昨日取り上げた「本格ミステリ05 2005年本格短編ベスト・セレクション」に収録されていた「二つの鍵」が緻密な論理の謎解きを驅使した素晴らしい出來映えだったので、思わず買ってしまいました。これは傑作でしょう。
本作には上に挙げた「二つの鍵」もしっかりおさめられていて、全五編、ダ・ヴィンチを探偵役に据えた連作短編集となっています。
この本の最初を飾る「愛だけが思いださせる」は消失した肖像畫を巡る物語で、まずは探偵ダ・ヴィンチの御披露目といったところでしょうか。また彼のほか、この全編を通じて物語の牽引役となる二人、イル・モーロことルドヴィコ、そして美少女チェチリア・ガッレラーニも魅力的です。
物語の流れとしてはほとんどが同じような構成になっており、ルドヴィコがダ・ヴィンチのもとに事件を持ってきて、チェチリアとダ・ヴィンチ、そしてルドヴィコの三人で事件の檢証を行いつつ、最後はダ・ヴィンチの卓越した推理で事件の真相が明らかにされるという展開。
この「愛だけが思いださせる」の仕掛けはそれほど珍しいものではないのですが、探偵ダ・ヴィンチの考察が見事で、藝術家である彼の知識と着眼點が事件の表層に現れている違和感を手掛かりに眞相をたぐり寄せる、という構成が光っています。
昨日讀んだ「二つの鍵」の印象から、この作者は氷川センセのようなロジック派かなと思っていたのですけど、こういうオーソドックスなものをさらっと書いてしまうとはちょっと驚きでしたよ。有栖川有栖のように、ロジックとトリックのいずれにも見事な冴えを見せる才能の持ち主と見ましたが如何。
續く「窓のない塔から見る景色」は、搭に幽閉されていた女性の消失事件を扱う物語なのですが、これも繪畫の知識がさりげなく活かれているところが鍵で、物語の冒頭で提示されているルドヴィコの逸話が、この消失事件を暗喩しているあたりの構成も巧み。
女性が幽閉されていた部屋には外側から頑丈な閂がかけられていて、ここからの脱出は絶對に不可能で、唯一つあった窓から外を眺めることは出來るものの、普通の建物からは四階ほどの高さの窓から飛び降りることはこれもまた不可能。
果たして彼女はどうやって搭から脱出したのか、また彼女が消失したとき、搭の窓の眞下に置かれていた羊の死体と、幽閉されていた部屋の壁面に描かれた繪畫は何を意味するのか、……ダ・ヴィンチの推理によって搭からの消失の眞相が暴かれるのですが、この事件の首謀者が糾弾されることはありません。
「愛だけが……」といい、そしてこの「窓のない搭から……」といい、惡人らしい惡人が登場しません。「二つの鍵」と最後の「ウェヌスの憂鬱」は殺人事件を扱ったものですが、この連作短篇全体を通して、何ともいえない優しい空気が立ちこめているような氣がするんですよねえ。
で、その風格が何処となく米澤穂信の作風を髣髴とさせるのは何故でしょう。よくよく讀み比べてみると、無駄な装飾のない要を得た文体に、小さなエピソードも物語中に回収してしまう見事な構成、そして生き生きとして個性的な登場人物と、物語の舞台背景は大きく異なるものの、米澤作品とは結構共通點が多いように思うのですが如何。
續く「忘れられた右腕」も基本的には「窓のない塔から……」と同じ構成です。冒頭でチェチリアが目撃した不可解な光景が提示され、そのあとダ・ヴィンチとルドヴィコの間で贋作に關する逸話が語られるのですが、このふたつが後半になってひとつの線に結びついていくという展開。そして謎が解かれた最後の最後に、冒頭の逸話を活かした心憎い落ちが用意されて、これがまた洒落ている。
續く「二つの鍵」は前のエントリ、「本格ミステリ05 2005年本格短編ベスト・セレクション」を參照いただくとして、この連作短篇の最後をしめくくる「ウェヌスの憂鬱」は、前の四作とは少しばかり違った雰圍氣です。
物語は冒頭、「私」の一人稱による不穩な語りから始まります。皆から「師匠(マエストロ)」と呼ばれ、彼と對峙する男からは「建築家氣取りの異郷人」などと罵られているこの人物は何者なのかという興味から、もう一氣に引きつけられてしまいます。
「私」が男を殺したところで節が變わり、チェチリアとルドヴィコ、ダ・ヴィンチ三人のいつも通りの場面に戻るのですが、チェチリアもダ・ヴィンチのことを「師匠」と呼んでいることに讀者が氣がついていない筈はなく、果たして男を殺したのはダ・ヴィンチなのか、それとも……と心落ち着かないまま讀者は頁をめくることになります。まあ眞相は是非とも讀んで確認していただきたいですね。
連作短篇とはいえ、全編を通して大掛かりな仕掛けがある譯ではないのですが、ひとつひとつの作品の完成度がとにかく尋常ではないんですよ。ただこれで終わりなのはちょっと殘念だなあ、という氣もします。ダ・ヴィンチを探偵に据えたこの物語でまたシリーズ化されて、續きを讀むこととか出來ないのでしょうか。
というのも、最初の短篇「愛だけが思いださせる」と「窓のない塔から見る景色」で、ダ・ヴィンチは「最後の晩餐」を未だ完成させていないことが分かります。
彼はユダの顏を描けないまま、この一年間ずっと作業が滯っているというのですが、その理由というのがふるっていて、聖書に描かれているユダはこの上なく悪辣な人間だったのだから、壁畫の中の彼もその悪辣さにふさわしい顏に描かなければいけないと。しかし自分はユダにふさわしいと思えるような極悪人の顏をまだ見つけていない、つまりユダの顏にふさわしいようなモデルにはお目にかかったことがない、といっている譯ですよ。
本作に収録されている物語にはユダに匹敵するほどの惡人は登場していなかったし、だとするとこの本の物語が終わったあとも未だ「最後の晩餐」は完成していないに違いなく、ユダのモデルになりえるような極惡人が登場する事件が描かれない限り、この物語は終わらないのではないかなどと考えてしまいました、というか、作者の三雲氏としてはそこまで考えていて、本作をシリーズ化する心積もりであると期待してしまっても宜しいですよね、出版社の方。
高い完成度を誇る短編集で、緻密なロジック、魅力的な謎、物語の牽引力、巧みな伏線と推理とミステリの美味しいところを過不足なく纏めた素晴らしい作品。超おすすめ、というか絶對に今讀んでおいたほうがいいですよ本當に。