キ印の独白と思わせておいて実は。
台湾でのミステリ小説賞といえば、まず第一に既晴氏が絡んでいる人狼城推理文學奨でありまして、このたび第一回からの受賞作が明日工作室から文庫サイズで一氣にリリースされました。このブログでも紹介したことのある冷言氏や林斯諺氏の作品もその中に含まれているというから台湾ミステリのファンにはもうマスト。個人的には冷言氏の「空屋」と林斯諺氏の「霧影莊殺人事件」が讀めるのが嬉しいですねえ。
で、「台湾ミステリを知る」第十一回となる今回は、その明日便利書の中の一册、今年の第四回人狼城文学奨に入選した寵物先生の「名為殺意的觀察報告」を取り上げてみたいと思います。まあ、今回の大賞を受賞した岡田准一系の超絶ハンサムボーイ張博鈞の「火之闇之謎之闇之火」はまた今度と、ということで。
さて、作者である寵物先生の授賞の言葉によれば、本作は作者が初めてものにしたミステリとのこと、しかし処女作とはいえ、その狡猾な仕掛けはなかなかのもので、自分は見事に騙されてしまいましたよ。
物語は、「あいつを殺せ!そうしないとお前がやられちまうぞ!」という電波を受信したキ印男が憎き彼奴を自殺に見せかけて殺すべく周到な計畫をたて、それを実行に移していくまでを倒叙ミステリの定法で描いていきます。
しかし何しろこの語り手の私というのは、「殺せ!やっちまえ!」という「惡魔の聲」を聞いてしまうようなキ印ですから、その独白も信用出来ません。この私は外資系の会社に勤めていて、社内ではお互いにマークだのリンダだのと英語名で呼び合っていたりするんですけど、そこへ自分の同じ名字を持った男が会社に配属されてくる。
で、この男と私は同じ大學出身で、ネクラの私は當事この彼奴に散々小莫迦にされていたというから恨みは深い。さらに彼奴は私の友達から勉強の成果からすべてを奪い取っていった悪辣な輩で、……っていう私の独白が續きます。正直それって逆恨みでは、とツッコミを入れたくなってしまうんですけどそんな讀者の思惑とは裏腹に、私は警察マニアの男から毒入りの缶珈琲を譲り受けたり、ビル管理の作業員から認証器械の盲點を聞き出したり、ビルの見取り圖をゲットしたりと、殺人計画の立案に餘念がありません。
で、そろそろ本氣出してあいつを殺すか、なんて氣合いを入れようとしたところへ、男の米国出張の話が出てきたから大變ですよ。いつもはダラダラと報告するだけの会議の席上で男の出張の話が突然出てきたから、これはもう直ぐにでも殺すしかないッと決めた男は自宅にとって返して準備を終えると、ゲットした拳銃を使って男を密室となった会社のビルの中で銃殺し、自分はマンマと認証カードのセキュリティをついたトリックでビルを拔け出す方法を実行に移します。
果たして男に相まみえた私は、大學時代に自分が散々小莫迦にされていたことをネチネチと語りながら男を指弾するのですけど、男の方はすっとぼけたようすで「おまえがアマリにモジモジとだらしないんで俺がお前の持っているものをいただいたんだよ」なんていいだしたから穩やかじゃない。激昂した私はポケットから拳銃を取り出すと、ビビリまくった男に銃彈をぶちこみ、硝煙反応を擬装するトリックを勞したあと、でっちあげた遺書をパソコンに入れる為にとフロッピーを取りだしたところで大問題が発生。
何と男が使っていたパソコンにはフロッピードライブがなかった!……って下調べくらいしておきなさいよ、それに今更フロッピーというのは古過ぎやしませんか麻生大臣じゃないんだから、なんて讀者がツッコミを入れる暇もなく男は頭をフル回転させてその場を繕うのだが、……という話。
周到な計画が予想もしない事態によってトンデモないことになる、という倒叙形式で話を進めながら、この後にまったく考えもしていなかった事實が明かされます。というか、まさかこういう仕掛けを使ってくるとは考えてもいなかったので自分は見事に騙されてしまいましたよ。キ印の語り手の、いかにもネクラな独白で後半まで引っ張っていくものですから、このままフロッピーの失敗をきっかけに犯行が暴かれるんじゃああまりに普通だなあ、なんて考えていたら見事に背負い投げを喰らわされます。
倒叙式とはいえ、この語り手の独白がやや冗長に過ぎ、また会社の中で自殺に擬装して殺すというのも些か無理があるような氣がするんですけども、ここに開陳されたオフィスの見取り圖も含めてこのくどいと思われる前半部分に意地惡な仕掛けが凝らされているから油断がなりません。また見事に完全犯罪を爲し遂げたと思わせておいてその実、前半にチラっと出ていたアイテムを活かして惡魔主義的な幕引きを迎えるあたりも痛快。
何となくこの最後に見事な反転を見せる眞相は、初期の連城作品(特に「夜よ鼠たちのために」の収録作)を髣髴とさせますねえ。前回紹介した既晴氏の「獻給愛情的犯罪」も倒叙の形式をかりながらそれが中盤を過ぎたところから徐々に逸脱を見せていく構成が光る傑作でありましたが、もしかして作者の寵物先生氏も連城を讀んでいたりするんでしょうかねえ。
ミステリの形式としては倒叙ものを採用しつつ、建物の構造に着目した例の仕掛けを絡めながらアレ系のトリックを用いたところはなかなか見事。倒叙ものをうまく用いて讀者を欺く手法にはまだまだ大きな可能性があることを示した佳作でしょう。個人的にはこういう作風は大好きなので、本作はかなりツボでした。という譯で、次作も期待したいと思いますよ。