毎年恒例となりつつある(?)クラニーの超絶バカミス最新作。しかもジャケ帯の煽りが尋常ではなく「天変地異! 時空超越! 大西洋を股にかける不可能犯罪!」ときて、さらに著者の言葉では「目指すは、バカミス界の小林幸子」。ジャケ帯もネタ、著者の言葉もネタ、さらには著者近影も例のごとくネタ、とここまで仕込めばもう笑うしかないでしょッという盤石さで今回も魅せてくれました。
物語は、シンディなる謎の女がニューヨークとロンドンを行き来して何やらコロシを重ねている様子。その事件をかぎつけた上小野田警部が彼女のいる舘へと潜入して対決を試みるのだが、……という話。
実をいうと件の舘とニューヨーク、ロンドンの謎は早々に見破ることができたのですが、このあたりの「相済みません。簡単なネタで……」と恐縮するクラニーのはにかみ笑いを思い浮かべてしまう明快さはバカミスの歴史的傑作『三崎黒鳥館白鳥館連続密室殺人』を彷彿とさせる、いわば仕様。バカ丸出しで読者を脱力のどん底に突き落とす壮絶な仕掛けが爆発するのはこのあとで、シンディの正体から、さらにはクラニーならではの想像の遙か斜め上をいく暗号まみれ、伏線まみれの結構がご丁寧にページ数と行数をシッカリと添えて明らかにされていきます。
特にニューヨークとロンドンを行き来して犯行を行うシーンを「次ページからは、上下段が同時進行になります」として活写した描写の脱力ぶりは半端ではなく「ビバ!」「ミュージック!」「ビバ! ニューヨーク!」という奇妙な合いの手が時折挿入されるなか、陰惨な殺人と死体の解体が行われていくという展開はもうハチャメチャ。
恐怖というよりは笑いを際立たせたスプラッターはB級ホラー映画そのままながら、活字でしか表現しえない、――というか、活字で表現するからこそニューヨークとロンドンという時空を超えて行き来する方法の真相が明らかにされた刹那の脱力ぶりが最大級に読者の脳髄を崩壊させるという仕掛けはクラニーのバカミスならではのもの。
この仕掛けはいったい何と説明すればいいのか……小森氏のアレとも違うし辻氏のアレとも違うし……作中でも名前が挙げられている泡坂、コルタサルとも明らかにその狙いは異なるしと、「こういうもの」を「こういうかたち」であからさまに過ぎる伏線として明示してみせたクラニーのバカすぎる剛毅に注目でしょう。
仕掛けと結構そのものは、クラニーのバカミス『三崎黒鳥館白鳥館連続密室殺人』と『紙の碑に泪を』を折衷させたものと見ることも可能ながら、個人的には自己模倣的でバレバレな瞬間移動の仕掛けを読者にはイージーなトリックとして、――いうなれば手の内を晒すようなかたちで見せながらも、それがひとたび「活字」として活写された「小説」の中では「伏線」として機能していることを読者は気づかせないという企みが素晴らしい。
トリックは判っているのにその伏線の妙技は気取らせないという、何ともひねくれた仕掛けを、クラニーらしい超絶技巧で体現してあるところが最高で、読者が見破るべきは本丸のトリックではなく、そのトリックが「活字」による「小説」として描かれたときの精緻な「伏線」にあるという奇妙な転倒、――魂を抜かれかねない脱力の真相とは裏腹に、一字一句から組版に至るまで、描かれた「物語」としてはもちろん、印刷された「小説」として対峙することを読者に強いる挑戦的な一冊といえるのではないでしょうか。
クラニーのバカミスといえばだいたいの手の内は判っているとはいえ、それでも細部の全ての「伏線」をすくい取ることができたかどうか、……作者が頁数と行数を明示してその「伏線」を晒している謎解きと照らし合わせつつ、そのあたりの答え合わせを愉しむのもまた一興でしょう。
バカミスアワードを受賞した『三崎黒鳥館白鳥館連続密室殺人』以上にシーンがアレゆえ、ニューヨークとロンドンといった地名の印象との落差に読者の脱力ぶりは尋常ではなく、さらにはB級ホラー的な猟奇が主人公を襲うアレ過ぎる結末など、すべてはネタとして消費されることは折り込み済み。クラニーのファンであればまず文句なしにニヤニヤすることができるのではないでしょうか。
しかしチョットだけ心配してしまうのは、ジャケ帯に「文庫化不能!」とある通りに、ここまで活字に意識を配った作品ともなると文庫落ちさせることはまず無理なわけで、単行本からノベルズ、そして文庫へと落としていくことで新味を出し、新たな顧客層を開拓していくという、――日本の出版モデルからは完全に背を向けた仕様の本作の行く末はいかに。
あとクラニーといえばバカミスという印象が思いの外強くなってしまったわけですが、クラニーを偏愛するファンとしては、『湘南ランナーズ・ハイ』のような美しい伏線を凝らした秀作や、暗号の奏でる悲哀の真相に落涙必至の名作『遠い旋律、草原の光』などの感動ものにも興味を示してもらえればなア……と思ってしまうのでありました。