問題作、なんでしょうかねえ。
前作「ヘビイチゴ・サナトリウム」はまだこの現実に軸を留めていたのですけど、本作ではあっちの世界にいってしまったというか、そんなかんじです。幻想ミステリというには、あまりにミステリの骨法から外れているようにも思えるし、それでも事件の謎を回収する時に的確な論理を用いる手法は明らかにミステリのそれであるし、何とも判断が難しい作品です。
いずれにしろ物語全体を貫く大きな謎に關しては全てを宙づりにしたまま幕引きをしてしまうというこの作風は、明らかに普通のミステリとは異なるような。昔であれは變格ミステリという言葉が一番相應しいと思います。
物語は、2000年という時も記された何やら不可解な手記から始まります。この短い手記の斷片の語り手は「僕」であり、これが何であるのかは後半になって明らかにされます。
この手記の時間から一年を隔てた二〇〇一年八月と記された次の節で、高校の校庭の工場現場から白骨死体が発見されたことが語られ、その死体の近くにはボールペンが埋められていたことから、この死体の主は誰なのか、そしてこのボールペンとの關連は、というあたりが普通のミステリの謎として絡んでくるのですが、物語を牽引していくのはこの後、第一章、一九九五年と記された日記ふうの手記で記されているいくつかの事柄と、九年間眠り續けていた柚乃との關連です。
この手記は柚乃が使用していたパソコンから見つかったものなのですが、彼女は目覺めた時から記憶喪失に陷っており、その手記を書いたという記憶がありません。
また彼女の母親は彼女が子供の頃失踪しており、一方父親は交通事故で死亡しています。この交通事故で彼女は昏睡状態に陷り、九年間眠っていた譯ですが、果たしてこの事故は本當に事故だったのか。
手記の謎、手記の書き手の謎、白骨死体、父の交通事故、母親の失踪といった複数の謎が錯綜し、中途には語り手も異なるいくつかの混在するテキストを織り交ぜつつ、物語は迷宮めいた展開をしていきます。
また彼女の母親と父親の背後には或る新興宗教の影があり、その宗教の奇矯な教義や「天の前庭」というインターネットのサイトのテキストがまたいっそうこの物語を混沌としたものに見せています。
ドッペルゲンガー、アーカシックレコード、偽史、タイムトラベルといったキワモノを扱っていながら、それらに決して固執することなく、寧ろ淡々と謎に謎を織り重ねていく作風は、「ヘビイチゴ・サナトリウム」と同じ。
本作の場合、後半における幻覺なのか或いは誰かが見ている夢なのか判然としない情景と、唐突に明かされるいくつかの事実が眞相をあらぬ方向へと捻じ曲げていくようすとが併行して語られていく場面がいい。若干バタついているのですが、前作の後半に比較すればこちらの方が個人的には好みですねえ。「ヘビイチゴ・サナトリウム」では後半唐突に現れる密室の謎が妙な違和感を見せていたのですが、本作における後半の展開は迷いがふっきれたような潔ささえ感じられます。
しかしこの幕引きは果たしてこれでいいんでしょうか。というのも、これってミステリ・フロンティアの一作な譯で。こういう物語だという先入觀を持たないで讀み始めてくれる讀者がいったいどれだけいるのか甚だ疑問ですよ。
當然自分も「ヘビイチゴ・サナトリウム」の作者とはいえ、最後は現実の謎に留まって物語を纏めるものと思っていたので、こういう終わり方をするとはまったく予想もしていませんでした。幻想、というよりこの幕引きは詩的というか、そんなかんじです。
またこの作者の場合、奇矯で今日的な素材をふんだんに使ってはみるものの、それらに拘泥することなく、寧ろ突き放しているような雰囲気があって、このあたりが讀者を選ぶのではないかな、と思ったりします。
例えば或る奇妙な新興宗教が本作では重要な役回りをしているのですが、普通の作家であれば、この新興宗教のことをもっとネチネチと描くと思うんですよ。「天の前庭」というネットの掲示板にしたって、ネットの匿名性というところや不氣味さを全面に押し出して物語を推し進めていくことだって出來たと思うんですけど、妙にさっぱりしているんですよねえ。このあたりが小説らしくないんです。
素材から必然的に生まれてくる物語(性)を敢えて拒絶しているような雰囲気さえ感じられて、このあたり、作者の風格なのか、それとも小説というものにまだ慣れていないからなのか、もう少し作者の作品を讀み續けていかないと分からないような氣がします。
またこの作品は「ヘビイチゴ・サナトリウム」と同樣、操りがテーマのひとつだと思うんですけど、このあたりの主題に作者の旦那さんがどの程度絡んでいるのか少しばかり興味がありますねえ。ポスト・モダンとかのコ難しい主題が物語のところどころにチラチラと見え隱れしているように思えるんですけど、このあたり旦那さんの影響なのかなあ、となどと考えたりもしました。
という譯で、ミステリらしくないミステリというか。決してミステリフロンティアの一作として讀んではいけません。幻想ミステリに耐性がある人だったらきっと愉しめると思います。
しかしミステリフロンティアまでこういう作品を出してくるようになると、普通の本格ミステリを讀みたい人はどのレーベルやシリーズを信じていけば良いのでしょう。まあ、自分は幻想ミステリだろうがSFだろうが、こういう奇妙な作品は全然大丈夫、というか寧ろ好みなんですけど、なかにはこういう作風を受け付けないミステリファンというのもいると思うんですよ。
メフィストみたいな何でもアリについていけなくて(自分がそう)、このミステリフロンティアのような手堅い正統派に期待している讀者もいると思うのです。今後、このシリーズはこういう人を置き去りにして、どんどんアレな方向へと進んでいってしまうんでしょうか。そのあたりが一寸不安といえば不安です。
まあ、こういう先入觀をいっさい排して本作を手に取れば、愉しめる作品だと思います。幻想ミステリ、變格ミステリの香りを愛するミステリ好きだったら讀んで損はない作品でしょう。注意書きを添えつつ、おすすめということで。