不条理ワールド狂い咲き、ズビズバー。
個人的にはかなりお氣に入りの作者であるあせごのまん氏の第二作。「エピタフ」というタイトルからして、アレが好きな人はこの言葉を聞いただけでもしかしてアレかなア、なんて期待してしまうんですけど、あとがきを讀んだら案の定、アレだったことにちょっと嬉しくなってしまったものの(意味不明。でもプログレ好きには分かりますよね)、収録作のすべてが何というか、「エピタフ」の引用元そのままに非常にマイナー路線、というか、どう考えてもメジャーでブレイクは不可能、という作風でありまして。
収録作は、「余は如何にして服部ヒロシとなりしか」の不条理世界をもっとねじくれた方向に暴走させたねじ式ワールド「憑」をはじめとして、筒井康隆風のブラックな味わいがメジャーには転ばないまま敬愛する式貴士センセ風に爆発する「ニホンザルの手」、語り手の過去の記憶と幻想がうつつと夢のあわいを振幅しながらおぞましい恐怖を喚起する表題作「エピタフ」の全三編。
「エピタフ」は冒頭、ボケ婆を相手にブチキレ寸前の嫁さんとの妙チキリンな會話から始まるものですから、これは克美さん系統のお話かなア、なんて考えていると、唐突に舞台は大学の研究室に飛んで、民話を研究テーマにしている語り手の僕が「早く卒論出せ」と助教授に絞られている。で、この僕は鰻恐怖症で、これはどうやら幼少期のトラウマに原因があるらしい、ということで鰻をひとつテーマに論文をデッチ上げてやろうと、かつての郷里を訪ねることに。
自分が子供の頃、友達のくろちゃんの家族には不幸があったと語り手は述べているんですけど、この事故の記憶が曖昧なところがミソで、くろちゃんの家に泊めてもらうことになった僕は鰻にまつわる民話の謎を突き詰めていくうちに、おぞましい記憶を思い出すに到り、……という話。
惚けたユーモアも交えて展開される前半から、次第に不穩な空氣が充ち滿ちていく後半への筆の進め方が見事で、時折語り手の夢とも記憶の斷片ともつかない情景が挿入されることによって、語りの信頼が搖らいでいくという構成も御約束。薄氣味惡い何ものかの存在を敢えて語らずに引っ張っていくところが秀逸で、収録作の中では作者の思い入れもあってか、とぼけた中にも情念の重々しさ、禍々しさを感じさせる作品です。
語り手の不安定さの効果ゆえか、どうにもまどろみの中で見る夢の景色のように曖昧なところが自分的にはツボで、このあたりの風格をハッキリしなくてツマンないと感じるか、或いは自分のようにハマれるか、その人の好みによって評價が大きく分かれるような氣がします。
語り手が最後に對峙する眞相や、そこに到るところで炸裂する氣持ち惡い描寫も滿點で、蛇ではなく鰻というヌルヌル系の極まったおぞましさと腐乱死体などの不快テイストが混淆した雰圍氣は最高で、ところどころに挿入される民俗學系統のネタとの、何処かずれているように見えるミスマッチさもいい。
ただ主人公の過去の記憶とか、郷里に歸ることよって過去の恐ろしい記憶の眞相が恐怖を喚起するという構成は、最近とりあげた高橋克彦の記憶シリーズにも通じるところがあるかと思うんですけど、あちらがエンタメ風味も交えて愉しみどころも明快なのに比較すると、やはり本作はどう転んでもインディーズ系。
そもそも自分のようなキワモノマニアに絶賛されてしまうところからして作者の狙っているテイストはどう転んでもベストセラーにはなりえないのではないかなア、なんて考えてしまうんですけど(爆)、まあそれでも解説では東氏もその獨特の作風と民話テイストを評價してくれているし、個人的にはキワモノというよりは東氏のファンなどのそちら系の方に讀んでもらいたいと思うのですが如何。
「ニホンザルの手」はそのタイトルから洋モノの傑作怪談を思い浮かべた人は正解で、本作ではあのネタに式貴士フウのスラップスティック、脱力、ブラックやグロをブチ込んだ作品。
本來であればここでもこの作風で來たのであれば筒井康隆氏の名前を挙げるべきなんでしょうけど、作者の暴走ぶりやところどころに仕込んであるギャグっぽいネタがどうにもマイナー系統のそれであるところが何とも乍ら、式貴士ファンにしてみれば、このマイナーっぷりが堪らなく懷かしい。
最後のブラックな終わり方や猿の手への願い事がアレだというところなど、式センセの短篇のあれこれを思い浮かべてしまうところも個人的にはナイス。ズビズバーとかいう猿言葉の語感の脱力ぶりなどキワモノにはこれまた堪らないんですけど、この作品もやはり讀者を選ぶような氣がします。
「憑」は頭の足りない馬鹿男が母親の發狂をきっかけに長屋でヌレオナゴを奉るマイ宗教を開基、そこに福祉事務所の職員などを交えてメチャクチャな騒動が卷き起こり、……という話。ただ騒動といいつつ、この馬鹿男の狂いっぷりが不条理世界を現出させるところなどは「余はいかにして……」と風格を同じくするものの、おぞましさのハジケぷりが平山氏の作品に比較するとどうにもおとなしく感じられるしまうのが物足りない、ですかねえ。
ただ、このある種のとぼけた味わいや淡々とした雰圍氣は作者の持ち味でもあって、それだからこそ夢と現実の境界を容易に行き交うような不安定な筆致が活きるともいえる譯で、ここでは寧ろこのストイックさを堪能するべきでしょう。
という譯で、第一作集に比較すると、いよいよ不条理極まる奇天烈な作品ばかりで、前作の例えば「浅水瀬」や「克美さんがいる」のような明快な仕掛けを排除した作風ゆえ、非常に讀者を選ぶかと思われる本作、願わくばミステリや幻想小説ファンの中では數少ない式貴士ファンが手にとってくれればなア、と考えてしまうのでありました。