さて先日の「詹宏志の推理小説紀行、土屋隆夫氏を訪ねて 其の一」に續いて引き續き、詹宏志の土屋隆夫氏へのインタビューをお届けします。これでだいたい半分くらいなんですけど、原文はこちら「詹宏志推理文學行旅.尋訪土屋隆夫」。では早速いきますよ。
詹「先ほど創作を始めたきっかけは、脚本を書き始めたことだとおっしゃいましたが、非常に興味深いですね。現在新版の文庫(日本の光文社が九編からなる記念版を新版として刊行)として出版されているもののなかには、あなたがお書きになった推理ドラマも含まれていますが、既にその方面に興味を持たれて久しかったわけですね。何故この方面の脚本をもっと書かれなかったのでしょう?」
土屋「私が書いたのはテレビ用のドラマで、以前はNHKに三十七か八ほどの脚本を仕上げましたよ。ただ、今はこうして田舍に住んでおりますから、役者もいなければ劇場もないというわけで、そうたくさん脚本を書くことも出來ませんね。以前は演劇雜誌に脚本を発表したこともありましたけど、上演はされませんでした。書いても上演されないとなれば書く気力もなくなります。
それでも脚本に取り組んでいる間に戦争が終わると、東京でも著名な脚本家たちが私の家の近くに疎開してきましてね、彼らは演劇雑誌をつくっていたこともあって、私もその雑誌にいくつか作品を発表したりもしました。
ただ實際に舞台で上演するとなるとその方法もなく、こんな田舍で脚本を仕上げ、有名でもない雑誌に作品を発表しているだけでは、演劇に對する情熱も次第に失われていくばかりでした。
もしずっと東京におりましたらその情熱を持ち續けることも出來たのでしょうけど、田舍に戻ってからは舞台もない、役者もいない、演出家もいないということで、私の情熱も次第に冷めていきました。それでも、もし一流の劇団が私に脚本を書いて欲しいというのであれば、書きますよ」
詹「先ほど、乱歩先生の文章を讀まれて推理小説を書くことへの情熱を持つに至ったとおっしゃいましたね。以前あなたが書かれた文章を讀んだことがあるのですが、松本清張に對する評価を乱歩先生へしたためた手紙の中で述べられたそうですね。また乱歩先生を偲ばれる文章も書かれていた。
乱歩先生とあなたが個人的にも非常に親しく付き合っておられたことはよく知っております。現在、日本の推理小説全体の発展の中で、乱歩先生の評価はどのようなものなのでしょうか」
土屋「乱歩先生は皆に慕われるともに、非常に博識な方でしたね。それも探偵小説だけではなく何でもよく知っておりました。大学教授のようでしたよ。私は「宝石」雑誌の懸賞をとったあとに手紙をいただいたのが最初でした。
そのあと雑誌の経営がたちゆかなくなったとき、先生は自腹を切って作家への原稿料を捻出するとともに、自ら編集を買って出て雑誌を立ち直しました。先生の編集の仕事というのには作者への原稿依頼も含まれておりまして、私もそれはもうたくさんの手紙をいただきましたよ。
このとおり先生はすべてを自分でやられる方で、日本ではもっとも偉大な推理作家といえるわけですが、私のような田舍に住んでいる無名な作家にも丁寧な手紙をしたためてくれ、そんなふうにして私たちは手紙での交流を續けていったわけです。
私が最初の長編小説を書いたときでしたか、私は田舍に住んでいるものですから出版社の人間に知り合いもいませんでしたから、いったいどうやってこれを本にしたものか、まったくあてもなかったわけです。その作品は「天狗の面」というのですが、そこで私の友人が知り合いの出版社を紹介してくれましてね、そうして本にすることが出來たのです。
名も知れない一作家が出す初めての本でしたから、ここは是非とも著名な方に紹介文を書いてもらわないといけないと思い、まず乱歩先生にそれをお願いしてみようと考えたものの、心の中では先生はあれほどの有名な方ですから、果たして私の本の序文など書いていただけるものかと。しかしまずものは試しだとお願いしてみたのです。
先生に「いいですよ。いつでも」といっていただけるなど考えてもみませんでした。これが初めて乱歩先生にお会いしたきっかけで、先生は当時立教大學の近くに住んでいたのですが、お会いしたあとすぐ先生に序文のお願いをしたのでした。
それからほどなくして「影の告発」を書きまして、同樣に「宝石」に發表したこの作品では日本推理作家協会賞をいただきました。當時は乱歩先生のお体もすぐれなかったのですが、それでも協会賞の授賞式のおりには出席されまして、その場で先生から賞を受けことが出來ましたよ。
