ミステリの醍醐味といえば破天荒なトリックですが、正史や高木彬光の作品を夢中で読んでいた學生時代、自分にロジックの愉しみを教えてくれたのはクイーンではなく、本作でありました。
というか、自分は基本的に洋モノは苦手で、クイーンやカーといった古典ものに手を出したのはもっとあと、高校時代になってからだった譯で。
おどろおどろしい舞台背景に陰慘な殺人事件、そして名探偵が暴く犯人のトリック、……といったミステリでは定番ともいえる物語に反して、本作を讀み始めたとき印象はまず、「えらく軽いなあ」というものでありました。
平將門の娘、滝夜叉姫の怨靈だのと怪奇ふうの舞台をしつらえているわりに登場人物たちの話しぶりも輕妙で、何だか今まで讀んできたミステリとはまったく違うなあ、と。
事件も地味でとにかく淡々と物語が進みます。このまま終わってしまうのかと思っていたら、謎解きの章に至って物語はまったく違った樣相を見せ始めたのでした。
飄々としていた名探偵は、事件の現場に殘されていた手掛かりやおかしな點をひとつひとつ指摘しつつ、犯人であるべき人物像をじわじわと炙り出していくといくというこのやり方、……乃ちロジックの醍醐味を知ったときでありました。
本作に出会わなければ、今頃氷川センセの作品なんてきっと愉しめなかったと思いますよ、本當に。
本作は章の始めにゴシック體で、そこで語られる内容の要約が綴られています。例えば最初の章であれば、「ここでは本筋と關係ない導入部 カードの家の組立てかたが説明される 興味のないひとは飛ばして先へすすんでも推理に支障はきたさない」という調子です。
これは作者が讀者に向けて語っている譯で、この構成を讀者の騙しに使って最大限の效果を上げている作品が以前に取り上げた倉知淳の「星降り山荘の殺人」。もっとも「星降り山荘」にはこれだけではなく、さらに上をいく惡巧みが隱されている譯ですが、讀み比べてみると、あの作品が本作の仕掛けを研究して書かれていることが分かると思います。
実をいうと自分は都筑道夫の作品ってどうにも好きになれません。
色々と凝った仕掛けがあって、実驗的な作品も多いのですけど、今ひとつピンとくるものがないのはこの輕さにあるのかな、と感じたりしています。もうひとつはやたらと歐米の作品について衒學めいた調子で語っているところが鼻につく、というところでしょうかねえ。
ポール・オースターのニューヨーク三部作を評價して日本に紹介したのも彼だったという話を何処かで讀んだことがありますし、ミステリの名作傑作を見つける鑑識眼は素晴らしかったのでしょう。
それでも実作となると、どうにも日本的なものが感じられないんですよねえ。本作でも正史的な舞台をつくろうつくろうとしているんですけども、それが見事に空回りしているような印象を受けてしまいます。都筑道夫の文体に怪奇趣味は似合いませんよ。
それでも自分にとっては、ロジックを驅使して(氷川センセのものに比べては本當に單純なものなんですけど)犯人を追いつめていくというミステリの新しい愉しみを教えてくれたという意味で本作は忘れられない作品であります。
今となっては古典でしょうが、讀む價値はあると思います。國産ミステリの歴史を理解する上ではマストの作品。今なら光文社文庫から出ている「都筑道夫コレクション」が手に入りやすいでしょう。寫眞は自分が持っている角川文庫の初版本。山藤章二のイラストがレトロっぽくて結構氣に入っています。