ガイジンから見たヘンなニッポン、七海萌え。
ジャケ帶に有栖川氏曰く「本書は、本格ミステリの一大事件だ」という惹句も勇ましく、作中ではさぞかし凄まじい連續殺人事件が展開されるのかと思いきや、実際は七海センセがモデルと思しきポシティブ娘が開陳する怒濤のクイーン論を中心に据え、そこへガイジン、クイーン大先生が見た「ヘンなニッポン」のキワモノテイストを添えた、當に怪作、でありました。
そもそもの體裁がクイーンの遺稿を北村氏が翻訳したというもので、ここにクイーン来日という讀者のいるリアルと、翻訳を行った北村氏が脚注で語ってみせるリアル、さらにはクイーンの訪日のおりに遭遇した事件が展開される作中のリアルが絡み合って奇妙な浮游感を釀し出しているところが秀逸です。
中盤で七海女史をモデルにした女の子がクイーンとガチンコ勝負で怒濤のクイーン論を展開するんですけど、この中でも言及される脚注に施された仕掛けが本作でもフル活用されておりまして、上にも述べた通り、クイーンが体験した作中のリアルと、この作品を讀みながらこの事件を追体驗している讀者のいる現実を結びつける棧の役割を果たしているのが、脚注で「翻訳者」北村氏が語るもうひとつのリアルでありまして、例えばノッケからクイーンを空港まで迎えにいった人物について、北村氏は脚注で「実際にクイーンを招いたのは、『EQ』の光文社である」なんて書いてあるんですけど、これは果たして本作の「翻訳者」である北村氏が語っている「事実」なのか、それとも我々が認めることが出來る「事実」なのか、もう訳が分からない。
いや、勿論ちょっと調べればすぐに判明することなんでしょうけど、本作ではこういう検証を行うこと自体が野暮というものでしょう。ここはもう本作の「翻訳者」である北村氏の語りにまかせてこの虚構のリアルに身を任せてしまった方が俄然愉しめると思いますよ。という譯で、自分はこの虚構と現実がグラグラする心地よい感覺に翻弄されながら本作の物語を堪能させてもらったという次第です。
物語はガイジン、クイーンのヘンなニッポン体驗記と、本屋でバイトをしているミステリマニアの女性の二つの視點から話が進んでいきます。ここへ時折挿入される、事件の犯人と思しきキ印男の場面や、關係者と思しき女性の視点も織り交ぜながら、中盤まで物語は微妙な緊張感を孕みながら展開します。
そして中盤に至って、ついにクイーン大先生と相対することが出來たポシティブ娘が、かねてより質問をブツけてみたかった自説を開陳、時間もおしているところにこの娘っ子が長々と大演説を始めたものですから主催者一同がウンザリした顔でいると、当の大先生は彼女の指摘にいたく興味を持った御樣子。
ここから部屋を移して本作の「作者」である北村氏のクイーン論が展開されるのですが、これが滅法面白い。ポシティブ娘のイタコ語りという趣向がここでは見事な効果をあげていて一氣に引き込まれるのですけど、一方で本作でのミステリ的事件は非常にアッサリ。
紙數もあっていかにも大仰な事件をブチかますことは不可能であるということと、恐らく北村氏的にはこの中盤で展開されるクイーン論を中核に据えたミステリを書きたかったということなのでしょう。
連續幼児殺人事件から誘拐未遂事件へと到る過程で、ポシティブ娘がこの事件に絡むところとなり、クイーンの頭腦が入り組みまくったロジックで我々讀者を眩惑させてくれるのかと思いきや、推理から真相へと到る過程は呆氣ないくらいにスマートです。
このあたりにやや物足りなさを感じてしまうものの、中盤のクイーン論を追いかけるのに精一杯で頭がパンパンになっている自分のようなボンクラには、實をいえばこのくらいの分量が丁度良かったのかもしれません。
またクイーンを拔きにすれば、事件の發生から解決に到るまでの不穩な雰圍氣が何処となく倉知淳氏の「壷中の天国」に似ているなア、なんて感じてしまったのは自分だけでしょうかねえ。
本作は本格ミステリの定石を踏まえつつ、その骨法で遊びまくるというマニアっぽい切り口が素晴らしい一作で、「夏期限定トロピカルパフェ事件」とか、こういう風格の作品に自分は滅法弱くて、もう完全にノックアウトですよ。
ただどうなんでしょう。ミステリマニアという譯ではないけれど、北村氏の作品は好きだという普通の本讀みの人は、例えば本作のキモである中盤のクイーン論などにどんな感想を抱かれたのか興味があるところです。ただマニア指向で、飜譯調の文体を模倣したといいつつ、本屋娘の場面や事件の關係者と思しき女性のパートなどには北村氏獨特のやわらかい空気が感じられ、ミステリマニアでなくとも北村氏のファンであれば十分に愉しめると思います。
また、脚注や戸川氏のあとがきなどには、興味深い「事実」がふんだんに盛り込まれているのですけど、個人的には、本作はまず原型となるクイーン論があって、それを小説のかたちにして一つの物語に仕上げたというところに注目ですよ。
當にクイーンの作品に對する研究成果が実作へ結実した作品ともいえる譯で、このあたりは北村氏を見習って、多くの論評を発表されている千街氏や円堂氏の奮起を期待したいところですよ。それとも千街氏とか円堂氏が書いたミステリを讀んでみたいなア、なんていうのは自分だけなんでしょうかねえ。
異形クイーンの氷川センセやロジックのキレで他作家を大きく引き離している石持氏など、クイーン的な作風から飛躍してみせた日本作家の作品を体験してしまっているマニアしてみれば、本作で展開される「事件」を期待してしまうと些か肩すかしを食らってしまうかもしれません。
しかし本作の魅力はやはり何といっても娘っ子の口をかりて展開される北村氏のクイーン論と、クイーン大先生のヘンなニッポン紀行のキッチュな味つけ、さらには数々の「リアル」が共鳴しながら釀し出される心地よい浮游感にある譯で、ミステリマニアであれば怒濤のクイーン論にグイグイと引き込まれるに違いなく、また自分のようなキワモノマニアもガイジンから見たヘンなニッポンのキッチュな描寫にニヤニヤ出來るというオマケつき。小粒乍らもいくつもの讀み方が出來るという點で非常にお買い得感のある一册です。
ただこれを評論・研究部門に推した本格ミステリ作家クラブの意向にはちょっと贊同しかねますねえ、個人的には。本作はクイーン論を中心に据え、それを小説の體裁で纏めてみせたところがキモな譯で、中盤のクイーン論だけを拔き出して評價したとも受け取られかねない評論・研究部門への受賞は、本作の小説としての存在意義、更には作者の創作意図をためにするものではないか、なんて感じてしまったりするんですけど、まア作者の北村氏が東野センセと一緒にニコニコしている寫眞を見ると、作者が良ければ良いのかしら、と、どうにも煮え切らない乍らも納得せざるを得ないのでありました。