三卷は「北の夕鶴2/3の殺人」、「高山殺人行1/2の女」、「殺人ダイヤルを捜せ」、「消える水晶特急」の四編を改訂完全版で収録した一冊です。ここでもやはり興味深いのは月報でありまして、今回は「新本格黎明期の思い出」と題して綾辻氏との對談が収録されています。
今回の對談を読んで、あらためて綾辻氏の慧眼というか、作品の見る眼の凄さというものを感じた次第でありまして、二人の出会いの話から始まるその内容は、次第に本作に収録されている「夕鶴」の話題へとうつっていくのですけど、ここではこの作品に対する達人巽氏と綾辻氏との読みの違いに注目でしょうか。
巽氏からもらったという手紙に記されていた「夕鶴」の感想について、御大が明かしているところを引用すると、
……その後『北の夕鶴2/3の殺人』を出した時に、自分はこの行き方には異議があると、吉敷という人の男のロマンと、本格トリックの乖離という問題で、彼から批判的な内容のお便りをもらったことがありました。それはまあ、すごくよく解るんですが。
一方、綾辻氏は「『北の夕鶴』を読んだ時は、この大トリックはもしかしたら御手洗用に考えておられたのかな、と思った」といい、そのあたりに乖離について、
巽さんが言われたのは、吉敷物のリアルな人間ドラマ性とあの大トリックとが、小説の中でちょっと衝突しているのではないか、ということだったんでしょう。
と指摘しつつ、この作品については「キメラ的な傑作」という感想を述べています。キメラという言葉は確かにその通りで、よくよく御大の作品を思い返してみれば、「夕鶴」以降に書かれた御手洗のものの大作、――「水晶」にしろ、「アトポス」にしろ、それらはファンタジックな昔語りに大トリックと冒險譚のすべてが融合どころか、それぞれの要素は強力な個性を主張しながらそれらを神業的な技巧によって一編の物語に昇華されてしまったという凄まじさで、いうなればこうしたところを突き詰めていったのが現在も繼続中の「C.F.W」ではないかと個人的には感じているゆえ、すでに「夕鶴」が発表されていた段階で島田ミステリのそうした要素に着目していた綾辻氏の慧眼には驚きでした。
それともうひとつ、ここでは「もし『夕鶴』が吉敷ものではなく御手洗もので書かれていたら……」という「もしも」の話が語られていて、綾辻氏曰く、
もしも御手洗潔が、『北の夕鶴』の「三ツ矢マンション」の謎に挑んでいたとしたら……もちろんそれも面白いと思うんですけど、たぶんある意味、”当たり前な面白さ”になるんだろうなと。それは果たして、『北の夕鶴』で吉敷が、あるような苦境の中であの謎を解いた時の感動に及ぶだろうかって、そんなふうに考えたりもするんです。
この発言の前には「吉敷という男のロマン」が話題にあがっていたため、ここでそうした「ロマン」を物語そのものが内包する「感動」へと繋げて、あの作品が吉敷ものであったがゆえに傑作となりえたところを探っていくところには大いに頷けます。
しかし、自分がこの作品が吉敷ものであったことで大いに感心したのはもう少し本格的な技巧に関するところでありまして、あの破天荒な大トリックにどのような「氣付き」を添えてそれを「眞相」への道筋となる「推理」へと連關させていくのか、――そのあたりの結構を見ていくと、やはりこの作品は吉敷が通子への思いを貫くがため、滿身創痍になりながらも、その「眞相」を幻視する、――という流れがあったからこそ、あの眞相開示にも強い説得力を持たせることができた、と感じているのですがいかがでしょう。
この「推理」の端緒となる「氣付き」について見ると、御手洗ものの場合、彼の天才性ゆえに淀みなく「推理」を語られてもボンクラの自分としてはどうにも呆氣にとられてしまう、ということが往々にしてあるわけですけども、一方「夕鶴」の場合、「男のロマン」が底流にあるからこそ、吉敷があのような状態で「眞相」を幻視するという流れが「推理」を構築するための「氣付き」となって強い説得力を帶びてくるわけで、……これが御手洗ものであったら、むしろそうした推理の前段階となる「氣付き」をさらりと流したままの一作となって、強烈な眞相には驚きこそすれ、その推理が果たしてここまで強い説得力を持っていたかどうか、それは綾辻氏の言われるような「当たり前な面白さ」のみでとどまってしまったのではないか、……などなど、綾辻氏の言葉をきっかけに色々なことを考えてしまいました。
それと後段では、當時の本格ミステリにたいする風當たりの強さについて、出版社の編集者が本格というものをどのように考えていたのかというあたりが語られているのですけど、この話題については作家からの意見と印象については多くが明らかにされている一方で、この當時の「本格ミステリの側ではない」編集者の言葉というのがマッタク聞こえてこないことに、個人的にはちょっとしたもどかしさを感じておりまして、誰か、このあたりについて語ってくれる人がいないかなア、と期待してしまいます。
今回の月報は御大のエピソードというよりは、むしろ御大が綾辻氏にインタビューしているような雰圍氣で進められているため、御大のファンのみならず、綾辻氏のファンも必読、といえるのではないでしょうか。そうした意味で、綾辻氏に関する資料的價値も高いと思います。