トンデモ電波男とキ印電波女。
かつての「眩暈」の單行本を思わせる透かしの入った半透明ジャケのデザインも美しい御大の新作なんですけど、このジャケ紙のおかげで恐らく料金十円増しくらいにはなっているんじゃないかなア、なんて考えてしまうもののまア、そこはそれ。
ジャケ帶はなく、そのまま透かし紙の方に「御手洗潔、疾走る!」という惹句も勇ましく、表題作では女の子の不思議話に奮起した御手洗が事件を食い止めようと大活躍。しかし、何か今回の御手洗は石岡君のことをちょっと小バカにしすぎじゃないでしょうかねえ。だんだんイヤキャラへと不快な変貌を遂げていく御手洗にちょっと欝、ですよ。
表題作はいきなり江戸っ子ゴーマン刑事の捜査日誌から始まります。何でも元部下の男にボコられた野郎がこれを事件にしたいというので、入院先の病院に出向いたというんですけど、この野郎というのがブクブクに太ったデブ男で、噂によると会社では「オレに頭が高い!馬鹿野郎!」とか怒鳴りつけるわ殴る蹴るといった暴行行爲も日常茶飯事というジャイアニズムを職場で発揮。
で、このデブ野郎をボコった男が後日、異樣な状況下で死体となって見つかったというから、今度はデブ野郎に嫌疑がかかります。殺された男はガムテープでシッカリと目張りした部屋の中でシーツを全身にグルグル巻きに死んでいたというから尋常じゃない。さらに天井からはガムテープをブラ下げてフルフェイスのヘルメットまで被っていたというから訳が分からない。
頑なに否定するデブ男に江戸っ子刑事もブチ切れて馬鹿野郎!と怒鳴りつけるという按排で、この調子では事件が解決する見込みはいっさいなし。
さらにはこの家の隣に住んでいるボケ老人の婆さんは、裏山にUFOが飛来して戦争をやっていたなんて電波語りを始めるわで、事件の樣相がますます混沌としてくる中、この電波婆さんの近所に住んでいるという女の子が石岡御手洗を訪ねてきます。
女の子の話に俄然興味を持った御手洗はこうしちゃアいられないとすぐさま事件現場の極樂寺へと直行、しかし御手洗が推理を働かせているうちに今度は殺された男の戀人が上半身を銀色に塗りたくられるというゴールドフィンガーな死体となって發見される。果たして事件は電波婆さんのいうとおり、宇宙人の仕業なのか、……という話。
宇宙人だの裏山での戦争だのとトンデモなネタを仕込みつつ、江戸っ子刑事のゴーマンぶりや、この單細胞なデカを手玉に取り乍ら唯我獨尊で事件の解決にひた走る御手洗のキャラが素晴らしい。
最近は安楽椅子めいた役回りばかりだった御手洗が動き回る姿は、昔からのファンには嬉しい限りなんですけど、それでも上にも書いたように今回の石岡君イジメはちょっとやりすぎ。確かに石岡君のボケっぷりは相變わらずなんですけど、そこへ「ハロー、君の腦みそは起きているかい?」とまでいってしまうのはアンマリだと思いますよ。
で、事件の真相の方なんですけど、天井にブラ下がっていたガムテープというのが出てきた時に、こりゃあ、ハエ取り紙なんじゃないかなア、って思ったんですけど、まあ、当たらずとも遠からずといったところでしょうか。その一方で銀色の塗料で宇宙人に擬せられた女性の死体の眞相はサッパリ分かりませんでした。
ミステリ的なネタ、そしてゴーマン刑事やボケ婆さんなど脇役もいい味を出していて、安心して愉しむことが出來る佳作。個人的には湘南が舞台ということもあってかなり好きですね、これは。
續く「傘を折る女」は、こちらも表題作と同じあるネタを扱ったものなんですけど、実驗的な構成の巧さが光る作品です。石岡君がラジオで聞いていた妙な話を御手洗が推理してみせるという趣向なんですけど、ドシャ降りの中で傘を折っていたという女の奇矯な行動に對してホームズ的推理を見せる御手洗は、ここに事件の影を見て、……というところで場面は一轉、とあるバスジャック事件の關係者の視點から物語は倒叙の形式で進んでいきます。
このあと、御手洗の推理が覆され、さらにそこから倒叙形式で女の行動を描いてみせることで事件の真相が語られていくという趣向です。御手洗の推理からやや外れたたところで事件当夜の状況が描かれていくという形式が秀逸。御手洗の推理と倒叙で描かれていく事件の歪みが最期にどう繋がっていくのかというところが見所でしょう。
それにしてもこの事件の犯人を見る御大の視線が昔と少し違うような氣がします。もしかしたら犯人が女のせいかもしれないんですけど、何処か突き放しているようでいて、最期には刑事の一言で犯人に同情の余地も残しているところなど、何というか凄く冷めているなア、と感じた次第です。
女が殺人を犯すに到る引き金となったバスジャック事件や、少しだけ描かれるバス運転手の悲慘なところなど、本筋の事件の傍でさりげなく語られる逸話もうまい効果をあげています。このあたりの島田節の冴えはやはり見事だな、と思いました。という譯で、御大のファンでしたら十分に愉しめると思います。おすすめでしょう。
ところでこの本に入っていた折り込みチラシが凄いんですよ。ちょっと引用しておきます。
ミステリー界の天才が毎月放つ超連弾!
まさに「月刊・島田荘司」今年は走ろうと思います。久々の全力疾走をします。
ポー、ドイルの精神への回帰ですね。巨匠ヴァン・ダインの呪縛からの離脱。
家を飛び出し、野や街を走り、行動する物語への復帰です。
言葉少なに語られる片隅の人々の思い。みなが見すごしていた、名もない人々の心の温もり。
ホームズこそが持っていた、それらへの柔らかなまなざし。その男気と勇気。
本格ミステリーの真髄は、実はここにこそあったのだということを、示してみます。
今、心が冷え、自死を前にしつつある人々のために。
本格ミステリーという、このえもいえぬ美しいもののために。
個人的には「巨匠ヴァン・ダインの呪縛からの離脱」っていうところを、「巨匠ヴァン・ダイン、そしてジョン・ディクスン・カーの呪縛からの離脱」にしてもらえれば最高でしたよ。とにかく本格推理っていうのは、館とか古城で陰慘な殺人がジャカスカ起きればいいんだろ、という古典原理主義的な作風はもうウンザリ、……って何たがつい最近もこういう文章を打ち込んでいたような氣がするんですけど、まあいいか。
「行動する物語」といえば、御手洗ものは勿論ですけど、吉敷ファンの自分としてはやはり吉敷ものの新作を期待してしまいますよ。
それとこの折り込みの画期的なところは、講談社の本であり乍ら、講談社、光文社、そして原書房からリリースされる本がズラリと竝んでいるところでありまして、六月リリースの「帝都衞星軌道」から始まり、まさに「月刊・島田荘司」。
今月は光文社から「光る鶴」の文庫が出るんですけど、これは新書で讀了濟だしスルーするかと思っていたら、書き下ろし短篇「電車最中」を加えたシリーズ珠玉集!なんて書いてあるから、御大のファンとしては外す譯にはいきませんよねえ。
そして十月は再び光文社から「犬坊里美の冒険」がカッパ・ノベルズでリリースの予定と、今年の御大は何かが違います。大いに期待、ですよ。