という譯で前回の續き。
昨日はDV男がマゾ巫女をイジメまくる「巫女」だったので、今日は「死霊」からということになりますか。
冒頭、飯屋をやっている姉妹のひとりが強姦されたシーンから始まるので至極マトモな探偵小説かと思いきや、すぐさま犯人は捕まり次節からはこの犯人の一人語りが始まります。語り手の男はしがない錺職人で元は身分の高かった美人妻を娶るのですが、女はすぐに病気となってしまいます。
しかし男は一日たりとも女なしでは過ごせない絶倫男だったから大変ですよ。妻は病気で家事も出來ない有樣なのに、毎晩男は妻の体を求めます。當然ながら病状は悪化の一途を極め、妻は死亡。しかし彼女は死ぬ前に「でもわたくし、生きている限りは……。いえ、死んでもあなたのおそばにいてお尽くししますわ」といっておりまして、それが単なるリップサービスではなかったところがこの物語のキモ。
妻に先立たれた男が死に場所を求めて、夜の街をぶらぶらと歩いていると、前を行く女が突然振り返ります。見ると女は亡くなった妻にソックリ、というかマンマ彼女で「お遊びになる?」なんて艶然と微笑んできたから男はもう堪りません。広場の隅の暗がりに二人して行くと、いつもの通り女の体に愛撫を繰りだしながらグイグイと首を絞めていきます、……とここで男は首締めサド男であったことが判明、肺病病みの女の首を毎晩ギュウギュウ絞めていたら、そりゃあ死にますって。
抵抗する女に我を忘れて夢中になり、氣がついてみると女を絞め殺してしまっていた。そしてこんなことが何度も續き、最後に男は現行犯逮捕。しかしそのまま物語が終わる筈もなく、次節は「あなた!わたくしの永遠の夫、苗藤減吉さま!」という妻の叫びから始まり、男が何故に稀代の強姦魔となってしまったのかその理由が妻の口から語られます。要するに亡くなった妻は、女に取り憑くと絶倫夫を誘惑し、女たちを夫の慰み者へと捧げていたというのです。
最後は男が現行犯逮捕されるシーンを女が語って終わり、ってこれじゃあ哀切も何もあったもんじゃありません。何ともはやな結末に、病弱な妻へSMを強要した絶倫男の因果應報を見るべきなのか、それともこのナンセンスを笑うべきなのか、作者の意図をつかみかねてこちらも苦笑いするしかありません。
「人形はなぜ作られる」は、まずタイトルが「殺される」じゃないところに注目ですよ。こちらは変態緊縛探偵小説ですから、間違っても名探偵の超絶推理などを期待してはいけません。主人公となるのは七十の老人に見える人形作りの職人で、彼はゴムを使ってかつての恋人アイ子とそっくりな人形をつくろうと考えます。
人形といっても素材はゴム、さらには昔好きだった女がモデルとくればアレしか目的はないだろう、なんて下卑な妄想をしてしまうのが普通でしょう。しかしこの莨の脂で黒くなり、二三本前歯の欠けた老人は誇り高き職人でもありまして、素晴らしい出来榮えのアイ子をマネキン屋に売りに行くと、店の主人もこの人形に惚れ込んでしまい、もっとこいつを作ってほしいと老人を煽ります。
アイ子を売った金で色街に繰りだしたものの、どの女を抱いても自分がつくったアイ子ほどのものではないと感じる老人は、よしとばかりに次なる人形の製作にとりかかります。前回以上の出来榮えにアイ子をじっと見つめているとムラムラしてきた老人は、股の付け根に切れ込みを入れて、……ってこの後は予想通りの展開ですよ。
「泥棒たちと夫婦たち」は三人の泥棒の語りで進む話で、忍び込んだ屋敷から男と女の死体が見つかり、その現場にこの三人がいたことから、彼らが殺したものと疑われます。しかし眞相は、……という話。死んでいた二人は夫婦でサドマゾの快樂にとらわれた変態で、特に女のサドっぷりが拔きんでています。屋敷の中の樣子を窺っていた泥棒のひとりを捕まえると椅子に縛り付けて鞭で叩く、寝台に縛り上げた夫に「熊になれ!」とか声をあげてこれまた鞭でシバき倒すという有樣。そうして過ぎたお遊びの末、思いも寄らない事態が発生して……。サド女の変態ぶりの眞相に少しばかりミステリ的な逆転が見られるあたりがちょっと面白い。
「虫のように殺す」は、ゴキブリが出没するアパートに住んでいる男が主人公で、彼のゴキブリに対する恐怖と憎しみが延々と描かれる前半が一転します。後半は激しい自己嫌惡に襲われた主人公がキ印へと変貌、恋人に不能者と罵られたのをきっかけに、幻覺なのか現実なのか判然としない状態で彼は女を殺害し、……という話。ちょっと最後をどう判断すれば良いのか迷ってしまう困ったオチに頭を抱えてしまいますよ。
「変面術師」は失踪した妻と新宿で会った、という友人の台詞から始まります。妻はポン中で警察に捕まり、自分も同行して彼女は妻であるというのだが納得してもらえない。仕方なく警察を出て道を歩いているとまた妻がいる。彼は女に声をかけられてホテルに入るのだけども、体は妻とは似てもにつかない赤の他人。新宿のその界隈に立っているパンパンが盡く妻の顏をしているのは何故なのか、どうやらその背後には変態醫者の暗躍があり、毎日一人づつ同じ顏の女(要するに男の妻)が増えているというのだが、……という話。
