マラソンの進行過程を綴りながら、その中に本格ミステリな仕掛けを凝らした作品というとまずピン、と思い浮かぶのがクラニーの「夜になっても走り続けろ」や傑作「湘南ランナーズ・ハイ」だったりするわけですが、本作も「湘南……」を彷彿とさせる素晴らしい騙しの技巧を凝らした一作で、堪能しました。
物語は、福岡国際マラソンを舞台に、何やら企んでいそうなペースメーカーの男や、自己チューなエリートランナー、アイドルの走り屋、白バイ警官などの視点を交錯させながら、マラソンが進んでいく過程を描き出していく、――というもの。
マラソンの展開そのものにも様々な駆け引きがあったりして、かなり引き込まれるのですが、本作を本格ミステリとして見た場合、一応主人公と思しきペースメーカーの男がいったい何を企んでいるのか、という「謎」と、中盤あたりで発生する予想外の事件の真相という「謎」に着目しながら讀み進めていくのも勿論アリ。
中盤あたりで発生するある事件の様態は、いかにも本格ミステリらしく、そのトリックについてミステリ読みはあれこれと考えてしまうのでは、と推察されるものの、こちらの方は探偵役が結構アッサリとした推理によって真相を明かしてしまうというビギナー向け。寧ろ、本作最大の見所は、ペースメーカーの男がいったい何を企んでいるのか、というところでありまして、このあたりに細やかな誤導を効かせた結構が心憎い。
ペースメーカーの男の視点による独白がもっとも緻密に描かれているという構成ゆえ、この企みの主体についても当然、読者としてはある方向へと思考を巡らせてしまうものの、本作では、この企みにどうやら彼の妻も絡んでいるらしい、というところが絶妙な効果をあげています。夫婦ふたりでやり遂げようとしているあるもの、という表層上の行為から連想されるあることに、実況中継という企みを外側から俯瞰するかたちで語られる事柄が補完する、――という見せ方で読者の意識を操作する技法が素晴らしい。
さらに本作が優れているのは、この企みに絡めてある行為の主体を最後の最後で転倒させるという仕掛けの裏にもう一つ、本格ミステリならではの仕掛けが隠されているところでありまして、それがまた作中でホンの少しだけ、独白を添えるかたちで明らかにされているある人物の心情を真相開示とともにイッキに明らかにしてみせるという二段重ねの結構によって、見事な感動の幕引きを引き出してみせたところも秀逸です。
主体の転倒ともうひとつの仕掛けが重なるという真相開示のシーンが醸し出す感動に比較すると、より本格ミステリ的な件の事件の真相については、この「犯人」のアレっぷりが際立つという落差に苦笑してしまうものの、よくよく見ると、感動の仕掛けに関しては、過去を克服し未来へと飛翔する隠された主人公の内心を描き出し、その一方で件の本格ミステリ的な事件については、過去の「犯罪」による因果応報を活写しているという点でシッカリとコントラストを効かせているわけで、二つの仕掛けを対置させた登場人物たちのキャラ立ちもいうことなし。
マラソン小説として息詰まる走者たちの姿を追いかけていくのもアリだし、本格ミステリとして作者の巧みなミスリードにはまって、最後の最後で明らかにされる眞相からその鮮やかな手さばきに喝采をおくるもよし、という非常に美味しい一冊で、鳥飼ミステリファンのみならず、一般読者にも充分にアピール出来る逸品といえるのではないでしょうか。オススメ、でしょう。