第一回島田荘司推理小説賞入賞後第一作となる林斯諺の新作。傳博こと島崎御大が指摘されている通り、重量級のド派手なトリックが炸裂する「冰鏡莊殺人事件」に比較すると、サスペンスを基調にした火サス的展開までを盛り込んだ風格ながら、そこは同じサスペンス調の佳作「涙水狂魔」でも読者を欺く極上を仕掛けで見せてくれた林斯諺のこと、本作もまたタイのパタヤという異国を舞台に怪異も織り交ぜたトリックを盛り込んだ逸品へと仕上げています。
物語はタイはパタヤのホテルで発生した不可解な人体発火消失事件と、その事件の写真を偶然に撮影した台湾人カメラマンの奇妙な死、という二つの事件の連關を描いていくというもので、林斯諺のシリーズ探偵となる林若平が危機一髮となる007チックな展開も交えてテンポよく進んでいきます。
台湾でのカメラマンの死は、暗室での刺殺に死に際の伝言をプラスした、いうなれば本格ミステリでは定番の趣向を凝らしたものながら、本作ではこのダイイング・メッセージに敢えて拘泥することなく、物語の中心をタイのパタヤに絞ってあるところがミソ。
序盤、このダイイング・メッセージをその文字通りにタイのホラー映画のタイトルと見なして、心霊写真を撮影したカメラマンの死と繋げつつ、件のパタヤでの怪異へと読者を導いていく展開はサスペンスを基調にした風格だからこそ際立ち、これがまた極上の誤導を誘発する仕掛けとなっているところが秀逸です。
パタヤのホテルでの怪異というのは、部屋ン中を人魂めいた青い炎が暴れ回り、その炎に包まれた男がベランダから落下、建物の下にあったプールにザブンと落ちるもプールから男の死体は発見されず、……というもので、死体が上がらないゆえに消失事件として扱われることになるのですが、この事件をとある人物が雑文として雑誌に掲載したことが発端となって台湾の殺人事件が発生し、――というフウな見立てで物語が進んでいくものの、最後の最後にフーダニットでシツコイくらいに二転三転してみせる展開は、今までの林斯諺らしくないサービスぶり。
実をいえばパタヤホテルでの消失事件の「トリック」は、大方のミステリ読みであれば「おそらくこんなかんじだろうナ」とイメージできるものながら、本作が優れてい、また従来の林斯諺の作品と一線を画す向上を見せているのは、この「トリック」を精緻な「ロジック」によって追い込んでいく展開を見せる推理シーン。
例えば「冰鏡莊殺人事件」ではその複雑なトリックゆえに、いくつもの伏線が怪異のかたちを纏って描かれてつつも、探偵若平は最後にあるものを見つけることで、そのトリックへとたどり着く天啓を得るわけですが、本作における若平の推理はそうしたひらめきにいっさい頼ることはありません。
複数の目撃者の証言を精査して、そのいずれが正しく、また正しくないのか、信頼できないのかという仕分けを論理学の講釈を交えつつ、証言のなかから真実の事象のみを抽出し、そこで使われたトリックを導き出していきます。読者としては冒頭、この怪異が描かれたシーンからおおよそのトリックの概要はイメージできるものの、例えばそのトリックに使われている「あるもの」がアレではなくコレ、というような限定はそうしたひらめきに頼るだけでは決して細かい部分までの正解にたどり着くことはできません。
若平の推理はそうした細部に至るまでの正解を上に述べたようなロジックのみを武器にして導き出していく。クイーン級の精緻なロジック派と見なしていた林斯諺が長編作品ではそうしたロジック派にはおおよそ似つかわしくない――これも個人的な偏見といえば偏見なのですが――ど派手なトリックをブチ込んだ館もので攻めてくる戦術にややぎこちなさを感じていたのですが、本作ではそうした「ロジック」派としての精緻な論理の戰法を先鋭化させながら、「トリック」との鮮やかな融合を目指した作品として、林斯諺の諸作の中でも注目すべき逸品といえるのではないでしょうか。
事件がシンプルであるがゆえに、探偵若平の開陳するロジックとその用い方は非常に明快で、かつそのトリックが読者にも容易にイメージできるがゆえに、そうした「ロジック」と「トリック」の融合という本作一番の趣向に、本格マニアの方々の中にはやや物足りなさを感じてしまう人がいるかもしれません。しかし、このロジックによってトリックを追い込んでいく趣向は、例えば『探偵小説のためのゴシック「火剋金」』とその方向性を同じくするものでもあり、個人的には日台で同時にこうした方向の作品が刊行されたことが興味深いナ、と感じた次第です。
そして台湾とタイでの二つの事件を連關させるきっかけともなったダイイング・メッセージの意味が二転三転したフーダニットの暁に明らかにされるのですが、この何とも皮肉な結末もマル。怪異を重ねに重ねたものに見えた二つの事件は、ロジックによってリアルにして下世話な三面事件へと解体されていく展開に、若平を探偵とするシリーズものならではの哲学趣向を添えた構図も素晴らしい。
その他、おおよそ体力勝負の行動派には見えない探偵若平が今回は、異国を舞台にバナナのエキスを体中に塗りたくられて猿集団を襲われたりとハリウッドばりのシーンが盛り込んであるところが新機軸、――というか違和感アリアリ(爆)。ただ、「冰鏡莊殺人事件」のようなド本格とでもいうべきコード型本格の風格だけではなく、こうしたサスペンスを基調とした本格もシッカリと描ける作家であることを見事に証明して見せた本作は、林斯諺の初心者でも安心して手に取ることのできる一冊といえるのではないでしょうか。オススメでしょう。