暫く有栖有栖の小説を読み返してみようと思う。というのも、やはり第四回本格ミステリ大賞の選評が頭を離れないから。
そんなに有栖川有栖って凄いのか?
というのを確かめるのが今回の課題。いいタイミングで「モロッコ水晶」も出たことだし、ここはずっと彼の作品の軌跡を辿り、最後は「モロッコ水晶」でシメる、みたいに出來ればな、と考えています。
さて本來であれば創元推理から出ている「月光ゲーム」などを初めとしたシリーズものから手をつけていくべきかなとも思ったのですけど、今回は彼の作品のなかでも一番ブッ飛んでいる本作を取り上げてみます。
まずタイトルに「幻想」とある通り、内容の方も主人公がマリファナをキメた時の幻覺や海野十三リスペクトの怪奇小説が挿入されていたりと、とにかく素晴らし過ぎる内容です。幻想的なアムステルダムの描写と、在外日本人たちの何とも怪しい交友関係の対比がまた際だっていて、これがまたいい。
前期ピンク・フロイドリスペクトでもある本作では「ウマグマ」や「おせっかい」といったフロイドのアルバムについて言及もされ、「おせっかい」に収録されている「One of these days」はこの作品のモチーフのひとつとなっています。因みに作品のなかで触れられるこの曲をテーマ曲にしていたプロレスラーというのはアブドーラ・ザ・ブッチャーですね。それともうひとつ。恭司とロンとの會話で「One of these days」の話が出た時に、ロンが「君の国は月にでもあるみたいだ」というのですが、この発言も當然、フロイドの「狂気(Dark Side of the Moon)」を意識してのものでしょう。
このように本作では前期フロイドのドラッグ感が重要なモチーフとなっていて、全体の構成も何処か「おせっかい」のなかの大作、「エコーズ」を髣髴とさせます。
「エコーズ」の冒頭、波紋を思わせるピアノのエコーから立ち上るギルモアの幽玄なギターとピアノ、そして纖細なボーカルで歌われる夢幻的な情景、……それらは歌詞の前半で示される水に關するモチーフ(labyrinths of coral caves, green and submarine,……)を介して、本作のなかのアムステルダムの景色に重なってくる。
そして中盤のジャジーなセッションから、風吹き荒び怪鳥の雄叫びもおぞましい地獄の光景は當に主人公がドラッグでトリップしたあの事件の夜を想起させ、後半、ピアノのエコーとともに美しくかき鳴らされるギターに導かれて「Now this is the day,……」という歌聲に回歸していく構成は、何処となく本作と似ているのではないかな、と感じたりもします。考え過ぎか。
ピンク・フロイドのこの作品は「狂気」や「ザ・ウォール」と並ぶ傑作のひとつといわれており、もし本作を讀まれて興味を持った方には一聽をおすすめします。冒頭に挙げた「One of these days」「Echos」だけじゃなく、二曲目の「A pillow of winds」なんて柔らかい太陽の照りつけるアムステルダムの運河で大麻をキメながら聽いたら、本作の主人公の心情も少しは理解出來るんじゃないかなと(嘘)。
本作は終盤の謎解きでも大きな盛り上がりなく淡々と進んでいき、最後は物語の最初に登場した大阪のバラバラ事件に戻るかたちで迷宮めいた円環を閉じて終わります。幻覺描写や怪奇探偵小説風の作中作が物語の謎解きに大きく関わってはこないので雑多な印象を受けてしまうのですけども、全体に漂っている尋常ではない雰圍氣を高めているのには役立っています。文庫版でも薔薇薔薇の文字は律儀に赤文字で印刷されていてちょっと嬉しい。
また登場するアイテムが水瓶座時代、セオドア・ローザクとか、淺田彰「逃走論」、ドゥルーズ、ガタリ、リゾームとこの世代にとっては妙に懐かしいものばかりで、これまた時代を感じさせるなあ、と思いました。
ドラッグをキメた時の描写はよく出來ていると思うのですけど、牧野修の「偏執の芳香」を讀んでしまったいまとなっては、やはり洗練さが足りないなあ、と感じてしまうのもまた事実。牧野修だったら文章の構成を壊したりせずとも、ドラッグの幻覺感や狂気を鮮やかに表現出來てしまう譯で。
ノベルズ版だと本作は有栖川有栖の裏ベストワンとか書かれているのですけど、確かに異樣な気迫が十分に傳わってくる傑作であることは間違いないでしょう。