「困ったちゃん」が放出している電波文の主張そのものに大きな關心はないし、ここでも取り上げるつもりはもうないんですけど、たとえ電波とはいえ、それが他人の仕事に對する罵倒をともなったものであるとすれば話は別、果たして電波文書の中で槍玉に擧げられている蔓葉氏の文章がそんなにヒドいものだったのかどうか、もう一度讀みかえしてみようと本棚から「2006本格ミステリベスト10」を引っ張り出してきた次第です。
「神様ゲーム」といえば、當然あの「よい子は絶對讀んじゃダメ」という衝撃的な結末が見所で、あれを作者の過去作の内容も絡めてどのように讀み解くのか、というところは本作のレビューを行うにあたってまず絶對に外せないところでしょう。
叉、このベスト10にリファレンスブックとしての役割も期待されているのだとすれば、今この作品を手に取ろうとしている讀者に對して、このトンデモなラストを昨今のミステリの傾向に照らし合わせて論じる、というのもアリかもしれません。
で、この二つの點を頭に留めて蔓葉氏の文章を再讀してみたんですけど、……「困ったちゃん」曰く色々と大事な點にマッタク言及していない、というものの、果たしてそうですかねえ。
この文章でまず蔓葉氏は前半部に「神様ゲーム」のあらすじを纏め、その後の文章で作者が昨年度書き上げた「螢」についてもシッカリと名前を挙げるとともに、この作品が「講談社ミステリーランド」のラインナップでもかなりの問題作であることについて説明をくわえています。
以下その部分を引用してみるとこんなかんじ。一應、ポイントとなるところを黒字にしておきます。
昨年度は『螢』という問題作でベストテン入りを果たした麻耶雄嵩だが、今回もそれ以上の問題作を我々に投げかけてきた。新本格の生みの親、宇山日出臣が立ち上げた「講談社ミステリーランド」では、すでに島田荘司『透明人間の納屋』、竹本健治『闇のなかの赤い馬』などお子樣には勧めにくい作品が刊行されている。そのラインナップにこのたび『神様ゲーム』という問題作が加わったのだ。
「児童文学として適当なのか適当でないのか」という件に關してはこの文章にシッカリと書かれているように自分には讀めてしまうんですけどねえ。
で、後半の殘り三分の一ほどを費やして、氏はこの作品も、作者の作品を讀み解く上での鍵ともいえる「神の論理」を巡る物語であることを指摘し、處女作である「翼ある闇」と「冬と夏の奏鳴曲」を取り上げるとともに、本作「神様ゲーム」という問題作の本質を讀み解いていきます。以下やや長くなりますが引用しておくとこんなかんじ。
……麻耶雄嵩は考えてみれば第三の波のなかでも独自の地位を築き上げてきた作家だった。デビュー作『翼ある闇』も、つきつめれば神の論理をめぐる話だった。その後、空前絶後の問題作『夏と冬の奏鳴曲』を発表。刊行当初の賛否両論は鳴りを潜めたものの、未だに最後の真相に戸惑う読者が後を絶たない希有な作品である。……メルカトル鮎。あの作品で彼はこう宣言する。「このメルカトルが云うのだから間違いはない」と。この台詞は鈴木君の「ぼくはすべてを知っているんだよ。」という台詞と呼応する。その台詞を前にして、演繹推理や帰納推理は問題ではなくなる。数々の証拠をもとに真実を推理する必要などないのだ。彼らがいうことは、即事実なのだ。これはメタ的な決定事項なのである。そのことをふまえれば、「犯人は誰か」などというのは自明のことだ。論理的な考察が、必ずしも真実へと通じる道とはなりえないことを暗に示しているのだ。……
真実と虚構が交錯した現代で、「推理すれば真実がわかる」という理想はすでに崩壞している。シニシズムに覆われたこの時代で書かれるべき推理小説とは何か。麻耶雄嵩なりの返答がこの『神様ゲーム』なのだろう。
この文章の中には自分が本作の解説に期待していた「作者の過去作の内容も絡めてどのように讀み解くか」ということ、及び「このトンデモなラストを昨今のミステリの傾向に照らし合わせて論じる」という點も過不足なく述べられていると思うし、作者が讀者に投げかけている問題定義に關してもシッカリと解説がくわえられていると感じるのですが如何でしょう。
まア、「本格であるのか本格でないのか、児童文学として適当なのか適当でないのか等、様々な問題を含み、それこそ本格の尺度の発揮や解釈を、読者や「本格ミステリ・ベスト10」編集者に投げかけている」という點に關して、上に引用した文章が果たして麻耶雄嵩氏の過去作品の紹介の羅列に過ぎないものかどうかは、皆樣自ら判断していただければと。
それにしてもこれはもう、誤讀とかの範疇を完全に超越して、そもそも書かれてある文章を讀んでいない、ですよねえ。
誤讀が「困ったちゃん」の十八番というのは十二分に分かってはいたんですけど、まさか書かれてある文章を讀まないで他人を批判するという「隠し技」まで持っていたとはこの電波文書が公開されるまでは自分も知りませんでした、……って電波を撒き散らすトンデモな方に自分みたいなプチブロガーが批判を加えたとしても、氏の大ファンの方々は蔓葉氏が書かれた文章の原文にも當たらずに、この電波の内容をスッカリ信じてしまって「先生!先生の作品が本格ミステリ大賞にノミネートされなかったっていうのはやっぱり探偵小説研究会とかいう怪しい団体の陰謀だったんですね!これからもこんな怪しい連中の圧力に負けないで、素晴らしい作品を書いてください。期待してますッ!あ、申し遲れました。ボク、邪無です!」なんていうふうに考えてしまうんでしょうかねえ。
それとこの「本格ミステリベスト10」の中にある「ミステリ作家2006年の「新作近況会」」なんですけど、これによると魔王ラビリンスの妨害工作によって中断の憂き目にあった「双面獣事件」は果たして講談社からリリースされるのか、更に氣になるのが、原書房から出る予定となっているサトルシリーズの一作「仮面王の不思議」がどうなるのかですよ。今回の電波文における原書房への痛烈な言葉の數々を讀むにつけ、これはちょっと難しいんじゃないかなア、という氣がするんですけどねえ。
まあ、とはいいつつ自分はもう今後、氏の作品は買わないし讀まないと思います。自分はそれなりに氏の作品に關しては評價もしてきたつもりだし、このブログでも結構積極的に取り上げて紹介もしてきたんですけど、氏の數々の電波的行動が本の賣上げの実績に基づいた政治的力を背景にしているのであれば(違う?)、やはり日本の本格ミステリの未來に絶望しつつそれでもやはり期待せずにはいられない一讀者としては、氏の作品を「買わない、讀まない、人に勧めない」というささやかな行動をもってして自らの意思を示すしかない、と決意した次第です、っていうのはちょっと大袈裟か。
自分みたいなプチブロガーがこんなことをやったとて、タカが知れているとは思うんですけど、個人的にはこの「三ない運動」が日本のミステリを愛する讀者の間に静かな浸透を見せることを期待、……ってやはりこういうことは大御所の方々が聲をあげないとダメですよねえ。