しかしそれは先生が式に出席された最後となり、そのあとは病に伏して、まもなく亡くなられました。これが私と乱歩先生との交流のすべてで、基本的には手紙上だけでの付きあいでしたね。
それとちょっとしたことですが、先生に質問したときにはいつも、そのすべてに眞摯に答えてくれましたね。今まで先生のように素晴らしい方で、眞摯な方は会ったことがありません。まあ、私にとって先生は神様のようなとでもいえばいいですかね。どんな小さなことでもすぐに答えてくれる。大作家でこのように素晴らしい方というのは滅多にいるものではありません」
詹「千草検事はあなたが創造したキャラクターですが、日本推理小説の中でもファンが多いのではないでしょうか。彼はシャーロック・ホームズのような天才型の探偵とは異なり、頭を忙しく働かせて考えるタイプですよね。天才のような能力を持っているわけではない。
彼と、さきほどあなたがいわれたシムノンの小説に登場するメグレは似ているものの、千草検事の方がより人間らしく、リアリティがあります。鷹揚でありながらメグレと比較すると、木訥として、さながら近所の好々爺のような雰圍氣もありますよね。
しかしじっくりと捜査に取り組みながら手掛かりを見つけていくとともに、彼の同僚たちも彼を助ける為に奔走する。ほんの僅かなことに注意力を働かせ、さらにそこへ運の良さも加えて事件の真相へと至るところには、非常にリアリティがあります。ヒーローではない、こういった千草検事の造詣がいいというファンもいるでしょうし、またそこが彼と友達になってみたいという雰圍氣をも釀しだしているのでしょう。
シムノンのメグレは七十編の小説に登場する一方、あなたの創造した千草検事は五編の小説に登場しただけだというのに忘れがたい印象を残します。このような千草検事には、例えばコナン・ドイルがホームズを描く時に彼の科学の先生をモデルにしたように、あなたの身の回りに誰かモデルのような人がいるのでしょうか?千草検事もまた先生のある一面が出ているのでしょうか?あなたと千草検事とも付き合いも相當に長いわけですが、あなたから見た千草検事について何かお話していただければと思います」
土屋「千草検事は私の小説でも特徴的な探偵といえるでしょうが、彼のそんな性格は「影の告発」に見ることができるでしょう。
日本の作品では探偵というのは天才型の人物として描かれます。現場を一目見て、まさに神業のごとく現場の状況をたちまち理解して、驚くべき推理能力を発揮し、――「よし、誰が犯人だか分かったぞ!」となるわけです。
しかしこれは相當に昔の探偵小説での話でありまして、こんな探偵は何処にもいないと思うんですよ。日本では探偵というと一般には刑事や検察官ということになりますが、特に検察官というのは刑事を指揮するとともに彼らにあらゆる捜査を促す権限を持っています。日本で發生した事件とあれば、検察官は現場へ飛んで捜査もしますし、実際法律がそのような権限を与えています。
もしそんな検察官を物語の主役に据えれば、彼は地方に調査に行くことも出來るでしょうけど、これが例えば長野県警の話であれば、県内の捜査に限定されてしまうわけです。もし県外に行く必要があれば、しかるべき申請を行い許可を得なければなりません。これでは思うように活動が出來ませんよね。
これがもし検察官だったらどうでしょう。法律が権限を与えておりますから、彼は調査の為に何処にでも行けるわけですから、これをうまく使うことが出來ないだろうかと思いましてね。検察官を主役に据えてみたのはそんな理由です。
天才型の探偵が登場する以前の探偵小説を、私は面白いとは思いませんでした。まずもって私の身の回りにはそういう人物はいませんでしたし、たとえいたとしても、普通の人間が彼のような人物と気軽に口を聞くことなんて出來ないでしょう。これがもし普通の人間だったら、真面目に調査を行い、そうして事件の眞相にたどり着くことが出來るでしょう。
私が小説の中に書こうと思ったのは、神のごとき名探偵ではなくて、こういう普通の人間です。家では妻とやりあうような普通人で、そんな人物を主役に据えて小説を書こうと思い、千草検事というキャラクターを創造したのです。
あなたの言葉でいえば、彼には名探偵と呼べるようなところはありませんし、まったく普通の人間ですが、しかしこれこそがまず第一に私が自分の小説で描いてみたかった人物の造詣でありまして、そんな彼が多くの讀者の心を・拙むことが出來たのであればそれは非常に嬉しいですね。それは小説の中にもこういった探偵がいても構わないじゃないか、ということでもありますしね」(續く)