キ印操りサスペンス。
「台湾ミステリを知る」第十三回となる今回は、以前に紹介した「詛咒的哨所」の作者、哲儀の「血紅色的情書」を取り上げてみたいと思います。本作は第3屆人狼城推理文學獎を授賞した作品で、前回の林斯諺「霧影莊殺人事件」や寵物先生「名為殺意的觀察報告」と同樣、明日縁書の一册としてリリースされた作品。
内容の方はというと、第一回から今年の第四回受賞作を讀んでいるマニアにとってはかなりの異色作といえるのではないでしょうか。第一屆人狼城推理文學獎を授賞した冷言氏をチェスタトン系の作風とすれば、第二屆の林斯諺氏は勿論クイーンの直系ということになるでしょう。すると本作の作者、哲儀氏は何になるかというところなんですけど、ちょっと迷ってしまいますよ。というのも、本作は本格ミステリというよりはサスペンス、或いはサイコミステリに近いという印象でして。
事件が起こるまでの經緯を描きながらじわじわと不安感を盛り上げていき、最後にその真相が明かされるという手法は本格ミステリの技巧を踏襲しているものの、本作を讀んだ印象はやはり人間の心理面に踏み込んだサイコものというかんじですかねえ。
そういえば、前回取り上げた「詛咒的哨所」もキ印の犯人の異樣な動機が際だっていた譯で、異常心理を中核に据えて謎解きが進む後半の展開なども含めて、哲儀氏にとってはミステリの手法で人間の心理の内奧を描くことが主題なのかもしれません。
物語は、大学の心理學三年生である女性と私が再會するところから始まります。この女性というのが可愛い子ちゃんで、私の語りは冷静をつとめているものの、この女性を語るあたりでいかにも筆が美文調に走るところから、私が彼女に何となく好意を抱いていることはもうバレバレ。
で、そんな可愛い子ちゃんである彼女は二年前、イケメンのDJといいかんじになって交際していたらしいんですけど、このDJ男がクスリやってラリっていたところを訪れた彼女はこの男にレイプされてしまう。で、この可愛い子ちゃんはそのトラウマを今も抱えている譯です。
そんななか、久しぶりに再會した彼女とおしゃべりに興じていると、突然彼女の携帯に電話が入って、どうやら可愛い子ちゃんの部屋に不審者が侵入して、硝子を壊したりと暴れまわっているという。何事か、と彼女の部屋がある學生寮に駆けつけてみると、警察まで參集していて、部屋の中に忍び込んでいる男に對して出て来い、この野郎なんてかんじで呼びかけている。
しかし部屋の中から返事がないのを訝って鍵を開けて飛び込んでみると、不審者の姿は煙のように消えてしまって、硝子窓だけが壞れている。部屋の何処を探しても人の気配はなく、果たしてその人物は何処に消えてしまったのか……。
さらに彼女はこの事件の前、ストーカーのキ印からと思われる氣持ち惡い手紙が部屋の中に置いてあったのを見つけたというから尋常じゃない。果たして彼女をつけ回しているストーカーは合い鍵を作って、部屋の中に侵入したのかと思いきや、調べてみるとどう考えても合い鍵をつくることは不可能。
隣室の男たちの証言から、硝子窓が壊された時間は判明しているものの、どうやっても部屋から逃走することは出來ない。しかし人が死んだ譯でもなし警察はどうにも乘り気ではないし、ということで私は彼女と一緒にこの事件を調べることになるのだが、やがて彼女の部屋でトンデモない事件が発生して、……という話。
結局、このトンデモない事件をきっかけに硝子窓破損事件のカタがついたかというとさにあらず、実はそこにはとある人物の奸計が仕組まれていて、それが後半に明らかになるという趣向です。
ストーカーのサイコものという體裁をとりながら、本來のテーマである操りを隱蔽するという手法なのですが、自分は前半でこの仕掛けが分かってしまいましたよ(爆)。だって、このムッツリの私のキャラからして、この語り手がアレされているのは明白で、そうなれば自然に何が起こっているのかは分かろうというものですよ。ただ、もし讀者がモテモテ君だったら意外とこの眞相には氣がつかないのかもしれませんねえ。ネクラで女性にはフラレまくりの御仁には論理以前にもう感性だけでこの事件の真相に辿り着いてしまうのではないかと思います。
「詛咒的哨所」は舞台が軍の中ということもあって、語り手のいかにも硬い文章が個性的だった譯ですが、本作も同じ男性のものながらあれに比べると普通に讀みやすく、やはり「詛咒的哨所」の文章は軍という特殊な舞台を題材にした故のものだったのだな、と納得した次第ですよ。
個人的な印象では、本作は人狼城推理文學獎「系」の台湾ミステリの中ではかなり異色。逆説しまくりの冷言氏や、推理しまくりの林斯諺氏、そして仕掛けまくりの寵物先生氏など、本格ミステリの風格を中心に据えたものに比較すると、サスペンスやサイコ風味を前面に出して、人間心理の異常性を際だたせた事件の構成はそれだけで人狼城系の作品の中では風變わりといえるのではないでしょうか。
もっともそれだけ普通小説に近いともいえます。この異常心理が大坪砂男くらいにイキまくってくれると個人的にはかなり嬉しいんですけど、本作の犯人の心理造型はある意味類型的で、そのあたりがちょっと弱いですかねえ。ただこの作品が授賞したということは、ガチガチの本格一邊倒だと思っていた(のは自分だけですかね?)人狼城推理文學獎も実はかなり多彩な作風を受け容れる素地があるということを指し示すものともいえるでしょう。
まあ、このあたりから、自分は「現在の台湾ミステリは、日本の新本格というよりは、幻影城の血脈を繼ぐものである」という考えを持っているんですけど、これに確証を得るにはもう少し台湾ミステリを讀みこんでいかないといけません。
ジャケ裏の作者紹介には「浪漫與幻想的代表」とあるものの、モジモジ君の語り手が最後に殘酷な結末を迎えるあたり、浪漫というよりは惡魔主義の斷片を感じさせます。本格ミステリの仕掛けを物語の主軸におかないぶん、哲儀氏の風格にはかなりの幅があると思われ、作風が今後どのように変遷していくかこのあたりに注目していきたいと思いますよ。