最近「ゴンザの園」さんが乾くるみの「イニシエーションラブ」を讀み解く為の詳細なガイド(攻略本ならぬ攻略文?)を作成されまして。もうそれに目を通すなり、その素晴らしさに壓倒されてしまいました。で、同じ乾くるみ関連で何か取り上げようかなと考えていたのですけど、つい最近「ノルンの永い夢」について書いたことだし、ここは「リピート」のタイムトラベル、「ノルン」のパラレルワールドの二つをキーワードにして、今日は佐藤正午の「Y」について書いてみようと思います(本當は高畑京一郎の「タイム・リープ」にしようかなとも考えたんですけど、それはまた今度)。
「リピート」が出た際には結構比較対象とされた本作ですけども、意識というか魂だけが過去に遡ってしまうという設定は確かに同じ。ただ大きな違いがあるとすれば、「リピート」の場合は、時間を遡る(というか遡ろうとする)人間が主人公で、本作の方は時間を遡る人間に取り殘されてしまった人たちの物語なのですね。
北川建と名乘る謎の人物、彼と學生時代には親友だったという私、そして二人の妻の四人(精確にいうともう一人、女性が加わる)が織りなす運命的な恋愛物語は、主人公が何度もトリュフォーの映畫について言及したり、雨粒に濡れた窓の景色などを執拗に描写することによって、何処かせつない雰圍氣を漂わせています。
謎の男北川は物語の最後にちょっとだけ現れるですけど、小説のなかには「私」の独白の章とともに彼が「私」のためにしたためたという物語が挿入されていている為、物語が終盤に近づくころには、彼の存在は「私」のみならず讀者のなかでも大きな位置を占めているようになっています。そして後半、「私」と北川との鮮烈な出會いが終わり、物語は謎の回収を行い始めるのですが、そこで先に述べたもう一人の女性の存在があきらかになります。このあたりはそうじゃないかな、と考えていたのですけど、期待通りというかんじで良かったです。
北川が過去へと旅立っていたことによって、殘されていった皆がそれぞれまた新しい人生を歩み始めるというラストなのですが、この讀後感は素晴らしいですね。ある意味お約束といえばその通りなんですけど、このような恋愛物語は妙なヒネリを加えないで、正攻法で書かれるべきでしょう。そう、このお話はSFやミステリであるよりもまず眞っ當な恋愛物語なのです。
ハッピーエンドなのだけども、何処か寂しい気持が殘る読後感、……これって何となく半村良の「産霊山秘録」とか「岬一郎の抵抗」とかに似ていると感じていたのですけど、この二作と本作って、いずれも「特殊な能力を持つ者が最後には旅だっていき、自分たちは取り残される」というラストなんですよねえ(この點で「岬一郎の抵抗」は登場人物の一人が発する最後の一言が痛烈に心に響きます)。自分もこの現実世界に取り残された一人として、この物語の主人公である私にすっかり感情移入してしまっていたのでした。まあ、本作にはそれだけ讀者を惹きつける魅力があるということです。
「リピート」は面白かったけど、ラストは激しく鬱、……というかんじだったので、本作をまだ未讀で「何かさ、乾くるみの「リピート」って評判いいみたいじゃん。ちょっと讀んでみるか」とか考えている方。是非本作をその次に讀む小説として手元においといていただけると、「リピート」を讀み終えた後の憂鬱な気持を吹き飛ばすことが出來ると思います。
タイムトラベル、パラレルワールドものの傑作のひとつとして後世に伝えられるべき傑作。おすすめ。