偶然本屋に平積みになっているのを見つけ、そのジャケ帶の煽り文句の激しさに思わずゲットしてしまった一冊なのですけど、結論からいうと、――これはジャケ帶の惹句が完全に間違っています。これではこの物語を本当に必要にしている人には手にとってもらえないという哀しいことになってしまうような気がして仕方がないのですけど、このあたりについては後述します。
で、まずはこのジャケ帶での惹句を輕く引用すると、
ミステリ愛読者の諸君よ、
『葉桜の季節に君を想うということ』
『イニシエーション・ラブ』
の次はこれを読め!吹雪の山荘で繰り広げられる連続殺人。だが、なにかが違う……。やがて明らかにされる驚天動地の真相とは?
『葉桜』に『イニ・ラブ』と並べられると、ミステリファンとしては當然、ある一定の志向の作品を想起してしまう譯ですけども、しかしよく眺めると、そんな想像とは相反して物語の方は「吹雪の山荘で繰り広げられる連続殺人」というコード型本格を踏襲したものというミスマッチ。
しかし實をいうと、ここでは「吹雪の山荘」は物語の仕掛けとはアンマリ關係がなく、……というか、寧ろこの惹句の力点はその後の「だが、なにかが違う……」とうところに置かれていることに注目、でしょう。
物語は天才教授の棲む曰く付きの館を訪れた学生様御一行が、吹雪の山荘と化したこの場所で連續殺人事件に卷きこまれる、というお話で、ここに探偵役が法水リスペクトの衒學を開陳、物語はいかにも懷かしい雰囲気をムンムンに振りまきながら進みます。
本作の興味深いところは、硬質な文体でありながら思いのほか讀みやすく、また衒學にしてもナチ講義やフロイトなど、ごくごくフツーの人でも大凡のことは知っているという内容でありますから、それをいかにもしたり顏で語りまくる探偵のご高説を追いかけるのも至極容易、――というフウに、作者の方も衒學祭りで讀者を幻惑させることにはそれほど興味がない樣子。
寧ろ、本作の醍醐味は、第二の殺人が行われた刹那からの異樣極まる展開でありまして、ここに至ってようやく、吹雪の山荘に呪いだの悪魔學をブチ込んだベタに過ぎるコード型本格の結構を本作が採用した企図が明らかにされていきます。
それとともに、新本格以降の作品を追いかけている人間であれば、まず間違いなく物凄い既視感を感じてしまうであろうメタ志向の大ネタが開陳されていき、それがコード型本格の外觀を裝うことによって見せていた懷古的な風格を一掃させ、物語は大きく幻想ミステリ、アンチ・ミステリの方向へと傾斜していきます。
物語の成り立ちそのものを宙吊りにし、最後には無化してしまう幕引きなど、アンチ・ミステリ的な風格の極まった雰囲気から、個人的には、このジャケ帶については、「『本格ミステリ館消失』に呆れたミステリ愛読者の諸君よ、こっちが本物だ!」なんていう刺激的なキャッチ・コピーを添えてみたい誘惑にかられるものの、オリジナルのフォーマットに從えば、これは以下のようにした方がより、「そっち」の嗜好を持った讀者の手にとってもらえるかと思うのですが如何でしょう。
ミステリ愛読者の諸君よ、
『翼ある闇――メルカトル鮎最後の事件』
『黒い仏』
の次はこれを読め!
実際、本作は綾辻氏の館もの、――特に「霧越邸」や、初期西澤ミステリの雰囲気などを強烈に感じさせます。そしてその中でももっとも近いものを挙げろということになれば、麻耶雄嵩氏の、それも初期の「翼ある闇」や「夏と冬の奏鳴曲」、ということになるでしょうか。ある意味、非常に懷かしい、かつてのメフィスト作品の面影をも濃厚に感じさせる一作ともいえ、あの時代のキワモノテイストがタマらない、という奇特な好事家にのみオススメしたいと思います。
館もの、コード型本格の外觀をもった一作ながら、その狙いはマッタク別のところにあるという作者の企みなど、麻耶氏のファンであればなかなかに愉しめるのではないでしょうか。もう一つ挙げている殊能センセの作品についてはまア、ここではノーコメント、ということで(苦笑)。デビュー時にはあれだけの物議を醸した麻耶氏の大化けぶりを見ると、作者である倉野氏の力量も本作だけではかるのはやや危険ともいえ、個人的には次の作品も期待したいと思います。間違っても「葉桜」と「イニ・ラブ」みたいな作品を讀みたい人が手に取るのは御法度でしょう。