自分が本を購入する上でも參考にさせて頂いているdeltaseaさんが「新本格ミステリにおける世代的分類(仮)」として新本格の世代分類を試みています。
このなかでdeltaseaさんがまず「綾辻ありき」と指摘されたのは當にその通りで、彼が講談社ノベルズでデビューした時期を起點にして現在のムーブメントを追いかけてみるというのは、新本格ミステリをこれから讀もうとしている人たちにとっては非常にわかりやすいと思うのですね。
で、自分はこの分類に補足するかたちで、deltaseaさんがゼロ世代とされた人たちについて自分のミステリ体驗をもとにしてひとつ書いてやろうかな、と思った次第です。
「第1世代を育んだ作家群。島田、竹本、笠井、都筑氏ら」
と大きくゼロ世代として括られたこれらの作家群なのですけど、これが自分のなかでは以下のように大きく三つに分かれているのですね。
1.乱歩、正史世代(新青年、宝石世代)
2.鮎川、都筑とか
3.幻影城出身作家(泡坂、連城、竹本)プラス島田、笠井
島崎博に言及したときにちょっと書きましたけど、幻影城世代というのはやはり綾辻行人から始まった新本格ブームの先魁になっていたように思うのですね。さらにいってしまえばこれがなければ後の新本格ムーブメントもなかったのではないかと考えてもいいくらいで、當時は社会派ミステリが大流行していたころで、そこにかつての探偵小説のごとき謎、幻想、論理を驅使したミステリをひっさげて現れた作家たち。それはインパクトがあったことでしょう。
幻影城の発刊が昭和五十年、そして島田荘司が「占星術殺人事件」でデビューしたのが昭和五十六年、笠井潔の「バイバイ、エンジェル」でのデビューが昭和五十四年。ね、昭和五十年代ということでひとつの世代として括ることが出來ると思いませんか?
そして綾辻行人のデビューが昭和六十二年。
幻影城の発刊からおよそ十年の歳月を経たのち、新本格ムーブメントが始まったのです。
ここであえて西暦ではなく、昭和という元号で振り返ってみたのは、昭和で見た方が新本格と幻影城世代の区切がはっきりと見えてくるからです。
例えば西暦で書くと、綾辻のデビューは1987年、そして島田荘司のデビューは1981年。これだと同じ80年代というふうに見えてしまうけども、昭和で区切ると、五十年代、六十年代ということで線引きが出來るような氣がするでしょう?
ちょっとゼロ世代にこだわってみたのは、自分がこのゼロ世代の作家からミステリに入っていったからでして。
自分の讀書遍歴を振りかえってみると、中学時代に半村良、西村寿行、筒井康隆、小松左京、星新一などといった作家にハマり(それにしても中学で寿行はヤバいでしょ!)、それとほぼ同時に角川が仕掛けた横溝正史ブームみたいなものがあって、乱歩、正史と遡って、そのあと當時角川文庫で出ていた鮎川哲也などを讀んで、……というようなかんじですかね。
幻影城は讀んだことがないのですけど、連城、泡坂といった作家は單行本か文庫で讀んでいた記憶があります。「虚無」「失楽」は講談社文庫で讀みました。……てなことがあって、綾辻行人を本屋で見かけた時はすぐに買ったクチ。だからタイムリーに讀み始めた、といえるのは本當に綾辻から、ということになります。そのあとは創元推理から折原、有栖川といった面々が出て來たのですけど、それも單行本で讀んでいましたねえ。
……んで、この新本格ムーブメントから脱落してしまったキッカケは、例の流水小説、いや大説か。あれから「こりゃあもう自分みたいなオッサンはツイていけないや」と講談社ノベルズはきっぱりと讀むのをやめてしまいました。流水と同時代、あとは後発の作家群のなかでは麻耶、乙一はリリースされればだいたいは購入しているのですけど、そのほかはその時々によって、というかんじ。
ミステリの原体驗は人それぞれ。このブログを讀まれている皆さんは自分よりも絶對的に若い世代の方が多いと思うのですけど、皆さんがミステリに開眼したのって、何がきっかけだったんでしょう。まあ、新本格の原點を知る為に、ゼロ世代まで遡ってミステリの軌跡を追いかけてみたいという方にとって少しでも參考になれば。