稀代の語り部である稲川氏に、聞き手としても抜群の力量を誇る平山氏の対談でありますから、怪談に對する二人の様々な思いからエピソードに至るまで、その内容が面白くない筈もなく、前半の怪談にドップリと浸かった語りによって怪談という物語の骨組みを明らかにし、後半はそこへ稲川氏の様々な体験や人生の逸話を重ねていくことで、怪談という物語に魂を入れていく際の秘訣が語られていくという心憎い構成など、怪談の書き手のみならず、自分のような讀み手にも大いに参考になる一冊といえるのではないでしょうか。
第1章「怪談・オカルトブームの背景」の中で語られる昭和の出来事など、自分のそこを通過してきた世代としてウンウンと頷けるところも多かったのですけど、ここでは「赤い袢纏」や「雪女」、河童といった怪談の物語の背景が解き明かされるところに注目、でしょう。このあたりに伺える稲川氏の怪談に對する思いが、後半へ進むにつれて稲川氏の個人的な体験と共鳴していく構成が秀逸です。
第1章の「殺人者は被害者の幽霊を見るか」においてはノッケから「怪談とホラーの内包する怖さはまったく違う」と、非常に興味深いことが語られてい、この冒頭、平山氏の発言を軽く引用すると、
平山 怪談とホラーの違いは何か、と考えたとき、僕は稲川さんの語ってらっしゃる怪談こそが、正当な怪談であると考えています。稲川さんの怪談には香りがあるんですよ。そう、香り。
怖いとかドキッとするとか、瞬間的なものじゃないんです。聞いていると、ほのかに立ち上がる匂いが確実にあるんですよ。僕は香りのあるもの、そして、その香りが非常に豊かなものを「怪談」と名付けていいんじゃないかと思っています。
このあたり、個人的には綾辻氏の本格ミステリ観と対照させて色々と考えたくなってしまうのですけども、さらにこの後も平山氏の「怪談はもっと人間の良心に問うてくるものが、非常に強い気がする」、稲川氏の「もともと怪談っていうのは、怖い話だけじゃないんですよ。不思議な話も全部ひっくるめて怪談なんです」といったところなど、その怖さの質感にまで踏み込んだ両氏の意見も、怪談の「讀み」について色々と考えさせるきっかけをつくってくれるような気がします。
怪談の「讀み」ということに關しては、讀者の「想像力」に「委ね」を必要とする怪談という物語の本質を巧みに解き明かしている以下の平山氏の発言がナイス。
平山 感じることは想像力ですよ。想像力って、怪談で真っ先に必要なこと。怪談で怖がる、楽しむっていうのは、想像力なんです。
例えば「雪の中に女一人立っていた」としますよね。こんな寒い雪の中に、女がポツンと立っているのはおかしい。ずっと立っていられるわけがない。そういうことが想像できないと、この状況がいかに怖いかが全く分からない。「あ、女がいるんだ」で終わってしまう。
勿論、様々な逸話をお持ちであろう両氏の笑える発言もたくさんあって、平山氏のごまふりのバイトには大笑いさせてもらったのですけど、そんな体験談の中で、フと人生の悲哀や不可解をサラリと語ってみせるのもまた氏の得意とするところでありまして、個人的には「堀之内のおカマの話」におけるその「感性」にはグッときました。やはりただただグロいだけじゃない、人間という存在の深奥をこんなフとしたエピソードの中にも語ることの出來るのが平山氏の凄み、でしょう。
怖い話では、平山氏が後半で語っていた呪いの人形の話はかなりのネタで、稲川氏がその前に語ってみせた人形話とのコンボで強烈な印象を残します。
何しろ語りの巧みな両氏の対談ゆえ、アッという間に讀了してしまうところも好印象で、「公式」の解説で提示された自分の「讀み」との相違にウンウンと頭を悩ませる必要もなく、怪談の書き手のみならず讀み手にとっても色々と参考になる意見も多い一冊といえるのではないでしょうか。