山田節不條理ラプソディ。
オール讀物に連載された短編を纏めたものとのことなんですけど、SF的な舞台設定の作品あり、不條理な恐怖譚あり、ベタな人情噺ありと作者の多彩な作風にふれることが出來る傑作短編集。
山田氏の短編といっても正直あまりピン、ときませんで、ミステリ讀みの自分としては過剩なまでに樣々な要素がブチこまれた異形世界が堪能出來る長編作品ばかりを思い浮かべてしまう譯ですが、長編に注ぎ込まれた過剩なアイテムを取り出して一編一編に仕上げていくとこんなかんじになるのカモ、という印象でしょうか。
収録作は、コスい老人に脅迫されていた男の語りで人生の悲哀を描いた「友達はどこにいる」、回転扉をネタにしたふしぎ小説でタイトルもマンマの「回転扉」、猫ネタを絡めた男の妄執と狂氣がいかにも作者らしい「ネコのいる風景」、御近所のアブないオジさんに人生の虚脱を描いた「ねじおじ」、少女の静かな狂氣と妄想が一級品の冴えを見せる幻想篇「少女と武者人形」、バイクで事故った小市民が道行くドライバーに無視されつづける恐怖譚「遭難」、男の妄想と記憶が混沌を生み出す「泣かない子供は」、無意識悪女が壁の音からグングンと妄想をふくらませる「壁の音」、東南アジアで現地女を斡旋するタクシードライバーにつかまった小市民の恐怖「ホテルでシャワーを」、狂氣妄執混沌といった作者の持ち味をスッカリ取り拂った普通小説の味わい「ラスト・オーダー」など、全十二編。
個人的にはやはり不條理や妄想がないまぜになったような作風が斷然好みで、この中では語らないことで物語の厚みをくわえていくという技が秀逸な表題作「少女と武者人形」が素晴らしい。主人公の少女は、屋根裏部屋に飾られている武者人形の剣に血がついていないのを確かめないとどうにも落ち着いた氣がしないという偏執狂で、父親とのアヤしい關係を仄めかしながら物語は淡々と語られていきます。
少女の内面や思考をトレースし乍ら、そこへさりげなく讀者への問いかけも行うという獨特の語りが見事な効果をあげていて、記憶の混濁や曖昧さを幻想へと昇華させる手際は氏のミステリにも共通して使用されている手法でしょう。大仰な事件が發生しないゆえ物語は淡泊な雰圍氣を裝いつつ、不穏な空気をまじえて語られる少女の逸話が最後に怪異へと繋がる幕引きもいい。
自分を取り巻く世界との違和感が際だった作品が多いところも見所で、「ねじおじ」は転職をしたものの、どうにもむなしさが心から離れない小市民が主人公。彼はある日、無我夢中に競歩をしているご近所のアブないオジさんを目撃してしまう。子供や自分の妻はこのオジさんのことをねじおじさんと呼んでいるらしいのだが、……という話。
ねじおじさんが異界の化け物で、というネタかと思いきや、生ぬるい虚脱感にとらわれた主人公そのままに大きなオチもなく物語は終わってしまいます。しかしこの何処か投げやりっぽい雰圍氣がそこはかとないユーモアと小市民の悲哀を効かせてているところが自分好み。三橋一夫のふしぎ小説っぽい風格の作品ですかねえ。
小市民といえば、街がすぐ向こうに見える山道でバイク事故に遭ってしまった男を描いた「遭難」も秀逸。通りかかる車に手をふって自分をアピールするものの、盡くドライバーに無視されて「遭難」してしまう主人公の恐怖は、もし自分がこんな目にあったらと思うとちょっと怖い。最後にかなり無茶なことをして漸く男は一台の車をつかまえるのですけど、道行くドライバーが盡く自分を無視して通り過ぎていったその理由が最後に明らかにされるところはちょっと鬱。
クダラない妄執にとらわれた人間の静かな狂氣を描いたのが「壁の音」と「泣かない子供は」で、後者は特撮マニアだった子供時代を持つ主人公が妻の出産に立ち会ったときのお話。
「泣かない子供はネズミをとる」という記憶違いのマイ諺に取り憑かれた男の過去を、特撮に夢中だった子供時代から、燒き鳥屋で知り合った左翼バカとの出會いまでをダラダラと描いていきます。これまた大きなオチこそないものの、男の人生の空しさと子供の出産というおめでたエピソードとの対比がいい味を出している佳作でしょうか。
表題作と竝んで静かな狂氣と恐怖を描いたのが「壁の音」で、半熟卵を食べてダラダラと過ごしている女は今日こそ壁の音を聞くのではないかという妄執にとらわれてしまう。モテ女だった主人公はこれまた自殺妄想に取り憑かれた男と付き合うことになるものの、結局女のダウナーなキャラに馴染めなかったのか、男は女の友達に乘りかえてはみたものの、やはり彼女のことが忘れられないらしい。そして女友達から男は薬を飲んで自殺未遂をはかったと電話があり、……。
小市民が悪夢的な小恐怖に巻きこまれるところがブッツァーティっぽくてツボだったのが「ホテルでシャワーを」で、物語の主人公は「将来有望な商社マン」。うまく仕事を終えたあと、とある東南アジアの小国にち寄ってみよう、なんて妙な氣を起こしてしまったばかりに、トンデモないことになってしまうという話。
空港の暗いロビーで、田舍ものの日本人たちの買春ツアー御一考樣を目撃した主人公はイヤーな氣分になるものの、気を取り直し旅行者向けのデスクでホテルをセレクト。ホテルに着いたら熱いシャワーを浴びてビールを一杯、なんて考えたいたところ、背後から「タクシー、いりませんか」と現地の男から聲をかけられる。
惡い奴じゃなさそうだったので、誘われるまま男の白タクに乘り込んでしまったが運の尽き、その後、下手クソな日本語で執拗に「ナイス・ガール、いりませんか」とおすすめされるんですけど、この現地男の執拗さはある意味異常。
「いらない……」
吉田はボソリと答えた。
「どうして、いりませんか」
「どうしてって、いらないんだよ」
「チャーミングな、娘さんよ」
「そうかね」
「とても、とてもチャーミング」
「それはいい」
「顔みてから、お金払えばいい」
「べつに疑っているわけじゃないさ」
「いりませんか」
「いらない」
「どうして、いりませんか」
「どうしてって……」
堂々巡りの質問攻めに旅行疲れの頭で思考を巡らすことさえ疎ましく、ただひとこと「疲れてるんだ」といいかえせば、
「主に、どこらへんが疲れてますか」
「どこらへんって……どこもかしこもだよ」
「全体に、ですか」
「ああ、まあ、そうだな。全体に疲れていますよ」
「疲れているとき、チャーミングな娘さんとお話する……」
こんな無限ループの會話が延々と數ページにわたって繰り広げられるところが堪りません。粘着質の現地男にブチキレた彼はタクシーを降りて、次のタクシーをつかまえようとするのだが、……。
妄想や狂氣が時に薄気味悪さを喚起する物語は、いかにも山田氏らしい作風ながら、「ねじおじ」や人情噺っぽい「ラスト・オーダー」、そして「泣かない子供は」などの奇妙な味が獨特の風合いを添えていて、この何でもアリなところが何処となく三橋一夫を髣髴とさせます。氏のミステリが好きな人よりも、解説で高橋良平氏も述べていますけど、異色作家短編集とかが好きな人だとハマれるかもしれません。