これは、いい。いずれの作品もそれぞれに趣向を凝らした力作揃いで、思い切り堪能しましたよ。
収録作は評論一作を含めて全部で十作。ここでは小説と漫畫だけを取り上げてみたいと思います。
まず冒頭を飾るのは、小林泰三の「大きな森の小さな密室」。
これは短い乍らも密室殺人を問題編と解決編のかたちでうまく纏めた作品で、密室を仕上げた方法の解明よりも、何故密室にしたのか、その動機に力點を置いて推理をすすめていくあたりが今風ですねえ。
ただ、些か短すぎることもあって推理パズルから拔け出せていないようなかんじがするのがマイナスといえばマイナスでしょうか。ただこれはあくまで本作に収録されている他の作品と比較した場合の意見であって、これが犯人當てのミステリを取り上げた作品集という趣旨であれば決して缺點にはならない譯で、短いゆえに大きなひねりもない一方、パズルとしては破綻なく纏めあげた一作ともいえるでしょう。
次は既に新本格の大御所という風格もあり、毎回新鮮な仕掛けで驚かせてくれる山口雅也の「黄昏時に鬼たちは」。
ネットで知り合った仲間でかくれんぼを行うのだが、そのあいだに隱れ役の一人が死体で見つかって、……という話なのですが、死体が発見された後の警察の捜査の側から描かれたパートと、かくれんぼに參加していた或る人物の側からの場面が併行して語られるという構成が見事。
ネットで知り合った仲間という設定をうまく活かしており、最後の仕掛けに對しての周到なミスディレクションを用意しているあたりに、作者の技の冴えが光っています。讀了した方であればお分かりかと思いますが、自分のような趣味を持つ人間にとっては完全にツボでしたよ。
併行するパートが最後にひとつになり、讀者は見事な背負い投げを喰らわされる譯ですが、このミステリ的な仕掛けによって事実があきらかになった後、事件に關係している人間たちの悲哀や苦悩が物語の背後から滲み出してくるというところに、小説としてうまさが際だっています。ミステリの仕掛けが小説全体の物語とテーマに奉仕しているという點でも、當に巧みの技を見ることが出來る一作といえるでしょう。
續いては、竹本健治の「騷がしい密室」。
密室を扱った学園もので、探偵は牧場智久。期待してしまったんですけども、仕掛けは予想通りだったし、突き拔けたものがないんですよねえ。この一作だけみたらミステリとしてもうまく仕上げてあるし、惡くはないんですけど、いかんせん本作に収録されている他の作品が強者ばかりなので、どうにも影が薄くなってしまっています。嗚呼、勿體ない。
次は初讀の作者、伯方雪日の「覆面」。
これも仕掛けはすぐに見拔けたんですけど、とにかく小説としてうまい。讀ませるんですよねえ。「誰か」が孤児院に預けられるところの独白から始まるのですが、そのあとに死体が発見され、格鬪技マニアの刑事が捜査を始める場面とが併行して語られていきます。
この構成は上の「黄昏時に鬼たちは」と同じで、仕掛けも全く同じといってもいいくらい。
仕掛けの冴え、という點では、周到なミスディレクションを作中全体に凝らしている「黄昏時に……」のほうが上なのですが、一人の人間の悲哀、苦脳、挫折といった小説的なテーマを包含してミステリへと昇華させているという點では、本作も捨てたものではありません。
何しろ本作の場合、冒頭、この誰かが孤児院に行くところから事件に至るまでの、いうなればひとりの男の半生をこの短い作品の中で見事に描ききっているので。それが警察の捜査のパートと融合して眞相が明らかにされる後半に至ると、見事なミステリ的反転を見せる。ミステリという土俵で「人間を描く」っていうのはこういうことなんだ、ということを分からせてくれる一作。
ところで、この物語に登場する寿っていうのは、「タフ」でいうアイアン木場、「餓狼伝」でいうグレート巽、要するにアントニオ猪木ってことで宜しいんでしょうか。
續いては柳広司の「雲の南」。実はこの作者の作品も初讀。
マルコ・ポーロでさえも一度も答えることが出來なかった謎とは何か。それを老人となったマルコ・ポーロが牢屋のなかで囚人達に語って聞かせるという物語なのですが、この逆説的なロジックの恍惚。これを愉しめることが出來るのは、ミステリやSFが大好きな人間だけでしょう。勿論自分は堪能しました。
