辛口毒舌の貶し藝ここに極まる、清張、鮎哲、彬光は死すべし!
ジャケ帶に権田御大曰く、「戦後ミステリの、貴重な創成期クロニクル」という譯で、當事を知らない自分はやはり買わないとダメでしょう、ということで購入したんですけど、スミマセン、……正直このあまりにキツい貶し藝に最初から最後までどうしても馴染めませんでしたよ。
本書はいうなれば本格の鬼、SRの会の毒舌エッセンスをギュウギュウに濃縮させたものでありまして、大きく三部に分かれています。第一部の「現代推理小説考」は、作者の慶應推理小説同好會時代の文章を集めたもので、二部三部は推理小説同人誌「密室」時代の文章となっていて、特に第二部の「To Buy or Not to Buy」の貶し藝は強烈。原稿用紙二枚ほどの短い文章の中でバッサバッサと作品を斬っていくさまにはもうタジタジですよ。
第三部に入ってもその毒舌刀の斬れ味は冴えるばかりで、大藪春彦の「野獸死すべし」などは、
悪文の極、ナンセンスの極、真実性のない不真面目なしろものである。こういうものはよく大学の同人誌と称しながらその実喫茶店文学誌に載ることがある。自己主張が幼稚な衝動となって現れたのだろうが、すべては観念であり、描写以前のものだ。
といい、さらには「その上内容の低さと来たら話にならない」と完全にダメ出し、その作風を「単なるギャングの喧嘩」と斷じています。まあ、ほとんどがこんな調子で、紙數故に何処がダメなのかを緻密に論ずることはなく、とにかく問答無用とばかりにバッサリと斬り倒すという藝風が續く譯ですから、この貶し藝を愉しめない御仁には苦行以外の何者でもありません。で、実をいうとそういう次第で自分にはかなりアレでした。
何というか、自分の場合、襃めるのであれば短い文章でさらりと書いてもらってもいいんですけど、貶すのであれば何処がダメなのか、その細部に至ってもシッカリと検証を行いながらネチネチとやってもらいたいという気持がありまして、短いセンテンスで「クダラない」とか「クズ」とか一言で斷じてしまうような藝風はどうしても好きになれないんですよねえ。
ジャケ帶では権田御大も「読者は、ある時は鋭い的確な批評に共感し、ある時は愛ゆえの毒舌に驚き、あの時は機知溢れるおふざけにニヤリとしながら、戦後ミステリの創成期の熱気を肌で感じ、古き良き時代への楽しい回想にしばし身を浸すことだろう」なんて書いているんですけど、スミマセン、自分はこの藝風に「愛ゆえの毒舌」を感じることが出来ませんでした。まあ、あくまで相性の問題だと思いますよ。
それでも「鋭い的確な批評」に關してはその通りで、こんな毒舌の中に時折はっとするような指摘があったりするから油断出來ません。「恐怖の視覚」というタイトルで怪奇小説を論じた文章の中に「科学とはひとつの相対性であり、時代意識に過ぎぬからだ。永遠の典型なミューズとはなりえないものだ。ちょうど宗教がそうであるように」といい、「科学的操作(ママ。それともここは捜査ではなく操作で正しいんでしょうか)の介入ということは、恐怖小説的要素に頽嬰性をもたらしたに等しい」とブラックウッドのジョン・サイレンスシリーズを論じるところなどは成る程、と唸らされました。
或いは「推理小説の宿命」というエッセイの中で推理小説の發展性の欠如を論じた個所に於いて推理小説には前衞が出來ないというところなども然り。自分のように作者の貶し藝がちょっと苦手、という人はこの際「To Buy or Not to Buy」はバッサリ省いて、著者の慧眼溢れる前半後半のエッセイだけを讀まれるというのもテでありましょう。
更に後半に収録されている「古本蒐集入門講座」は作者の「機知溢れるおふざけ」が感じられる文章で愉しめました。
ただ、やはり本書の最大のウリは「To Buy or Not to Buy」で炸裂する毒舌貶し藝だと思うんですよねえ。でも、この藝風も當事だから面白かったのではとか思ってしまうのですが如何でしょう。昔は「クダラないもののクダラなさそのものを愉しむ」みたいな讀み方は未だ確立されていなかったと思うんですよ。例えば上に挙げた大藪春彦をメタメタに貶めているところも自分にいわせれば、「御大、だからそこがいいんじゃないですかあ!」とか聲を大にしていってしまいたくなる譯です。
「機知溢れるおふざけ」とはいえ、それはあくまで文章の上で演じられる機知であって、本を讀むという行爲の中でのおふざけではないんですよ。かつて週刊プレイボーイで平山センセがデルモンテ名義で書き散らしていたZ級映畫のビデオ評とか、洋泉社の秘宝系のアプローチとか、自分としては作品をバッサリと貶めるよりはああいう愉しみ方を教えてくれる機知の方が好きだなあ、と思ってしまうのでありました。
毒にも薬にもならないヌルいプロの書評ばかりの中にあって、こういうバッサリ斬るスタイルの批評は當事は相當に新鮮だったに違いありません。ただ現在の書評家評論家の方々はそれぞれに個性的で、彼らの独自のスタイルを築いた文章を自分たち本讀みは堪能出來る譯で。
例えば硬質な文体で作品の内包するポテンシャル以上のものを引き出すことの出來る評論家の最高峰巽氏とか、抽象壯麗な文体が織りなす独自の視点が斬新な千街氏、ロッキングオン系のビートから繰り出される文体と考察がこれまた素晴らしい円堂氏とか、どちらかというと作家の潜在能力や作品の持っている楽しみどころを多彩な技巧で讀者に示してみせるスタイルの方が今風だと思うんですよねえ。まあ、あくまで自分の好みがこういうものだ、というだけなのかもしれませんけど。
あらゆる作品をバッサバッサと切り倒す貶し藝を身につけてオイラも批評家デビューしてみたいッなんていう方には恰好のテキストとなりえる本作、……なんていうとアレなんですけど、後半のエッセイは毒舌よりも機知溢れるおふざけが際だっており、かなり愉しめます。権田御大のいわれている通り、「戦後ミステリの創成期の熱気を肌で感じ」るには資料的価値も高く、ミステリマニアでしたらやはりまずは一讀の必要あり、でしょう。