あの時代の創元推理シリーズで、「日常の謎」派のなかでは北村薫の直系ともいえる加納朋子ですけど、この「魔法飛行」は連作短篇を行うための動機づけがちょっと異なるように思うのです。
若竹七海の「僕のミステリな日常」の場合、短篇のひとつひとつに個性的な仕掛けを施し、純度の高い短篇ミステリとして完結させつつも、それらは「ちょっと長めの編集後記」であきらかにされる全体構造を構築するために奉仕していました。
一方、澤木喬「いざ言問はむ都鳥」の場合は、最後の物語「むすびし山のこほれるを」がその前の連作短篇で築き上げてきた世界を抽象の世界に反転させることで、物語は幕を閉じました。
さて、ではこの「魔法飛行」はどのように志で連作短篇という形式を採用したのでしょうか、というのを今回のお話のキモにしたい譯なんですけど。
本作に収録されているのは「秋、りん・りん・りん」、「クロス・ロード」、「魔法飛行」、「ハロー、エンジェル」の四編。ただ前の三編の間には、奇妙な、というかちょっと不氣味ささえ感じさせる「誰か」が書いた手紙が挿入されています。おのおのの短篇は探偵役となる瀬尾さんへ宛てた手紙を冒頭におき、その末尾に瀬尾探偵の推理で閉じるという形式で、物語の内容もすべては「日常の謎」系に特有の、ほっとするようなお話です。
しかしその後に続く手紙がこの短篇の雰圍氣をぶち壞しにしかねないくらい歪んでいて、特に、「クロス・ロード」のあとに續く手紙は薄氣味惡く、その落差はいったい何なんだろう、と首を傾げつつさらにその次の「魔法飛行」へと讀み進めていくと、最後の「ハロー・エンジェル」に至って、この手紙の謎が氷解し怒濤の展開となるのです。
つまり短篇のひとつひとつが最後になってその背後にある世界をあきらかにするというような構成ではなく、三つの短篇は「ハロー・エンジェル」で展開される感動物語を演出するために用意されているように感じたのでした。
一編一編は「ぼくのミステリな日常」のように凝りに凝ったものではなく、寧ろ単純な仕掛けばかりです。しかし何よりもこの語り手である駒子の純粹でまっすぐな視線が微笑えましく、それがまた最後の感動的な展開を盛り上げるを助けているんですよねえ。
この作品、午睡図書室のねむさんから「地元が舞台だよ」と進められて手に取ってみた譯ですけど、あまり強い地元色は感じられませんでした。登場人物の駒子とか瀬尾さんもそうですけど、物語の舞台も中性的で、何処であっても違和感がないような、そんな印象を受けました。それでも「クロス・ロード」の子供のエピソードはちょっと怖かった。これ讀んで、アルジェントの「サスペリア2」を思い出してしまった自分は馬鹿者です(反省)。
あの時代の創元推理シリーズ、連作短篇編ということで、若竹七海、澤木喬、そして加納朋子と讀んできた譯ですけど、皆それぞれが個性的で、「日常の謎」というテーマと連作短篇という形式を採りつつも、その意図するところ、ミステリや物語に対するスタンスの違いなども分かったりして、結構愉しかったです。
ひとつひとつの短篇にも獨創的な仕掛けを配し、最後に美しい物語世界の全體像をあきらかにしてみせる若竹七海。そして連作短篇の形式をとりつつも、最後には物語を抽象化してアンチ・ミステリ的な着地を行ってみせた澤木喬。そして今回の加納朋子。どれもそれぞれ捨てがたい魅力がありました。満足満足。