ええと、ガス繋がり、という譯ではないんですけど、昨日の「花嫁のさけび」に續いて、ガスを殺害方法を使った本作を今日は取り上げてみたいと思います。
本作は何故か創元文庫にも落ちていなくて、ずっと絶版になっているようなんですけど、個人的にはアレ系の仕掛けも凝らしてあったりして、若竹七海のなかでも結構好きな作品であります。
まずジャケからして凄いです。アウトサイダー・アートのような装丁で、「心のなかの冷たい何か」というタイトルを見事に暗示しています。
本作は大きく二部構成に分かれていて、第一部の「おれのなかのどうしようもなく冷たい何か」は、数箇月前に会社をやめた若竹七海が箱根旅行のときに出会った一ノ瀬妙子から送られてきた手記を中心に展開します。
この一ノ瀬妙子という女性は手記を若竹七海に郵送する前にガス自殺をはかったらしいのですが、果たしてそれは自殺なのか、それとも事故なのか、或いは何者かの手による殺人なのかという謎を絡ませながらこの手記の中身が明らかにされていくのですが、この中身というのがまたイヤな感じで、幼少のときに毒殺の愉悦に目覺めた「おれ」が毒を使って自分の周囲の人間を破滅させていく獨白がネチネチと續きます。
この「おれ」の語りと併行して、「わたし」が親友の事故の眞相を探るべく、彼女がいた会社に潜入して、この手記の「おれ」が誰なのかを探っていきます。
で、もしかしたら自分が激しく讀み違えているだけかもしれないんですけど、この第一部って、アレ系の仕掛け、ってことで良いんですよね?
文字反転しながら続けますけど、この手記のなかの「わたし」というのは、実は若竹七海ではなく、ガス自殺未遂をはかった一ノ瀬妙子で、彼女は友代という親友の事件の真相を探るべく、この会社に入って「おれ」の手記の書き手が誰であるのかを調べていたことが最後の最後であきらかにされます。
いや、この第一部の冒頭で、若竹七海が「数箇月前、私は会社をやめた」と書いていて、手記の中途で「わたし」が新しい会社に入って色々と物事を教わる描写がさりげなく挿入されていたものですから、自分はすっかりこの手記のなかの「わたし」は若竹七海であると誤解してしまった譯で。
さて、そんな第一部の仕掛けで呆然としている暇もなく、第二部では若竹七海であるわたしが、手記に書かれてある内容を手掛かりに、足を使って一ノ瀬妙子の關係者に聞きこみを行い乍ら、手記に書かれてある内容と現実との齟齬を探っていきます。
この途中で手記に書かれている「おれ」が誰であるのか判明するのですが、この「おれ」は病院の屋上から飛び降りて、再び事件は白紙に戻されます。果たしてあの手記の意味するところは何なのか、そして妙子は本當に自殺だったのか、さらに「おれ」は誰に殺されたのか、……という複数の謎が錯綜しながら物語は最後に「おれ」とそのまわりの人物たちの暗い過去を暴き、一ノ瀬妙子の事件の真相も判明します。
しかしこの物語全体に漂っている何とも表現しがたい雰圍氣は何なんでしょう。惡意、冷たい狂氣、憎惡、……いくつか近い言葉は思いつくのですが、そのどれとも違うような氣がします。ときおり見られる語りの輕さと相反して、全体のトーンは非常に暗め。
「ぼくのミステリな日常」で見られた何処か飄々とした風格は影を潜め、女探偵にいちいち絡みつく男たちのイヤさや、棘のある女達の言動など、そのすべてがいちいち引っかかります。決して心地よい小説ではなく、讀後感もずっしりと重い。
あとがきにある女探偵に關するくだりと、若竹七海氏の女探偵に關する論考「極私的九十年代女性探偵総括」の内容を比較しながら何かを書いてみたいと思ったのですけど、長くなりそうなので、また機会があったら、ということで。