小市民右往左往。
前回取り上げた「本格ミステリ〈06〉2006年本格短編ベスト・セレクション」に収録されていたショートショート「最後のメッセージ」が氣にいったゆえ、この作家の處女作である本作をゲットしてみたのですが、これは素晴らしい。セコい小市民が事件に巻きこまれて右往左往する樣をブラックな味わいで纏めた好短編が勢揃い。
いずれも小市民が妙な事件に巻きこまれて最後には御約束の黒い結末を迎えるという物語なのですが、そんな中にクススクス笑えるユーモアを絶妙な匙加減で加えて、そこにミステリの仕掛けを凝らした技巧が素晴らしく、讀み心地は軽い乍ら本格の濃度はかなりのものという、何とも美味しい作品集。
いずれも好編ばかりなのですが、ミステリの仕掛けとテクニックという點では冒頭を飾る「大松鮨の奇妙な客」がピカ一ですかねえ。恋人の友達がどうやら浮気しているらしいという相談を受けた男が探偵気どりでその男を尾行するのだがしかし、……という話。
尾行した男が壽司屋に入るなり鮨と茶碗蒸しを丼にブチまけてグチャグチャにするという荒技を披露、男は店から追い出されるのだが、その場に居合わせていた探偵志願の男はやがてこの裏に事件のにおいを嗅ぎつけ、トンデモな推理を巡らせつつ行き着いた眞相とは、……と中盤までの展開が最後に一転、ここでは何の罪もない小市民である探偵男が奈落の底に突き落とされるという何ともな結末がいい。
「私はこうしてデビューした」はネットで小説を発表していた人物が熱烈な言葉で綴られたメールを受け取り、そのファンと合作をすることになるのだが、……という話。このファンがズレまくっていて、いくらマトモな言葉を返しても、こちらの想像の斜め上を行く返信を送りつけてくるという眞正ぶりが凄まじい。
合作といっても、このファンの方はアイディアを絞りだして、それをこちらで小説に仕上げるという分担作業なのですが、このファンのキ印が送りつけてくるアイディアというのが奇天烈というかズレまくっているというか、かなりアレな代物でして、例えば「自分の指を体内に撃ち込まれて死んでいた射殺死体」とか「ギリシア神殿の中央で発見された裸の溺死体」とロクでもないものばかり。
まあ確かに島田御大とかがこのネタで書けばかなり凄いものになりそうなんですけど、素人がキ印と合作しての作品とあれば傑作に仕上げることなど到底無理な話で、メールが送られてきても限りなくスルーしていると、今度は食事をつくりに部屋に行くからと、キ印のファンはここから押し掛け厨へと大變身。果たして……。
ミステリのネタとしては非常にシンプルで古典的なものながら、この押し掛け厨のイタさでグイグイと讀ませつつ、その裏で進んでいる事件から讀者の注意を遠ざける手法が見事。何となくこの古典的なネタをフル活用して最後に鮮やかな逆転を見せるところが連城っぽくないですかねえ。という譯で自分的には完全にツボでしたよ。
「タン・バタン」は小市民サスペンスとでもいうべき出來映えで、本格風味は薄味乍ら、小市民がイヤ男に振り回されるところや、脱力のユーモアがこれまたタマラない逸品です。物語は、雰圍氣のあるバーで飲んでいたら、老人が鞄に入れていた携帯音が突然鳴り出すシーンから始まるのですが、この迷惑老人がまったく話が通じないイヤ男でありまして、こちらが普通の會話をしようとしても言葉の端々を曲解しまくって苛々することこのうえない。
で、そんなイヤ男にブチ切れてしまう主人公はシステム開発の会社に勤める小市民で、会社では營業向けの業務システムをどうするかということでセコい社内抗争が勃発、これに絡めて後半に先ほどのイヤ男が再登場、男はトンデモない事件に巻きこまれてしまいます。
自分はまったく惡くないのですけどそこは小市民ですから、俺が犯人にされてしまったらどうしようという小心に突き動かされるように犯罪の隱蔽を行おうと畫策するものの、それが裏目に出まくって、……という話。携帯の着信音が絶妙な皮肉を効かせていて、何ともな幕引きにブラックな味わいを添えているあたり、普通の短編小説としてもうまいなあ、と思いましたよ。
「見えない線」はバーで働く男が主人公で、ここにほろ苦い恋愛を絡めた物語。冒頭、男が殺人を犯そうとする場面から始まるものの、その後の展開は何とも苦い。男は常連客の女性を好きになってしまうのですが、彼女はどうやら妻のある男と不倫をしているらしい。そんな彼女と花粉症をきっかけに話が盛り上がり、彼は醉っぱらった彼女を部屋まで送るのだが、……。
そして「小説推理新人賞」を授賞した作者の處女作「キリング・タイム」は、休み中に偶然町中で出會ったイヤ課長と飲むことになって、……という話。酒を飲みながらこのイヤ課長は、自分は誰かに命を狙われているようだという。そこで主人公はこのイヤ課長から、自分は部下にも嫌われているんじゃないかとか相談を受けるんですけど、皆が皆この上司を樣々な理由で嫌っているときたから返答に困ってしまう。やがてイヤ課長は自分の部下の一人が妻と不倫しているんじゃないかとかの妄想をブチまけるのですが、主人公はそこに事件の影を見て、……という話。
そのほか「最後のメッセージ」を含めたショートショートが数編詳録されているのですが、これらもなかなかの出來映えです。ミステリとしては「最後のメッセージ」が頭一つ抜けていますが、不倫をしている男を描いた「においます?」など、眞相を明かさずに讀者の想像に委ねる結末が非常に洒落ている。
さりげない會話の綾から事件が浮かび上がってくるというこの展開もどことなく連城の風格を髣髴とさせるんですけど、作風はあくまでブラックとユーモアを絡めた軽いノリ。それでいて本格魂がドップリと注入されているあたりが素晴らしいですねえ。
東川氏の全編これ脱力のギャグをまき散らして進行する作風に比較すれば、ユーモアも軽めです。東川氏の場合、脱力ギャグが仕掛けを隠す為の技巧のひとつな譯ですが、本作の場合、ユーモアはあくまで物語を小気味よく転がしていくための小道具で、このあたりが絶妙な軽さとなって最後のドンデン返しを引き立てています。
平易な文体と、小市民のアタフタするさまをブラックな笑いで短編に仕上げてしまうあたり、小説としても巧みで、本格マニアのみならず普通の本讀みも十二分に愉しめる作品集といえるのではないでしょうか。濃厚な本格風味を黒い笑いで包み込んだこの風格は短編でこそ活きると思うんですけど、その一方でこの作者が長編を仕上げたらどんなふうになるんだろうという期待もしてしまいます。まったくのノーマークでしたけど、個人的にはこういう話は大好きなので、新作は大いに期待したいと思いますよ。おすすめ。