今朝の読売新聞に、「島田荘司さん ミステリーへの思い「21世紀本格」私が書く」と題して、御大のインタビュー記事が掲載されています。内容の方は、當に月刊島田荘司で盛り上がるここ数個月の刊行本に焦點を當てたものなんですけど、興味深いのは御大が「容疑者Xの献身」について言及しているところでありまして、以下注目すべき個所を太字で記しつつ、簡單に引用しておきますとこんなかんじ。
折しも、東野圭吾『容疑者Xの献身』の評価をめぐり、作家、評論家らが「本格とは何か」の論争を巻き起こしている。島田さんは論争からは距離をおきつつ、
「『X』は小説として面白いし、本格の範疇に入る」と擁護する。しかし、「社会的弱者への視線が、最近の本格から失われているという(笠井潔氏の)の批判にも共感する」と語る。
とりあえず御大のお墨付きまで出てしまったとなると、ここで慌てふためいてしまうのが「困ったちゃん」ですよ。上にもある通り「論争からは距離をお」いてことの成り行きを今まで静観していた御大がこの時期になって「容疑者X」を本格であると發言した眞意はいかに、……なんてゲスの勘ぐりをしてしまうんですけど、果たして「困ったちゃん」の今後の展開はどうなるのか、また次回で最終回を迎える電波文書の内容に御大の發言は影響を及ぼすのか等々、興味はつきないのでありました。
個人的には「困ったちゃん」による、以下のごとき奇天烈ロジックを期待します。
(1)「容疑者Xの献身」は斷じて本格ではない。
(2)そしてこの作品を評価する人間を私は「本格無理解者」と呼ぶことにする。(今ココ)
(3)したがって、この「容疑者Xの献身」を本格であるとする島田御大もまた「本格無理解者」である。
(4)「本格無理解者」が書いた小説が本格である筈がなく、したがって島田御大の「摩天楼の怪人」もまた本格ではありえない。
(5)よって「摩天楼の怪人」を本格であるとして、本格ミステリ大賞に票を投じた者も「すべからく」「本格無理解者」である。
(6)上より「摩天楼の怪人」に一票を投じた私もまた、探偵小説研究会の若造どもと同樣、「本格無理解者」ということになる(ウン?何かがおかしい……)。
(7)よって、「本格無理解者」である私の發言のすべては本格に對する「無理解」から生じたものであって、「容疑者X」を本格ではない、とする私の主張もまた當然否定されるべきである。
(8)以上より、「容疑者Xの献身」は本格である。Q.E.D.
果たして今回の御大からなる「最後の一撃」に「困ったちゃん」がいかなる反應を示すのか、次なる電波文書の發表に超期待、なのでありました。