第一回島田荘司推理小説賞に『冰鏡莊殺人事件』が入選した林斯諺の新作『芭達雅血咒』が、台湾皇冠が刊行されます。その中に傅博こと島崎博御大の解説が添えられているので、これをざっと日本語にしてみました。作品の感想の方は読了した後で取り上げてみたいと思います。
台湾において台湾人が華文で創作を始めたのは三十年前のことだ。人間の一生でいうと「三十にして立つ」という言葉にもある通り、三十年というのはもっとも精力旺盛な時ともいえるわけだが、翻って私たちのミステリの創作とはどうだろうか。
大戦後、台湾には二人の作家がいた。日本人である林熊生と葉歩月だ。彼らは日本語で当時は探偵小説と呼ばれていた何編かの小説を発表したものの、先の大戦が終わると林熊生は日本へと帰国し、創作をやめてしまう。一方、戦後日本語によってミステリの創作を始めた葉歩月は、一九四七年の二二八事件後、中国国民党によって日本語の使用が禁止されたために創作を続けることができず、絶筆した。その後、彼の継承者は現れなかったのである。
そうした外圧によって、芽生えつつあったミステリの創作の場は後世には何らの影響ももたらさないまま、はかなく潰えてしまった。この二人の作家は、台湾ミステリ史上においても、二つの「点」でしかない。一九四九年十二月、大陸の赤化によって中国国民党政権が台湾にやってきた。彼らは台湾を「反共復国の基地」として愚民政策を実施し、反共文芸、戦後文芸を提唱するようになる。その後の三十年は、反共をテーマとした作品のみを尊重し、挙げ句、文芸は政治に従うままとなり、作家たちは反共の下部へと成り下がった。それだけではない。この間政府は、欧米をはじめ日本など先進国の文学作品の翻訳をも禁止したのである。
かように非民主主義で自由のない、非法治国家的な環境において、創作者が思うままに作品を発表し、自分の思想と感情を伝えることは甚だ困難なことだった。ミステリの創作者もまたその例外ではない。
一九七五年四月五日に独裁者・蒋介石は死去したことで、独裁政権は人民統制による規制を緩和し始める。その年の八月に黄信介が創刊した『台湾公論』はその一例といえる。そして七七年には新世代の作家たちが公然と反共文学に反旗を翻すことになった。これが「郷土文学論戦」である。囂々烈々たるこの論戦は胡秋原によって「郷土文学」と「反共文芸」をすべて「民族文学」として分類することで、引き分けというかたちでおさまった。その後の台湾文壇におけるこの論戦の意義と影響ははかりしれない。
その年の四月、林佛兒が創設した「林白出版」から松本清張の『ゼロの焦点』が刊行された。この作品は台湾で初めて出版された日本の推理小説であり、「推理小説」というこの文学の専門用語は『ゼロの焦点』とともに台湾へともたらされたのである。その後、林白出版社は「松本清張選集」と題して続々と松本清張の作品を刊行していく。
一九八〇年になって、林白出版社は『推理小説シリーズ』と題して、出版の範囲を様々な各派の日本の推理小説へと拡大していったが、そこには偶然にも本土作家の作品も収録されている。林白はそうして台湾ミステリの作品を市場の感触をうかがっていたのだ。八四年四月に、林佛兒は林白出版社より『島嶼謀殺案』を刊行、これこそは台湾における華文で書かれた初めての長編小説となる。そしてその年の十一月、林佛兒は推理雑誌社を創設し月刊誌『推理』を創刊する。台湾における推理小説の基礎はこれによって確立された。
だがここまでの三〇年における本土推理小説作品の成果はというと、決して理想的なものではない。『推理』は二○○八年四月に休刊して二十四年間の使命を終えたが、この間に推理小説の創作者が雑誌『推理』に発表した作品は百編に満たない。そして今なお創作は続けられてはいるものの、その数は少なく、これは非常に遺憾なことでもある。
本書の作者、林斯諺は「十年一日の如し」という諺のごとく、創作を諦めることなく、作品を発表し続けてきた。その不断の姿勢は賞賛に値する。林斯諺は一九八三年、嘉義生まれで、現在は中正大学・哲学研究所博士班に在籍、イギリス哲学を研究している。彼の回想によれば、国民小学校一年の時から推理小説を読むようになり、高校時代に一般的なミステリファンと同様、創作を始めるようになったという。
高校二年の時に、処女作となる「銷凝之村」が雑誌『推理』二○○二年十一号に掲載され、三年に「霧影莊殺人事件」が第一回人狼城推理小説賞に佳作入選した。続く四年には「羽球場的亡靈」によって第二回人狼城推理小説賞を受賞している。林斯諺の短編には二つの作風が見て取れる。そのうちのひとつはいわゆる謎解きをテーマとした本格ミステリで、もうひとつは登場人物の振る舞いを重視したサスペンス路線だ。
二〇〇五年4月には初長編となる『尼羅河魅影之謎』が、続く六年一月には第二長編『雨夜莊謀殺案』を刊行され、これによって林斯諺は台湾本土における新世代のミステリ作家として地位を確立した。そしてその年四月には、先に述べた人狼城推理小説賞の短編二編を収録した一冊『霧影莊殺人事件』が刊行されている。
この三冊を見ると、作者の執筆には計画性があったことが見て取れる。すなわち、本格推理小説とサスペンスを交互に書いていくということだ。二つの作風に共通しているのは、同じ探偵あるいは登場人物が二つのシリーズに登場するということだ。林斯諺が創造した探偵である林若平は哲学を研究する青年であり、これは作者自身を投影したものだろう。私が知っている林斯諺と彼が描き出す若平は似ているという印象がある。大変に品のある好青年だ。
本作『芭達雅血咒』は執筆の順番としては第三長編ということになるが、二年前にはすでに執筆を終えており作者も印字された原稿を受け取ってはいたものの、その後の世界的な不況により刊行が遅れた。何はともあれ第四長編というかたちで今回刊行されたことは大変喜ばしい。
本作の結構はやや複雑だ。まずふたつの序章があり、そのうちのひとつには、タイ・パタヤのホテルで発生した不可解な殺人事件が描かれる。複数の目撃者が旅行客の一人がホテルの十階から飛び降りるのを目撃するのだが、プールに落ちたあと忽然と消えてしまう。もうひとつは台北陽明山にあるマンションで、一人のカメラマンが暗室で死体となっているところを同居していたガールフレンドによって発見される。
本文は三部に分かれている。第一部では「過去と現在」と称して六章からなり、陽明山での殺人事件の調査が書かれている。しかしそのすべての章の間に行雲流水が書いたとおぼしき「魅幻泰國行」なる物語の六章が挿入されている。捜査の主役は林若平と彼の友人となる張鍾明刑事だ。そして第二部「偵探VS兇手」では、パタヤでの林若平が捜査を進めていく過程が描かれている。第三部「探偵←→幻」が完結編となるが、本作は謎解きよりもサスペンスに比重が置かれた作品といえるだろう。
第三編長編は皇冠文化主催の第一回島田荘司推理小説賞において入選を果たした『冰鏡莊殺人事件』で、二〇〇九年九月に刊行さた。「嵐の山荘」ものであるこの作品は、正統本格推理小説にして彼の代表作ともいえ、また一読の価値がある。
以上