ノベルズで讀んだんですけど、「樒/榁」を未讀だったので、今回文庫版を購入してしまいました。まだ「樒/榁」の方には手をつけていません。これから讀みます。
で、今日は「鏡の中は日曜日」についてだけ。個人的には本作、殊能氏の作品の中では一番氣に入っているかもしれません。
ただかえすがえすも殘念なのは、「黒い仏」でアタマにきて、そのあとの作品が多くのミステリ好きに讀まれていない可能性があるということでして、その意味でも今回文庫版がリリースされたのを機会に、皆樣、再び手をつけてみては如何でしょう、……などといいつつ、実は自分もノベルズで出た當事、暫く購入を躊躇っていたひとりなので大きいことはいえません。
本作はマラルメの詩が大きなモチーフとなっているのですが、マラルメといっても、正直佛蘭西語も出來ない、さらにはマラルメといってもシューレアリズムにはまっていた大学時代に摘み食いをした程度の自分としては、どれほど本作の魅力を堪能出來たのか甚だ心許ないんですけど。
それでもぼくの語りで始まる第一章の印象は強烈。カットアップ的な手法を驅使して、夢のなかを乱舞する光のイメージのような情景が繰り返し繰り返し現れるのですが、このあたり、何となくヌーヴォー・ロマンを思わせます。それもロブ・グリエじゃなくて、南米の異端派、エリソンドの「ファラベウフ」のようなかんじ。そういえばこの物語も記憶がテーマのひとつでしたけども、そのあたりも本作の第一章と相通じるものがあるような氣がするのですがどうでしょう。
既に物語の伏線はこのぼくの語りで語られる第一章に概ね纏められています。そして何よりも凄いのが今回の文庫版のジャケについている帶ですよ。
「石動戲作を殺したことを少しも後悔していない」っていうんですけど、ええ、その通りで、この第一章の最後でぼくは石動を殺してしまうのです。果たして探偵を殺してしまったぼくとは誰なのか、そしてその背景には何があったのか、……ということが第二章以降で少しづつ明かされていくという展開が見事。
第二章以降は現在と過去が併行して語られ、その中で過去の事件が作中作というかたちで明らかにされていくのですが、現在の探偵である石動がこの作中作の小説をもとに過去の事件を推理していきます。
探偵が過去の事件の關係者に聞きこみを行っていく部分は若干退屈なのですが、最後になって畳みかけるようなドンデン返しが炸裂し、事件の正体、そして作中作に込められた意図が暴かれていく。
ミステリとしてもこの展開は本當に見事なのですが、自分としては、真実が明らかにされた瞬間に、物語の主人公が現在のそれから過去のそれに入れ替わってしまうという仕掛けを評價したいのですね。
現在を起點にして進められていた物語では、石動探偵が主要な役割を擔っていました。謎の提示というのは過去のなかで行われており、それはあくまで作中作というかたちをとりながらひとつの虚構として、讀者の前に陽炎のようにぼんやりとしたかたちで現れていたに過ぎません。
それが事実が明らかにされた刹那に、過去が激しい現實感を伴ってせり上がってき、現在の探偵と過去の探偵の邂逅を起點にして、ついには過去が物語の主題を包み込んでしまうのです。……と凄く抽象的な説明になってしまうのが何とももどかしいですよ。だから殊能氏の小説を取り上げるのはいやなんですよねえ(苦笑)。
ミステリとして見た場合、トリックは何というか、「えっ、これ使ったの!」とあきれてしまいつつ、騙されてしまった自分が情けない。
殊能氏の過去の小説を讀んでいる人は絶對にそう感じること請けあいです。でも騙された方が惡いんですから、作者の意地汚い仕掛けに關してはいちいち文句をつけることは出來ませんよねえ。
ぶつぶつ獨り言めいた文句なんかいっていると、作者が背後からぼうっと現れて(以下文字反転)、「だからぁ、騙されるほうが惡いんだって。新味のない、同じトリックを使ったからって、それを見拔けなかったおたくの頭の問題でしょ」なんていわれそうなんで、ここはぐっとこらえて、續きの「樒/榁」を讀み始めるとしますかね。
この物語の餘韻、そして登場人物たちの悲哀は、殊能氏の物語のなかでは隨一。ミステリとしても、そして実驗的な要素を伴った普通の小説として見ても傑作だと思います。おすすめ。