ある意味、傑作『リバース』の続編といってもいいのかナ、という一冊ながら、本格ミステリ的な構図の反転に外連を見せた前作と大きく異なる風格は、まさに問題作。しかも、本作が問題作である所以はまさに新本格以降の現代本格たる一冊であるからこそ、というところや、その真相が今日的であるという点も含めて、個人的にはまさに偏愛したくなる一冊で、堪能しました。特に本作では、「再読」による「物語の再構築」によって、ある人物を読者自身の手によって「救済」する、――という趣向が活かされているところも素晴らしい。このあたりについては後述します。
物語は、人が死ぬビジョンが見えちゃうという娘っ子がまたもや、学校の誰かが自殺すると予言、彼女と幼なじみの学校カウンセラーが、その死ぬかもしれないという人物を推理して、自殺を止めようとするのだが、……という話。
『リバース』では、人が死ぬビジョンが見えるという、どう考えても霊感キ印女の妄言としか思えない予言を理屈抜きで信じてしまった男の地獄巡りが、ケータイ小説的な激しさで大展開されるという逸品でありましたが、本作の探偵となるカウンセラーは正直、マッタク推理もできないボンクラ男。
もっとも本作はこのボンクラ探偵の視点で進んでいくわけではなく、カウンセリングに訪れた生徒たち、――探偵曰く「今日、ここで面談をしたのは六名。美原くんをあわせて七名」(11p)の中から特定していくというもので、物語はこの七名の視点から彼ら彼女たちのドラマをじっくりと描き出していくという結構です。
それぞれがモンペの母親を抱えていたり、偉すぎる父親に恐れをなして過大なストレスに悩まされる一方で秀才魔王の奴隷とされてしまうボーイ、突然のイボ発症に心が壊れていく男の子、さらにはリスカマニアのメンヘラ女にエンコーを加えてみたりと、「ケータイ小説に必要な素材は全てブチ込んでみましたッ!」という激しさは本作にも健在です。
ただ、上にも述べたように『リバース』では妄想を信じたボーイがストーカーとなって果てもない暴走をエスカレートさせていくという動的な風格だったのに比較すると、本作はそれぞれの生徒たちが抱えているケータイ小説的ドラマを自殺へと向けてジックリと描き出していくという展開ゆえ、それぞれの逸話は激しいものながら、どこか静的な印象を受けます。
前半は、この視点の併走からどの人物に焦点を合わせていけばいいのか、という戸惑いがあったのですが、ボンクラ探偵が冒頭で名前を挙げていたある人物が、ちょっとしたすれ違いによっていじめに遭ってしまうあたりから、その人物に焦点が当てられていきます。この人物は冒頭、ボンクラ探偵がフと口にした自殺「容疑者」の最有力候補でもあり、実際、このあたりからあからさまな誤導が発動していくのですが、事件が無事解決してハッピーエンドになるかと思いきや、最後の最後に予想外な展開で、不思議女の予言に端を発した自殺騒動は幕となります。
頭ン中が真っ白になってしまうような真相は強烈な印象を残すのですが、自殺候補者が抱える様々な問題とそれにまつわるエピソードを平行して描いていく前半部と、それぞれの物語が次第にある一人の人物に焦点を合わせて収束していく後半部とが見事な対照を見せているところが素晴らしい。
本格ミステリ的な技法として見た場合、容疑者をあぶり出す場合、この結構は往々にして幾人かの容疑者の中からある人物を中心軸に据えつつ読者を巧みにミスリードさせていく、――というやりかたが一般的であるわけですが、本作はそうした意味では『Another』にも似た手法によって、容疑者を読者の視角から完全に外へと追いやってしまう大胆さが光っています。
さらに本作では、この大胆な技法が、本作の最後の最後に明らかにされる真の「容疑者」と、この人物を取り巻く構図を示唆するものとなっているところも秀逸で、この人物の心の叫びは、ケータイ小説的な過剰さを纏わせた各「容疑者」の様々な逸話と対置することで陰影が際立ち、それとともに敗北する探偵の姿を鮮烈に描き出すことにも成功しています。
そしてこの誤導から意想外な「容疑者」を明らかにするという技巧によって「人間を描く」という、極めて人工的な筆致による「人間描写」は、自然主義的フツー小説では決してありえない本格ミステリならではの技法であり、――と同時に新本格始まって以来の「人間が描けていない」云々という批判を逆手に取ったものであるところも、個人的には好感度大。
また、本作における自殺志願者である「容疑者」を特定できなかった読者に向けて、笠井氏の「容疑者X」におけるホームレス云々の批判を想起させるところも非常に興味深く、誤導の技巧としては大胆にしてストレートなものながら、現代本格ならではの趣向が採られているところにも注目でしょうか。
現代批判という側面から見ると、本作におけるいじめの真相は、近作では『月と蟹』や、『闇ツキチルドレン』にも通じる、現代の若者の不安感や不信感を表しているようにも思われ、このあたりの構図についてもまた、色々なことを考えてしまうのでありました。
動の『リバース』に対して、静の『サニーサイド』というふうに好対照な風格を持った本作ではありますが、本作の「静」が、自殺事件の構図と「容疑者」、さらには読者の死角へと「容疑者」を追いやってしまう大胆な誤導の技法と合わせて、こうした技巧の構築によって「人間を描」き出そうとした本作の試みとどうリンクしているのか、……このあたりに着目しながらも読みを愉しむのが吉、でしょう。
この「人間の描」き方が、藍霄の『錯誤配置』にも通じるものであるところも含めて、個人的には非常に偏愛したくなる一冊で、再読時には是非とも、最後に明らかにされる真の「容疑者」の姿を追いかけつつ、この人物の内心をすくい取る読みによって、人工的に構築されたこの物語を読者の手によって「再構築」し、この人物を「救済」してもらえば、――と願う次第です。オススメ、でしょう。