者の意識を先読みした大胆な誤導は本作最大の見所でしょう。
このあたりの、あからさまな疑似餌をチラつかせておきながら、読者の先入観を操作してミスリードしていく技法は『イニラブ』というよりは、近作の『スリープ』に近いといえるかもしれません。しかし、『スリープ』における誤導が、質的には同じ二つのものを前景と後景に対置させていたのに比較すると、本作の趣向は大きく異なります。
様々なエピソードや小道具の積み重ねに『イニラブ』を彷彿とさせる伏線が隠されている、――と勘ぐってみせる読者は当然、「そうした読み」をしていくわけですが、このような読みを誘導する前景に据えられた仕掛けは、双子とあればアレ、という本格ミステリ読みの先入観によってさらに強化されてしまいます。しかしそうした誤導の背後でトンデモともいえる大技が隠されていることを読者にまったく気取らせないという技巧が秀逸です。
自分はあるシーンにおけるヒロインの振るまいに強い違和感を憶えてしまい、ハハン、これはきっと『イニラブ』みたいな仕掛けの伏線なんだナ、と考えてしまったわけですが、これが仕掛けの伏線であったことはその通りとはいえ、まさか最後の一撃の伏線だったとは考えもしませんでした。もうこれだけで完敗です。
初読時には頭が真っ白になり、そのあとに再度、細やかな伏線を辿ることで読者が仕掛けを後追いし、もう一度吃驚するという『イニラブ』の趣向に比較すると、本作は『イニラブ』の最後の一撃の意味が分からなかったというビギナーもしっかりフォロー可能、という親切設計でありまして、後半、前景に見えていた仕掛けについては、ある人物たちの会話によって、逸話や小道具の伏線の意味が明らかにされます。
序章のシーンにも繋がるこの仕掛けについては、本格ミステリ読みであれば、大方の読者が中盤で見抜いてしまうことと思います。しかし当然ながら、乾氏にしてみればこの点については折り込み済みで、大技が明らかにされるのはこのすぐ後。
最後の二行で、上に言及したある違和感を憶えたシーンが伏線であったことが明らかにされ、頭が真っ白になってしまい、……そこから後半の謎解きによって確認できた序章のシーンには、さらにその奧へもう一つの大技からなる仕掛けが隠されていたことが開陳されるという二重構造の企みが素晴らしい。
それと『イニラブ』と聞けば、当然期待してしまうエロスの方ですが、こちらは期待通り。特に本作は、娼婦と淑女的なネタゆえ、同じ顔の女がエロいプレイとマグロ、という両方のプレイで魅せてくれるところがいい。童貞君のセックスに対する戸惑いを真っ正面から活写してみせる乾氏の筆致も、これまた『イニラブ』を彷彿とさせ、特に最初の挿入でセックスの快楽に開眼してしまったことの喜びと畏れを、ある人物の壯絶な逸話に絡めて語ってみせたところがいい。
そして本作一番の、――というか、今年のエロミスとして大いなる収穫だったのが、その素晴らしすぎる台詞回し。
最も敏感な先端部分だけが、臨界点を超えようとしている。しかしもっと、身体全体で感じることができたはずなのだ。腰から下が溶けてしまいそうな、本能が身体を支配しているような。獣性をむき出しにした。包み込むような。
――達する!
自分を覆った皮膜の内側に、正明は自分の欲望を吐き出した。
この「――達する!」は、石持エロミスの秀作『君がいなくても平気』における「あ、ん、は、激しいっ」と並ぶエロミスの名台詞として記憶されるべき魂の叫びである、と感じた次第です。
エロもよし、仕掛けもよし、そして女は魔性という『イニラブ』と同様のテーマに真っ向から挑んでみせるとともに、『イニラブ』以上の黒くてイヤーな結末を見せつけた本作、『Jの神話』的なエロミスこそ乾ミステリの神髄と信じる変態君はもちろん、『イニラブ』で見事にヤられた読者も、また『イニラブ』なんて知らないというビギナーも愉しめる一冊といえるのではないでしょうか。オススメでしょう。