最後に男と私はその変態醫者のアジトを急襲するのですが、ここにいかにもなトリックが仕掛けられているあたりが笑えます。しかしそのキ印醫者の名前が珍古博士というのは、あまりにベタ過ぎやしませんかねえ。
「矮人博士の犯罪」も同じくマッドサイエンティストの物語。青年を誘惑する謎のクイーン、そして奇怪な窃盗団、更には人口問題の權威であるキ印博士の關係を新聞記者が追いかけていきます。人口問題を解決する為に女を使って青年を誘惑、誘拐した青年たちを実驗台にし、擧げ句に彼らを奴隸にして銀行強盗を働くという、さながら子供向けヒーローもののような惡役っぷりが何ともな一篇です。
續く「掌にのる女」なんですが、これ、確か岩井志麻子が子供の頃に讀んでトラウマになったやつじゃなかったでしたっけ。内容はかなり強烈で、新聞の自殺記事にかつてご近所さんだった男の名前を見つけた夫婦が、郵便物を受け取ります。その差出人は何と、新聞にも名前が載っていたかつてのご近所さんで、そこに書かれていた驚くべき内容とは、というお話。
その手紙に綴られていたことというのは、要するに変態夫婦の祕め事でありまして、酒も煙草も賭け事もやらない眞面目な旦那の唯一の樂しみは妻とのアレ。今日はこれ明日はこれとあらゆる変態行爲を思いついては次々と手をつけていった夫婦が見つけた究極の樂しみというのが、ゴムを使用してのボンテージプレイ。
ゴムパンツに始まり、ゴム製のコルセット、更には二人でゴム袋の中にすっぽりくるまってみたり、表面にアニマル柄を描いたゴム服を妻に着せて部屋中を這い歩かせたりと、思いつくものに片っ端からチャレンジしていった二人が行き着いたのが、頭の先から足の先まで萬遍なく緊縛出來るゴム袋。
この袋に妻を入れて一晩中放っておく。窒息寸前のまま長時間放置しておくという緊縛遊戲の悦楽に目覺めた妻は、更なる快樂を求めてゴム袋をどんどん小さくしていくのですが、それにつれて彼女の体はどんどん小さくなっていって……。カタストロフというにはあまりに異樣、そして悲劇とも喜劇ともつかない微妙な結末には言葉を失ってしまいます。この怪しさは確かに子供が讀むにはあまりに危険。ボンテージ、フリークス、変態と作者の個性が最高の純度で体現された當に怪作でありましょう。
「僕はちんころ」は卷末の山村正夫の解説によれば、「浮浪者生活を送っていたチビの男が、盛り場のバーのマダムに拾われ、彼女の投げ與えてくれる殘飯で野良犬のように飼われるという、奴隸同然の卑屈な生活をミステリー風にまとめた物語」とのことなんですけど、これ、自分は「主人公は人間と思わせておいて実は犬」というアレ系の物語だと思っていましたよ。このあらすじから「べろ母」の「菜人記」を思い浮かべてしまうのですが、あそこまで悲慘ではありません。
本書の最後を飾る「天人飛ぶ」は羽衣伝説とボンテージを強引に融合させた変態小説で、バザーで手に入れた美しいコルセットをマネキンに着せて悦に入っている男と、そのコルセットの元持ち主だという女の物語。コルセットを返してくれ金は払うからという女に、男は金などいらない、貴方が欲しい、とブチかまします。
「あなたは、僕が夢にまであこがれていた方です。だからお返しはいたしません。昔、天人の羽衣を手に入れた漁師は、それを返さなかった為に、天人までを手に入れました。あなたは天人です……」
「あなたは漁師のように、いやしい方ですか?」
「いいえ、漁師よりもっといやしい男です。……」
コルセットを返してもらいたい女は結局男と一緒に暮らすことになるのですが、後半に至って彼女は宇宙人であることが発覺、果たして二人の別離の日が近づいてきて……。お伽話が、最後に語りの外で妄想から現実の事件へと転化する結末がいい。
初出一覧を見ると、作品の殆どは「宝石」に、そして「変面術師」と「矮人博士の犯罪」というマッドサイエンティストもの二作は「探偵倶楽部」に掲載されたということになっています。興味深いのは、探偵小説というよりはブラックな幻想小説ともいえる「虫のように殺す」が「幻影城」に掲載されたことでしょうか。
個人的にピカイチなのはやはり「巫女」。壯絶な仕打ちにも耐えながらサド男に從順に從う女の変態ぶりがおかしくも哀しい。また「死霊」も妻の献身ぶりが結局愛するものを奈落の底に突き落としてしまうという転倒が素晴らしい。この二作がごく普通の変態小説だとすれば、「掌にのる女」は當にジャケ帯の煽り文句、ボンテージミステリという言葉に相應しい怪作でしょう。コルセットに異樣な執着を示す「天人飛ぶ」や「白昼艶夢」の変態ぶりも捨てがたい魅力があります。ナンセンスな風味が際だった「変面術師」や「矮人博士の犯罪」は、この中ではちょっと異色。何となく海野十三のような雰圍氣が感じられるのは、やはりマッドサイエンティストの変態ぶりが際だっているからでしょう。
という譯で、キワモノファンとしてはマストの本作でありますが、究極のキワモノとなれば、今ですとやはり「べろ母」、ですかねえ。二作の違いを挙げるとすれば、「べろ母」はマゾ男の変態ぶりが際だっているのに対して、本作はマゾ女。変態の根本は同じであるとはいえ、このあたりの表面上の嗜好の違いで、自分の好みを探ってみるのも面白いかもしれませんよ。