これは凄い。佐野御大曰く、「私自身が興味を持った事象、作家、作品についての回顧」を綴ったという本作、とにかくミステリ文壇界隈での様々な出来事の舞台裏が淡々と、とときにはアッケラカンとした調子で明らかにされているところがまずウリで、松本清張が無類のパチンコ好きだったとかそうした小ネタも鏤めて、佐野御大の視点から見た日本の「ミステリーとの半世紀」について述べた本作、資料的価値もかなり高い、のではないでしょうか。
佐野御大といえば、「推理日誌」でのネチっこい指摘などが印象的だったする譯ですけども、このあたりについては氏もアッサリと認めていて、「推理日誌」については、
このエッセーは、論争や問題提起が少なく温室的な雰囲気の推理小説界に、一石を投じたいと考えて始めたもので、実作の批判(時には一種の揚げ足取り)が主なものになっている。
「時には一種の揚げ足取り」としっかり自分で書いているところにチと苦笑してしまうのですけど、大乱歩との出逢いから推理作家協会設立など、日本のミステリー界での重要な出来事についてその舞台裏も含めて色々と明らかにしてあるところが面白く、そんななかでも本作を仕上げるのに重要な資料となった手記を書いた奥さんとのなれそめなどもシッカリと語っているところも微笑ましい。
個人的に興味深く讀んだところをいくつか挙げると、後半に森村氏を取り上げて、「怨念で小説を書く」氏の執筆動機について生島氏との会話を引用しつつ、そうした考えについて意見をするところがあるのですけど、生島氏の話のところから引用するとこんなかんじ。
「作風というのは、作家一人ひとりが違って当然だろう。文章だって書いているうちに、巧くなるよ。彼は、何かのエッセーに書いていたけれど、怨念で小説を書いていると言うのだね。推理作家で、そういうしっかりとした動機がある人って、最近は少なくなっていると思うんだ」
「そうかな?」
私は異議を差し挟んだ。「普通の小説、例えば私小説などでは、怨念が執筆動機になるかもしれないけれど、ミステリーの場合は、そんなものは、むしろ邪魔になるのではないかな。ミステリーは出来上がりの美しさを競うものだし……」
「いかにも佐野洋らしい見解だね。一高、東大、読売とずっと表通りを歩いて来て、挫折を知らないから、怨念を持ったことがない」
「じゃあ、君はあるのか?」
と聞いた。
「あるさ。……」
というフウに佐野御大は森村氏のように「怨念」を執筆動機とするスタンスに疑問を持っているのですけども、「怨念」というような明確なかたちをとらずとも、自らの人生の中での体験経験が小説執筆の動機に無意識とはいえ結びついていくことは御大自身にもある筈で、前半には、弟が警察に捕まった時の逸話を披露しつつ、
その翌年、私は読売新聞社の記者になるのだが、記者のときも、また推理小説を書くようになってからも、警察組織に批判的な目を持ち続けてきたのは、弟が不当に逮捕されたことによる、とは言えるようだ。
と綴っています。
その他では、かの都筑氏との名探偵論争についてもふれていて、この前に高木の「邪馬台国の秘密」をネタに論争を仕掛けたものの、松本清張の乱入によってどうにも高木氏が及び腰になってしまったことに不満を表明、やはり論争を仕掛けるには相手を選ばなければいけないと確信して、都筑氏にロックオンしていくまでの思考過程などが明かされています。
そしてこの論争の結論と、この論争を見ていた郷原氏のコメントを引用しつつ、ミステリにおける短編と長編とではそもそも「同一主人公」たる探偵を使う企図が異なると述べているところに個人的には注目で、御大は、「長編に関してシリーズ主人公を使ったことはない」といい、
その理由のひとつ。時代の変化、とくに科学技術の変化が、同一主人公の使用を妨げていると言えるようだ。
と書いています。これについてはさらにこのすぐあとで、「携帯電話の出現、DNAの照合法の進歩、さらに法律の改正などの問題もある」として、
現在では、殺人現場に携帯電話が残されていれば、その通話記録から交友関係は簡単に明らかになる。にもかかわらず、年を取らないシリーズ主人公の刑事がこつこつと聞き込みをしている情景に読者はいらいらしないだろうか。
こうした「科学技術の変化」と「こつこつ聞き込み」を行うという捜査手法への違和感の表明についてフと思ったのが、島田御大のシリーズ探偵御手洗潔と二十一世紀本格の傑作「ネジ式ザゼツキー」や「リベルタスの寓話」でありまして、探偵自身が最先端の科学技術やその知識を駆使して真相を喝破する推理のスタンスや、「こつこつ聞き込み」を行うという地味過ぎる捜査手法に對して例えばウェブを駆使して最先端の科学技術を援用しつつ推理を構築していく展開など、「同一主人公」の探偵という視点よりも寧ろそこからミステリにおける「推理」の見せ方という点で色々と考えるきっけかを与えてくれそうな気がします。
こうしたミステリに絡めた内容そのものについて色々と言及されていくのは寧ろ終盤ゆえ、やはり本作は佐野御大の実体験に基づく舞台裏の証言を愉しむのが吉、でしょう。推理作家協会設立の経緯や、生島、結城氏、三好氏との交流など、それぞれの作家の性格が感じられる逸話や、「虚無への供物」について語ったくだりなどが個人的には興味深かったです。
という譯で、さらりとエグい裏事情が明かされているあたり、佐野氏の風格もイッパイに感じられる本作、歴史的証言という意味でも一讀の価値アリ、だと思います。オススメでしょう。