探偵小説研究会のサイトがついに公開、そして會の機關誌である「CRITICA」が創刊されたわけだが……このサイトが自ドメインではないのである。多くのミステリ讀みが既に自ドメインを持ち、或いはブログを運営しているなか――ジオシティ内にある研究会サイトのヘッダには「株、始めてみたいけど…… ちょっと資金が、そんな方にお勧め。少額の資金でも思いのままに キンカブなら今すぐ投資をスタートする?」や「0円で体感!夏だ!山だスノボーだ!気分爽快!これが重力リーライド」といった、おおよそミステリとは關係のないバナー広告が踊るデザインに、サイトの公開を心待ちにしていたミステリマニアの期待に応えられたのかどうかは覚束ないが……、なんてかんじで、「「CRITICA」創刊にあたって」の文体模写をしてみたんですけどなかなか難しいので元に戻します。
何だか思いの外弱氣でオドオドした樣子が窺えるこの創刊宣言に、ええい、もっと堂々としたらどうなんですかッ!なんて氣合いを入れてしまいたくなってしまうんですけど、まあ、この今後の研究会の活動に對する、キワモノマニアのボヤキや期待や提言といったものは次回のエントリに讓るとします。
で、今月號のミステリマガジンの發賣に伴いまたまたミステリ業界には何やら不穩な空気が立ちこめつつあるような気配の感じられる今日この頃、……ってだいたい何をいいたいかは皆さんおわかりかと思うんですけど、今回そのことに関連して是非とも取り上げておきたいのが、この「CRITICA」の巻頭特集、「「第三の波」の帰趨をめぐって」というタイトルで笠井、諸岡、小森三氏で行われた鼎談についてでありまして、これ、今日に至るもミステリブログ界における大御所の方々がこの機關誌の内容を紹介していない、っていうのはやはり笠井氏がいうところの「ムラ共同体」たちの間ではこの話題をネットで取り上げるな、みたいな箝口令でも敷かれているということなんでしょうかねえ。
まあ、自分のような、熱烈な本格ファンでもない、一介のキワモノマニアに過ぎないプチブロガーにしてみれば、そんな規範とはまったく關係ないところで、こんな駄文を日々ダラダラと書き綴っている譯でありますから、ここでこの内容を取り上げてもまったく問題はない、ですよねえ。
というか、自分としては探偵小説研究会の今後の活動に大きな期待を抱いておりまして、その理由についてはこの「「CRITICA」創刊にあたって」のある一文に大變な感銘を受けたからではあるんですけど、そのことはまた今度別のエントリでジックリと語りたいと思います。で、まずはこの機關誌「CRITICA」がもっとモット賣れてもらわないと困る。もう「幻影城」や「幻想文学」の二の舞は眞っ平御免ですよ。
個人的には「クイーン論の現在」という特集における瀬名氏のインタビュー目当てで購入したんですけど、こっちよりも皆さんには「第三の波」ネタを取り上げた方が興味を持ってもらえるかと思い、今日はこの中から笠井語録とでもいうべき、笠井氏の過激な發言をいくつか紹介してみたいと思います。まあ、コメントはしません。まずはこの笠井氏の發言にザッと目を通していただくだけで、これは絶對に「買い」だと分かると思うので。ではいきますよ。
まずは有栖川氏への宣戦布告ともとれる以下の發言に大注目ですよ。尚、今回は勝手に強調タグ入れてます。
『マレー鉄道の謎』が出た直後に、僕は「本格ミステリに地殻変動は起きているか?」(『本格ミステリ・クロニクル300』所收)を書きました。この時点では、有栖川原理主義には与さず、脱格系の可能性に期待を表明するというスタンスだった。しかし、脱格系全面擁護の論陣を張ったとはいえません。それから四年が経過し、いまや『容疑者X』評価を焦点として、二〇世紀探偵小説論と本格原理主義の非和解的な対立の構図が鮮明に浮かんできたわけです。同床異夢だった事実が暴露された以上、城内平和も終わりです。僕は一歩も引く気はないし、先方にもそう願いたい。これまでのような問題の曖昧化と棚上げを、今後は認めようとは思いません。
