歴史的傑作に乱歩賞は無縁也。
「三年坂 火の夢」、そして「東京ダモイ」という二作を讀了してみて、フと昔の乱歩賞作品を讀み返してみようと思った次第です。とはいえ生來がひねくれ者の自分でありますから、マトモに受賞作を手にとってみたのでは面白くない。寧ろここは辛くも受賞を逃してしまった作品に光をあててみよう、という譯で本日は森村誠一の「高層の死角」と受賞を爭って惜しくも受賞を逃した、夏樹静子の作品「天使が消えていく」を取り上げてみたいと思いますよ。
「高層の死角」と本作であったら個人的には絶對にこちらの方がミステリ作品としても一編の小説としても上だと思っているんですけど、どうやら選者の方の見解は自分のようなキワモノマニアと大きく異なったようでありまして。「高層」の方は大昔に一度讀んだきりで既に内容の方も殆ど覚えていないんですけど、恐らくは今讀んでもこの感想は變わらないと思います。
ミステリ的には大胆な操りを主題に据えた作品である本作は、逆に操りというテーマそのものが非常に今日的であるからこそ今、評價されるべき傑作だと思うのですが如何でしょう。
とはいいつつ、物語そのものは往年の乱歩賞的というか、昔の推理小説的でありまして、ホテルに宿泊していた男が殺され、その後に續くようにそのホテルの經營者が今度は毒殺されてしまう。果たして犯人は誰なのか、……とあらすじを大胆に纏めてみるとこんなかんじ。こうして書いてみるといかにもフツーっぽいんですけど、本作では犯人が仕掛けたトリックの強度がとにかく尋常ではないところに注目ですよ。
物語はこのホテル絡みの殺人事件を追いかけていく刑事の視点と、東京の新聞社を辞めて地方機關誌の記者に落ちた女性のシーンとが併行して語られていきます。刑事のシーンは、いかにもひと昔前の推理小説のフォーマットに則った展開を見せ、容疑者と思しき人物のアリバイだの、毒殺の方法などが刑事の丹念な捜査によって明らかにされていきます。
しかし本作の最大の見所はこの女性記者の場面に込められているある大トリックでありまして、最後の最後に犯人の手記によって物語世界を構成していた全てがひっくり返るという仕掛けと、さらにはそれによってとある人物の悲哀が讀者の胸に迫るという完璧な構成には當に脱帽、ですよ。
そして犯人の手記を讀み終えたあと、女性記者から見たワンシーンワンシーンを辿っていくことによって明らかにされる伏線の妙。當に女性らしい、というかボンクラな男だったらこの伏線の張り方は絶對に思いつかないんじゃないかなア、と思うんですけど、今回は作者の手の内を知りつつ再讀しても、やはり凄いと思いました。
古典からのミステリを回想すれば、昔々のミステリにおける犯人っていうのは、自分が犯人じゃないということを示す爲に色々と証拠隠滅をはかったり、或いは珍妙な機械トリックを弄して探偵を欺いてやろう、とにかく逃げ回ることに必死だった譯です。
しかし時を経てミステリワールドの犯人はいよいよ狡猾になっていきます。今度は逃げ回るだけじゃ面白くない、ならばこちらから探偵を騙くらかしてやろうとばかりに、いかにも犯人は某人であるかのようなトリックを仕掛けてみたりと積極的な行動に出るようになる。で、それでもまだダメだとなるや、今度は物語世界の神たる作者までもがその騙しに介入して、一段上のレベルから讀者そのものを騙してやろうというイジワル振りを発揮、……って今、自分たちミステリ讀者がいるのが丁度このあたり。
で、本作はちょうどこの眞ん中あたりから現在地點に到るところの過渡期に書かれた作品ともいえるんですけど、作者の手を借りてメタレベルなところから騙しを喰わせずとも、人間心理に知悉した犯人であれば探偵のみならず讀者もまだ十分に騙すことが出來るのだということを教えてくれるのが本作です。まア、要するにどんなトリックであれ、それが一流であれば騙されるし、またトリックを知っていてもその伏線の妙を堪能することが出來るというお手本といえるでしょう。
この女記記者はとあるきっかけで心臟病の赤ん坊と知り合うことになるんですけど、この母親というのがケバケバのマニキュアを塗りたくったような商売女で、赤ん坊を育てようなんて氣はまったくなし。そんな母親のダメっぷりに主人公である女記者は、赤ん坊の生存權の爲とあればプライバシーの侵害もやむなし、とばかりにこの母子宅を頻繁に訪れるようになる。
しかしこの母親の鬼畜ぶりはとどまることなくエスカレート、女記者の前で熱湯ミルクを飲ませようとするわ、包丁でスヤスヤ寝ている赤ん坊をブチ殺そうとするわともう大變。しかしある夜、この鬼畜女から女記者のもとに生命の電話がかかってきます。
で、その不可解な電話が切れたあとに、この母親は自殺を遂げるのですけど、あんな鬼畜女が自殺をするとはとうてい考えられない。さればこれは他殺に違いないッ、と確信した女記者は独自に捜査を始めるのだが、……。
やがてこの鬼畜母の事件と、ホテルの殺人事件が絡み合って最後にはひとつになるのですけど、犯人が名指しされた時に初めて判明する操りという主題と、その完璧ともいえる仕掛け方、さらには全てはある動機を隱蔽する爲に行われたことが明らかになる最後のシーン、そしてマンマと犯人の操りによって思い通りの推理が開陳される謎解きの場面などなど、物語世界における犯人の巧緻な企みも素晴らしければ、この犯人の企圖を見事なまでに伏線へと昇華させた作者の力業と、本作の魅力を挙げればもうキリがありません。
しかし、こんな素晴らしすぎる傑作では乱歩賞は獲れない譯ですよ。だからこそ専門知識をブチ込んで、ミステリ的なネタは作者の手によって意図的に稀釈されたような作品でないとダメだと悟った老獪な書き手は、そんな下讀みや選者の意図を先讀みするようなかたちで、ミステリ的にはちょっとなア、なんて作品を投じることになる。で、その結果が今回の乱歩賞受賞作だったのでは、なんて考えてしまったのでありました。
……とはいいつつ、早瀬氏と鏑木氏がなまなかでないのは、あの作品も讀む人が讀めば「乱歩賞を獲りにいく」爲に書かれた作品であることが分かるようになっているところでありまして、このあたりの老獪さに、一介のキワモノマニアに過ぎない自分などはただただ無言で受賞作品を受け入れてしまうより術はありません。
で、本作に話を戻すと、これだけの傑作なんだから乱歩賞を逃したとはいえ、まだまだ文庫で手に入るんだろう、なんてアマゾンで檢索してみたら、またまた絶版ですかッ。「高層の死角」の方はとりあえず「江戸川乱歩賞全集」で手に入るみたいなので、このあたりはやはり受賞作でないとダメなんですかねえ、……とこの文章の冒頭でアジテートしてみせた意気込みは何処へやら、昨今の出版業界の潮流を鑑みれば、やはり一にも二にもまず受賞、「歴史的傑作」なんて世迷言は一人で壁に向かって呟いていやがれッと業界のプロに嘲笑されているようで非常にイヤな氣氛になってしまったのでありました。
とまあ、こんなふうに昨今の出版業界についていつになく(といっても頻繁にボヤいてはいますが)毒ついてみせたところには勿論伏線がありまして。まあ、このあたりについては近いうちにあることをネタにネチッこく書いてみようと思います。