駄目ギャグ不發彈。
ジャケ帶にある作者のことばに曰く「合理的であるべき推理小説に、ギャグを和えた非合理的なスラプスティックドタバタ・コメディ風のソースをかけたら、どんな味になるのか」と、ギャグとユーモアに竝々ならぬ意欲を見せている本作でありますが、ミステリマニアにとって合理的な推理とギャグの融合といえばまずいの一番に思い浮かべるのは霞センセ、ですよねえ。
という譯で個人的な興味としては、處女作で見せてくれた地味乍らも筋のいい謎解き部分と作者のいうスラプスティック・ドタバタ・コメディ風の味つけがどれだけ見事な融合を見せてくれているのか、このあたりにあった譯です。で、まず結論からバッサリいってしまうと、ギャグ、少なすぎですよ。
主人公からしてザナドゥ鈴木なんて、いかにも吹き出してしまうような名前なんですけど、名前で笑いをとる、という點でいえばやはり霞センセの方が一枚も二枚も上手です。もっとも本作の笑い担当はこのザナドゥではなく、彼の師匠筋にあたる電波爺。こいつがアインシュタインに絡めて樣々な電波衒學を讀者の前に開陳してみせてはくれるものの、どうにもぎこちないんですよ。
「おっほん、はあ」から始まり、「姉ちゃん、乳もませろ」「はちゃほへら」「ぐげがぼごわ」「ぼぼげがぐご」「どんよりどよどよ」「ふむむむむ」「ぐほほほほ」などなど、センスが古い、ダサいという以前にまず強烈なオリジナリティが感じられないところが致命的。
寧ろこのダサいセンスを徹底的に突き詰めたおじいさんテイストで押しまくった方が相村英輔センセの「不確定性原理殺人事件」を凌ぐ怪作に仕上がったと思うのですが如何。「アジャパー」「ガチョーン!」「どうしようもアイキャンノット」などなど昭和風味の懷かしギャグも交えて會話を展開させていれば自分のようなオッサンも苦笑しながら愉しめたと思うし、昭和を知らない若者世代もニヤニヤと「嗤い」つつその寒ギャグを満喫することが出來たと思うんですよ。
また仕込まれたギャグやドタバタも合理的であるべきミステリの風格を破壊するほどのボリュームではなく、このあたりは作者にも相當の躊躇いがあったのか非常に控えめ。それ故に霞氏と比較するのはちょっと酷、というかそもそもギャグのハジケっぷりからして本作はユーモアミステリというほどその系統のドタバタがないところが物足りない。
恐らく作者は非常にストイックな人だと思うんですよ。優等生が自らの矜持も捨てて裸踊りでも演じてくれれば見ているこちらも嗤うことは出來たのですけど、このあたりで妙なプライドが邪魔をしてしまったのか、ユーモアもギャグもすべてが不發に終わってしまっているところは勿体ないなあと感じた次第です。
では肝心のミステリの方はというと、まずアインシュタインが絡んでいる過去の犯罪というのがあって、来日した博士が道に迷っていると男が現れて彼を家の藏に強制連行、鍵を開けて中に入れられるや、部屋ン中には短刀を持った男が転がっている。吃驚した博士が警察を呼びに行っている間に、男は死体を解体、駆けつけた時には不氣味男がニタリニタリと嗤って佇んでいた。果たして自殺死体を解体したキ印の死体損壊事件かと思われたものの、博士はこれを殺人だと確信していて、……というもの。
この謎の解明がなされるのが最後も最後、エピローグの中で博士が當事を回想するかたちで行われるのですけど、この仕掛けは結構好きです。ただ勿体ないのが、處女作の風格であれば、この謎をもっと物語の中心にしっかりと絡めて、作者の持ち味である端正なロジックで謎解きをする筈だったところを、エピローグの短い枚数でバタバタと驅け足に行ってしまったところでありまして、何故、ザナドゥと電波爺を据えた事件をド眞ん中に配置した構成で纏めてしまったのか、と思う譯です。
アインシュタインが遺した謎の言葉を巡って、ザナドゥと電波爺は老舖のホテルに向かうもののここで殺人が起こります。で、本作はこの殺人が起こるまでに電波爺の妄説なども交えていくつもの脱線を繰り返して展開されるのですけど、このあたりの構成も処女作に比較するとどうにもこなれていないかんじがして、またまた勿体ないなアと感じてしまったのでありました。
仕掛けに關してはまあ、アレなんですけど、これをもっとロジックで見せるやりかたを採らなかったのは何故なのか、處女作ではミステリに對する筋の良さを見せてくれた作者が何故ここまで大きく作風を転換させたのか、その理由が氣になってしまうのでありました。
個人的には處女作の作風でそのまま現代を舞台に据えた作品に仕上げれば、地味ながら佳作ということになったと思うんですよ。本作ではプロローグとエピローグのアインシュタイン博士のパートは結構好きで、ギャグやユーモアなど交えずとも、この雰圍氣だけで一作に仕上げた方が端正な作品になったのではないかなア、と。
ギャグに關しては霞氏や島田御大の「倫敦の漱石ミイラ殺人事件」「嘘でもいいから殺人事件」あたりを參考にして、再挑戦してみるのもいいかと思いますけど、個人的には作者はシリアスな作品の方が向いていると思います。
だってギャグミステリで勝負しようとしたら、今や霞氏や東川氏と相対する必要がある譯で、この二人とタメをはろうとしたらよほど奇天烈なネタを考えないとまったく勝負になりません。ましてやここに上質な本格ミステリの要素とギャグの融合を目指すとあれば、ねえ。
霞ファンなどが本作にギャグを期待すると相當にガッカリすることは確実なので、あくまで普通のミステリとして讀んだ方がいいでしょう。物足りなさは残るものの、處女作で見られた筋の良さは最後のエピローグに僅かながらも殘されている故、再び處女作の路線に戻してもらえれば次作は意外と期待出來るのではないかな、と思った次第。處女作が氣に入った人はあまり期待せずに手にとってみられては如何でしょう。そこそこは愉しめると思います。