そして同じく笠井氏が原理主義者とする北村薫氏については、
北村は、しばしばエラリイ・クイーンへの愛を語りますが、あれはたんなる神格化でしかない。
とバッサリ。そして自らは今後は「野党」となって第一線からはひとまず退くとし、
二〇世紀探偵小説論、第三の波論の立場から、この十五年ほど僕は、綾辻以降の本格世代を支援してきました。しかし『容疑者X』を争点とした「選挙」に負けたわけですから、下野するしかありません。こうなった以上、ジャンルを代弁するかのような立場は許されない。「野」(外野席?)から「政権」(骨化した原理主義的政権?)を批判するのが野党の本道でしょう。外野席から野次を飛ばすといってもいい。
さらに「ミステリマガジン」を含めた批評活動も、もうやってらんねえ、と宣言、
これまで第三の波の現状を、その都度「ミステリマガジン」連載などで分析してきましたが、そうした仕事もこれで終わりです。最後の分析としていえるのは、第三の波が「終わり」の「はじまり」を通過したということ。
また二階堂氏に對する有栖川氏の心情を推し量り乍らも、有栖川氏に對する批判はさらに續きます。
有栖川有栖の「赤い鳥の囀り」(「ミステリマガジン」二〇〇六年八月号)によれば、同じ『容疑者X』否定論にしても、二階堂の場合は「理」は通っているが「情」として理解はできる。しかし笠井は、「理」においても「情」においても容認できないそうです。この「情」というのが、ムラ共同体に瀰漫する曖昧で強力な同調圧力ですね。二階堂はもともと共同体の一員で、たんなる困ったちゃんだし、反省すればまた仲間として一緒にやれる。しかし、外部からムラを「誹謗」する笠井は断固排除するという宣言です。おまけに、笠井は純情な二階堂を利用して『容疑者X』論争を仕掛けたとまで邪推している。なにをかいわんやですね。
このほかにもさりげなく我孫子氏による清涼院批判に對して「あれは「批判」といえる水準ではない」と斬ってみせるなど、何だか笠井氏のあまりの激しさに讀んでいるこちらはタジタジとなってしまいます。とにかくこの鼎談を讀むだけでも創刊號を買う價値は大いにアリでしょう、というか今後の日本のミステリの凋落をウォッチしつつ、未来には「日本には昔、本格ミステリっていうのがあってねエ」なんて昔語りをしてみたいという奇特なマニアには當にマストアイテムといえるのではないでしょうか。確かにこの過激さでは商業出版はどう考えても無理、ですよねえ。
自分としては千街氏の「時計仕掛けの非情」も含めて非常に複雜な感想を持ってしまったんですけど、一言だけ。笠井氏やその他、笠井氏によってムラ共同体の人間とされている皆さん、或いはアンチ笠井氏の方々も含めて、どうやら本當の敵を見誤っているのではありませんかねえ。
というか、もしかしてこの本當の敵のあまりの強大さに、皆さん意識的に禁忌をもうけて發言を控えているとか、そういうことなんでしょうか。このあたりは是非ともプロの方々の本音を聞いてみたいものですよ。で、自分がここでいう本當の敵とは何かっていうことなんですけど、このブログを讀み續けておられる奇特な方(いるのか?)にはすでに明々白々でありましょう。
それはミステリ作品をリリースしている大手出版社であります!……ということでこのあとダラダラ、ネチネチと最近の出版業界批判と探偵小説研究会の試みについての期待を込めて色々と書いてみようと思ったんですけど、何だか引用をするだけでムチャクチャ長くなってしまったのでこのへんで。このエントリ、多分續く、と思います。という譯で以下次號。