この雲の南に關して囚人たちが樣々な推理をはたらかせる場面もいいが、犬はなぜしっぽをふるのかに始まる小ネタが隨所に散りばめられていてこれがまた、ひねくれた論理で押しまくる物語世界を見事にひきたてているんですよねえ。これがいい。
そして三雲岳斗の「二つの鍵」もまた「雲の南」とはまた違ったかたちで、ロジックを堪能出來る一品。
「雲の南」がその逆説的な發想で読者を愉しませてくれる傑作だとしたら、こちらは當に正統派。探偵役はかのダ・ヴィンチで、殺された商館の主人の遺言書を巡る事件に精緻な論理を驅使して犯人當てに挑むという趣向なのですが、保管箱と二つの鍵、そして遺産の配分という要素だけでこれだけ見事なロジックを披露してくれるとは、當に作者の手腕に脱帽です。
緻密な論理によって容疑者をひとりまた一人と絞り込んでいく消去法の冴えは、かの有栖川有栖の「スイス時計の謎」に勝るとも劣らない出来榮えです、というか、致命的な瑕疵が見當たらないところからも、もしかしたらこちらのほうが上なんじゃないかしら、と思うのですが如何。そして眞相が明らかにされたあとのオチもいい。
まだまだいきますかね。柄刀一の「光る柩の中の白骨」。
これ、舞台はノルウェー、なんでしょうか。氷河、そして白夜、という詩的な物語世界を舞台に、薫製小屋から發見された白骨死体を巡る謎。かつて辛い別れをしてしまった女性のことを忘れられず、彼女の消息を追ってこの村に辿りついた男という設定も秀逸。
しかしこの作品の場合、何よりも五年前に鉄扉を溶接したときには絶對に白骨死体などなく、かつ殺されたと思われる女性が三年前まで生きていた、という不可能な謎がいい。このトリックはようく考えてみると確かにこれしかありえないというものなのですが、讀んでいるうちはまったく考えもつきませんでした。甘いですねえ、自分も。
探偵によって眞相が解かれたあと、彼女の骨を丘の上の墓所へと埋葬するラストシーン。この詩美的な情景は、島田莊司の傑作にも決してひけをとらないほどで、犯人の仕掛けとこの埋葬方法との見事な相似が一級のミステリ作品として、忘れがたい餘韻を殘します。
鳥飼否宇の「敬虔過ぎた狂信者」は最初にされる推理が京極夏彦のアレだったんでちょっと笑ってしまったのですが、眞相はごくごく普通の仕掛けでありました。これもうまく纏まっているのですが、竹本健治の作品と同樣、いかんせん、他の作品があまりに際だっているので、その影に隱れてしまったというかんじですよ。惜しい。
最後に高橋葉介の漫畫、「木乃伊の恋」。これは、本格ミステリではないでしょう。かつての變格のような作風といえばいいか。少なくとも本作に収録されている他の「本格ミステリ」作品と比較出來るような作風ではありませんよ。それに高橋葉介だったらもっとミステリ仕立てでも完成度の高い作品もあるような。
……というかんじで讀み終わった譯ですけど、こういうアンソロジーを讀了すると誰もがやってみたくなるのが、アレですよね。「このなかでどれが一番か」っていうやつ。
で、自分の感想なんですけど、
スミマセン。決められません。
というのも、高い完成度をもってい乍らもそれぞれが際だった個性を持った作品ばかりなので、同じ評價基準でどれが一番だと決めることが出來ないのですよ。
これが「不連続殺人事件」を書いた坂口安吾のような原理主義者だったら簡單にこれだッてかんじでなかの一作を取り上げることが出來るのでしょうけど。
例えば、緻密な論理の冴えを誇る作品、という評價基準で挑めば「二つの鍵」を挙げることに躊躇いはありません。しかしその一方で、發想の獨自性という基準で見れば逆説的な論理が全編にわたって冴え渡る「雲の南」を推すことになるでしょうし。
ミステリとしての驚き、という點にたって考えてみれば、「黄昏時に鬼たちは」でしょうか。
また、ミステリというフィールドで、人間を描ききった傑作ということであれば、収録作のなかでは一番小説的ともいえる「覆面」。それでも詩的な美しさを湛えた文体と登場人物の内面が、ミステリの謎と見事な融合を見せて傑作となっている「光る柩の中の密室」だって、ミステリ作品という色眼鏡で見なくとも十分に評價できる出来榮えだし、……ということで、どれかひとつに絞ることは出來ませんよ。完全に降参です。白旗あげます。
結構な厚さなのですが、あまりの面白さにイッキ讀みしてしまえる作品ばかりで、非常にお買い得感のある一册です。おすすめ。