前回の續きです。この対談も、今回日本語にした質疑応答で最後となります。
質疑応答
問……
傳博先生、林佛兒先生、こんにちは。私は以前、作品の翻訳を行うにあたって先生のお手伝いをさせていただいた王と申します。推理小説の愛好者がますます増えつつある今の状況を大変嬉しく思っております。ここしばらくの間推理小説の翻訳からは遠ざかっておりましたため、今回の対談も最近になってネットで知りまして、今日は台北から驅けつけた次第です。推理小説の愛好者がこのように増えつつあることでもありますし、林佛兒先生には是非とも『推理雜誌』の刊行を継続していっていただきたいと思います。さて、私が両先生にお尋ねしたいことというのは、今日の対談の核心部分についてでありまして、――と言いますのも、雜誌にしろ小説にしろもっとも重要なところというのはその作品なりの「見所」でありましょうから――國内の作家が小説の執筆を始めたばかりであるという中、後進の作家たちにはどのようにしてやる氣を起こさせていけばいいのか、先生方のご意見をお聞かせください。また推理小説の執筆を志す者が増えつつある現在において、彼らに良い作品を書いてもらうにはどうすればいいのでしょうか。
傳博……
台湾の推理小説ですが、二〇〇〇年より前の作家は第一世代に屬し、二〇〇一年以後を第二世代であると私は考えています。この五年の間に出版された作品となると、既晴が七冊、藍霄が三冊、天下無敵(taipeimonochrome注 :これは「第四象限」「血讎的榮光」の作者である天地無限のことだと思います)と林斯諺がともに二冊、陳嘉振が一冊と、そのほかにも何册かありまして、それらを合わせるとこの五年の間に二〇冊以上の作品が出版されている譯で、質量という点では第一世代の作家と比較するといずれも進歩しています。ただそれでも日本と比べてしまうと、まだ大変な差がありますね。それぞれの作家には個性があり、推理小説に対する考え方も違えば、創作の方法や技巧も異なるわけで、彼らはまだ成熟していないのだと思います。さらに努力しないと、――とはいえ彼らは実際努力をしている譯ですけどもね。来年はまたさらに多くの者が推理小説の創作に参加してくるものと私は信じています。
現在は小知堂だけが積極的に本土の推理小説を出版してくれてはいますが、私の知る限り、他にも本土の作品を出版するところがあるようです。出版の環境というのは本当に重要ですから、来年は出版の環境が改善され、台湾の推理小説を叢書のシリーズのようなかたちで出版してくれる新しい出版社が現れてくれることを期待しています。
今も序文を書いてくれという話はたくさんいただくのですけども、私はいつもこう答えているんです。しかし条件がありますよと。私が作品を讀んで、合格すれば書いてあげましょう、とね。何故なら序文と言っても、これは私が讀者に對して言うなればお墨付きを与えるというものでありますから、不合格、失敗作の類だと思っているものをどうして讀者の代わりに説明すればいいものやら分からないでしょう。まあ、台湾の推理小説にはまだ十年ほどは後押しが必要でしょうね。
問……
先生方、こんにちは。是非とも教えていただきたいことがひとつあります。先生方は台湾で推理小説を讀まれて数十年になる譯で、この間に、多くの推理小説が出版されました。五年前、十年前、さらに数十年前とは決して同じとは言えないと思うのですが、このような見方について先生方はどのような考えをお持ちでしょうか。ありがとうございます。傳博……
私が思うに、違うところというのは、要するに作品の質でしょうね。質は確かに向上しています。この前にも話した通り、二〇〇〇年より前の翻訳作品では、日本、欧米も含めてその多くに訳文の間違えがたくさんありまして、最初から最後まで訳文と原文が一致していないという、まったく奇妙な本になってしまっていたり、頁數を調整する必要があるということで内容の削除はするわと、謎の呈示の部分にも訳文のひどいものがあったりしました。またいくつかの出版社では本のタイトルをまったく關係のないものに差し替えてしまったりね、こうした負の部分というのはかなり少なくなってきている。それで、品質という点では進歩があったと。また本土の推理小説については、二〇〇〇年より以前の作品では、「推理雜誌」に発表された短編作品も含めて、その多くは「竜頭蛇尾」のようなものばかりでしてね、物語の中に謎はあってもちゃんとした謎解きがなおざりにされていたり、それが偶然じゃないにしても犯人が自白をして話を纏めてしまったりね。司馬中原の作品のようないいかげんさとも違うのですけど、こういうことは二〇〇〇年以後は減りましたから、これは質の向上ということでしょう。
