「エデン」の原点ともいえる本作、「エデン」を読むと見えてくるミステリとしての共通項などもあったりして、再読ながら非常に堪能しました。これだけ有名な作品なので、今さら内容を説明するまでもないのですが、ロードレースのアシストを語り手に、過去のレース中の事故を「謎」として、ある人物に疑惑を向けながら現在のレースの様子を活写していくという結構です。
レースのシーンが鮮やかに描き出され、それが本作の魅力の一つでもあり、ミステリやサスペンスといったものを意識せずとも十二分に愉しめる作品ながら、本格ミステリとして見た場合、前半での過去の事件という謎の提示が、語り手の意識の変化とともに読者を誤導させるための仕掛けとなっているところが秀逸です。
そしてオーソドックスな展開であれば、語り手に悲劇が訪れ事件の当事者となるのが常道ながら、本作が優れているのはそうした常道を敢えて採らず、後半の事故からは一転して、それまで疑念を抱かれていたある人物の行為に焦点が当てられていく結構でしょう。
それによって再び過去の事件が掘り下げられ、その眞相が完全なかたちで読者の前に提示されるのかと思っていると、ここでも物語は軽やかにそうした読者の期待を裏切るかたちで進められていきます。語り手は自分が巻きこまれることになった現在の事故の眞相に対峙するのですが、そこでは過去と現在の事件の当事者それぞれの想いが交差され、最後にタイトルにも暗示されている意味とアシストという語り手の立場が美しい転倒を見せるという仕掛けは本作最大の魅力でしょう。
「エデン」を読了し、ざっとネットでの感想を見てみると、本作は絶賛されながらも「エデン」はミステリとしても少々物足りない、……というような意見もあったような気がするのですが、実をいうと、本作と「エデン」のミステリとしての結構はよく似ています。
ある地點から提示される謎の提示そのものが、登場人物に対する印象に関して読者を誤導させるために機能している点や、後半部の事件の発生をきっかけとして、眞相の開示が行われ、それによって登場人物の印象の転倒が鮮やかに行われるところなどがそれに当たるわけですが、そうしたミステリとしての結構の類似性にもかかわらず、「エデン」にはどうしてそのような印象を持たれるのか、――というところが個人的には興味深く感じました。
これについては、二作の仕掛けがもたらす構図の樣態の違いにあるのかな、という気がします。本作では悪役とでもいうべき疑惑を持たれた人物の印象が美しい反転を見せ、それが感動を牽引する機能を果たしているわけですが、「エデン」では、まず前半部に提示される、――読者へと誤導を仕掛けるための「謎」が「事件」ではなく、「疑惑」という程度の軽いものであり、それゆえ事件の構図が明らかにされた瞬間に現出する転倒の強度も弱くなったのがその理由では、――などと考えるのですが、いかがでしょう。
同時に人間の心理として、悪から善というプラスのベクトルを向いた転換は読者により意想外な印象を持たせるのに効果的ですが(最近の作品で、これがうまく用いられていたのはこの作品)、その逆、あるいは中庸から悪というようなマイナスの転換は日常生活でも見慣れているゆえ、それほど読者を驚かせることはありません。
こうした二作の「謎」の提示の趣向がもたらす印象の違い、――それが後段の眞相開示によってもたらされる驚きの強さの相違に現れるのカモ、などとミステリ読みの自分は考えてしまうわけですが、ただ、色々な感想を見てみると、本格ミステリが必然的に内包している人工性を嫌がり、本作をミステリ、サスペンスというよりは人間ドラマとして愉しんだという意見も多く、次作となる「エデン」では、敢えてミステリとしての強度を弱めるため、謎の樣態を本作における「事件、事故」といったものから、「疑惑」というものに置き換えてみせたのかな、という気もしてきます。
ただ、ミステリ読みが読めば、「エデン」もまたミステリとしての構造としては「サクリファイス」と同様の強度を持っていることが判るわけで、ある意味、「エデン」という小説は、普通の小説読みが読めば普通に愉しめるし、ミステリ読みがしっかりとその構造を讀み解けばミステリとしても愉しめるという意味で、非常に周到な「うまい」作品といえるのではないでしょうか。
「エデン」を読んで、次に本作を手に取るという読者はアンマリいないのでは、と推察されるものの、「エデン」でときおり語られる「あの人」のことが描かれた本作を読んでおいた方が、より「エデン」に書かれた哀切の輪郭がハッキリと見えてくるのではないか、ということで、個人的には本作をまずは手にとり、そのあと「エデン」という順番での読みをオススメしたいと思います。