昨日とりあげた「猟人日記」は本田というスノッブな女好き(昔フウにいうと、ドン・ファン)が主要登場人物でしたが、スノッブな男といえば、やはり大石圭センセを挙げない譯にはいきませんよねえ。
もっとも最新作である「1303号室」は大石版「呪怨」といったかんじの純正なホラーでして、スノッブな登場人物は皆無でした。現在の作風の原點といえばやはり大石版アメリカン・サイコとでもいうべき「死者の体温」で、アメリカン・サイコを髣髴とさせる、というかそのまんまの素晴らしい文体と、殺人にとりつかれたスタイリッシュでスノッブな主役がキモでした。
スノッブな殺人狂というモチーフは、その後「殺人勤務医」と「湘南人肉医」に繼承されていくのですけど、じゃあ「死者の体温」以前の大石圭ってどんなかんじだったのか、果たしてそこには現在の作風に通じるものを見ることが出來るのかどうかを探る、というのが今日のテーマです。またまた前置きが長かったですねスミマセン。
處女作である「履き忘れたもう片方の靴」は讀んでいないので、とりあえず自分が持っているなかではもっとも古い本作を今日は取り上げてみたいと思います。
ジャケは何だか漫畫チックでいかにも普通っぽいんですけど、内容は普通の讀者の感情移入を排するかのような設定がこれまた鬼畜系の大石センセらしい怪作でありまして、ジャケ帶がかなりふるっているんですよ。
肉体が衰えるほど、女は美しい。
歳を重ねて女は美しくなれる。貪欲に男を求め、人を愛し、自分を愛する。気鋭が書き下ろす衝撃のエロティシズム。
「1303号室」を既に讀まれた皆さんだと、「ここでいう肉体の衰えってさ、要するに死体の腐乱ってこと?」なんて誤解してしまうかもしれません。
いやいやそうではなくて、本作のヒロインは五十歳代の女性でして、肉体の衰えというのは簡單にいえば老化。鬼畜系の大石センセらしからぬテーマである譯ですけど、なかなかどうして、エロティシズムとともに物語の要所要所でグロな描写もふるっています。
プロローグから始まる物語は「息子さんが死んでからずっと、あなたは死ぬことばかり考えている」という、何者かが「あなた」を語るところから始まります。
このまま「あなた」は離婚して、語り手のいる森の中の館を「あなた」が訪ねてくる、……というふうに續くのですけど、徹底して二人稱で話が語られるあたりが普通の小説とは異なるところでしょう。
この語り手は何者なのか分からないまま話が進むあたりはミステリのような展開なのですが、中盤でこの語り手である私が呆氣なく現れて、彼はこの森のなかに佇む、十八世紀歐羅巴風の館の主人であることが明かされます。
この私の造型は後の「オールド・ボーイ」や「自由殺人」で登場する謎の変態大富豪のモチーフと共通しています。なるほど、アメリカン・サイコにはなかったこの人物造型は、「死者の体温」以前から大石氏のなかにあったイメージという譯です。
ただし、大石ワールドではお馴染みのアイテムはあまり出て来ません。例えば熱帶魚。例えばマンデリン。「あなた」がこの館を訪れたときに最初にふるまわれるのは、マンデリンではなくてダージリンティーだし、このあたりはちょっとアレなんですけど、それでも「あなた」に傅く使用人の男性の名前はヤンだったりするところは、ちょっとニヤリとしてしまいますよ(ヤンというのは、「殺人勤務医」のなかで出て來る犬の名前)。
この館に住んでいるのは皆、「あなた」と同じような五十歳過ぎの女性なのですが、私が彼女たちをここに住まわせている目的は何なのか、そして私にとって「あなた」だけは特別なひとだという。その理由は、……というあたりの謎を絡めて、物語は中盤まで進むのですが、年齢不詳の私が「あなた」にある大切なものを見せてしまうあたりで、物語はサスペンスふうから、何処か幻想小説めいた展開になっていきます。
というのも、私がその秘密を「あなた」に見せたあとは、私が「あなた」に對して「あること」をするのを待つばかりとなってしまうので、ミステリ的な要素で物語を牽引することは出來なくなってしまう譯ですよ。そこで大石氏が考えたのが、グロとエロス。
この変態大富豪は膨大な蝶のコレクションを有しているのですが、それはもう蝶を幼蟲から育てているほどの熱のいれようでして、この館のなかには色んな蟲がいるんですよ。
芋蟲、黄金蟲、蟷螂、……とにかくそういうものを使って「あなた」と色々な「遊び」をする譯ですが、それが何とも。芋蟲が嫌いな女の人は正直ウエッてなかんじになるので、このあたりは軽く讀み飛ばした方がいいですよ本當に。まあ、それでも興味があるって貴女に少しばかり説明致しますと、要するにナインハーフごっこを氷の代わりに芋蟲でやっちゃいましょう、というものです。
最後は予想通りの幕切れとなるので、本作は結末の意外性などよりも、このエロ、グロ、変態大富豪のスノッブぶり、奇矯ぶりを愉しむべき小説でしょう。
しかしエロスといっても、……ちょっと困ってしまうのが、何しろヒロインは五十代のオバサンであるということ。そんなオバサンを大石氏は執拗なほどに熱のこもった描写で見せてくれる譯ですが、いくらエロっぽいシーンを描いても、やはりオバサンですから、……男の自分としては今ひとつノることが出來ないのですよ。
エロスのシーンは大石氏らしいスタイリッシュな描写が際だっているので、女性でも全然大丈夫な筈なんですけど、やはりオバサンですから。大石氏の讀者である若い女性が果たしてこのヒロインにどっぷりと感情移入して讀むことが出來るかどうか甚だ疑問です。
五十代の女優というと、……なんてかんじで自分も讀み進めている間に色々と考えてはみたものの、頭に浮かんでくるのは「極道の妻たち」で威勢の良い啖呵を切っていた岩下志麻だったり、大畫面の液晶テレビの前に正坐している吉永小百合だったりして、こう、何というか、ヒロインの造型をうまくイメージすることが出來ませんで。もっともよくよく考えてみるとお二人とも既に六十過ぎでしょうか。
そういう意味では讀者を選ぶ物語、といえるんでしょうかねえ。というか、何となく女性讀者を想定した小説のような氣がするんですけど如何。少なくとも男が讀んでも、餘程の好事家でない限り、そういうシーンで愉しむことは出來ません。
さて、本作で是非讀んで頂きたいのがあとがきです。本作のヒロインのモチーフとなった女性と大石氏との出會いについて書かれているのですが、このエピソードに大石氏の作品の原點を見たような氣がしました。ファンは必讀でしょう。