問……
ひとつ教えていただきたいことがあります。先生方は日本の推理小説をよくご存じであるのみならず、多くの日本の推理小説家の作品を出版されました。日本の推理作家の中で、いい作品を書くのだけども、まだ台湾に紹介されていないものというものがあれば、教えていただけないでしょうか。ここ五年、十年の後に出版されるのであれば、すぐにでも探して讀んでみたいと思います。傳博……
以前にも讀者から同じ質問を受けたことがあるのですけど、その時にはまずそれぞれの作家の処女作を讀んでみたらいいのではと答えました。そのあと、自分の好みに合った作家の作品を讀んでみればいいのではないかと。何故なら処女作は、その作家の原點でもあるからです。だいたいの作家においてはそれが作家の代表作とであると言ってもいいのですけど、例外もあります。三十年前、日本の長編推理小説には江戸川乱歩賞しかありませんでしたが、現在はファンタジー小説なども含めると――日本では幻想小説の一部も推理小説となりますから、八から九の賞があり、競争は以前ほど激しくはなく、だいたいの作品の水準も昔ほどではありません。
以前、推理小説の友人と一緒に食事をしている時に、具体的な作品名を挙げて話をしたのですけど、その翌日、それが出版社に伝わりましてね、その出版社はすぐにその作品の版権を買いつけてしまいました。私はそんなことはちっとも知らなかったのですけど、彼らが手に入れた本は間違っていましてね(*1)。とは言っても私が口にした本を彼らは買ってしまった譯ですから、責任は私にある。こんなことがあったものですから、今は具体的な書名は挙げずに、いらぬ間違いが生じないようにはしているのですけど、今回は二冊、紹介してみましょうか。
ひとつは、今年日本推理作家協会賞を受賞した桜庭一樹の「赤朽葉家の伝説」です。これには台湾の三つの出版社による熾烈な競争の末、独歩文化出版が版権を獲得しました。もう一冊は、今年の上半期に直木賞を受賞した作品で、松井今朝子の「吉原手引草」です。これは特殊な時代小説の体裁を持った小説でてありまして、聞くところによるとこの作品の版権は七十万円とのことですけど、台湾の出版社にこれを手に入れる力があるかどうか、私には疑問ですね。
(*1)原文では「買錯書」となっていて、「その友人が間違ったタイトルを伝えた結果、出版社が買い間違えた」のか、「良かれと思って版権を手に入れたものの、結局売れず、期待はずれという意味で買い間違えた」のか、――おそらくは文脈から前者の意味だと推察されるものの、両方の意味にもとれるので、ここでは敢えて曖昧な日本語にしてあります。
ここでは二〇〇〇年をひとつの大きな節目として、台湾ミステリの発展を二つの世代に分けるという島崎御大ならではの考察について語られているところに注目でしょう。
それと、島崎御大が台湾ミステリの作品において解説をつけるのは、自らが合格点をつけたもののみ、としているところも興味深い。ちなみに藍霄氏の「錯置體」の巻末にある島崎御大の解説は、ヘイクラフトの『探偵小説・成長と時代-娯楽としての殺人 』を引用しつつ、台湾ミステリの発展を台湾の民主化の視点から論じたものでありまして、台湾ミステリ史の資料としても非常に重要なものであると言えるでしょう。
一応、最後に総ての内容を順番に並べたリンクを以下に記しておきます。
島崎博・林佛兒対談 「推理小説在台湾 ――解嚴二十年後推理小説發展」 其の一
島崎博・林佛兒対談 「推理小説在台湾 ――解嚴二十年後推理小説發展」 其の二
島崎博・林佛兒対談 「推理小説在台湾 ――解嚴二十年後推理小説發展」 其の三
島崎博・林佛兒対談 「推理小説在台湾 ――解嚴二十年後推理小説發展」 其の四
島崎博・林佛兒対談 「推理小説在台湾 ――解嚴二十年後推理小説發展」 其の五
島崎博・林佛兒対談 「推理小説在台湾 ――解嚴二十年後推理小説發展」 其の六
島崎博・林佛兒対談 「推理小説在台湾 ――解嚴二十年後推理小説發展」 其の七