紛い物の美學。
見事に騙されてしまいましたよ。誘拐シーンと法廷シーンという二つの場面を交錯させながら物語を進めていくという趣向はアレ系の作品の王道乍ら、本作の仕掛けはまったく別のところにあるというのが新機軸で、「新趣向の誘拐&法廷ミステリ」というジャケ帶の煽り文句の通りに、憎めない小狡さが何とも素晴らしい作品です。
物語はジョーカーという連續殺人事件の犯人に間違われて逮捕された野郎が、刑事の手によって執拗な取り調べを受けている場面から始まります。どうやら現場に置かれていたトランプというブツだけをもってこの男は犯人に疑われてしまっている樣子なんですけど、刑訴法もそっちのけに押しまくる刑事の言葉に男はやっていないと頑なに主張。
この取り調べの場面から代用監獄の問題なんてものをチラリと描きつつ少しばかり社會派を氣取ってみせるものの、ここは折原ミステリの定石通り、そういうコ難しい社会問題はさらりと流して、この冤罪男の場面はヌルくさいモノローグを交えて法廷シーンへと進みます。
この冤罪男のシーンとともに、息子を誘拐された母親が身代金を手にして誘拐犯に延々と振り回される場面が描かれていくのですけど、この誘拐シーンともう一つの法廷場面の繋がりが判然としないまま物語が進められていくというのはアレ系ミステリの御約束、とにかく讀者としては最後にこの二つの場面がどう結びついていくのかを期待しながら頁を進めていくことになる譯です。
で、法廷シーンにおいて、件の冤罪男は裁判を逆手にとって真犯人を炙り出すと意氣込んでみせるものの、自分をこんなふうに嵌めた真犯人に對する復讐心が勝って探偵氣取りのワンマンショーは完全に空回り。
法廷場面に突入してから被害者の親族と思しき人物たちの独白も交えて物語は進んでいくものの、法廷ミステリでは定番の、弁護士と検察による熾烈な推理合戦が展開されるような流れは皆無、冤罪野郎がやっていないやっていないとゴネまくると、傍聴席の親族が鬱屈した思いでそれを見守るという内的描寫が延々と繰り返されるばかりで、法廷ミステリにつきもののサスペンスは一切なし。
しかしそれでも作者一流の讀みやすさによつてあれよれよというかんじで物語は気持ち良く流れて、最後には誘拐事件に奔走する母親が犯人の指示に従ってとある別莊に入った刹那、作者らしいアレ系の眞相が明かされるという趣向です。
自分はこの仕掛けに何処となく、藤岡真氏の怪作である「あの作品」を思い浮かべてしまったんですけど、それはひとえにこのジャケ帶にもある「新趣向の法廷」ミステリの眞相がアレだったからだと思います。
讀み返してみると確かに冒頭の取り調べの場面で仕事をしている刑事はアレだし、途中から冤罪野郎の仕切りでブチ挙げられる「復讐法廷」に關してもそこにズラリと記された登場人物表を見れば何となく仕掛けを見拔けてもおかしくはないんですけど、まさか定石を外れた法廷場面にこんなトリックが隱されていたとはまさに驚愕、いや脱力でありました。この唖然としてしまう眞相こそ折原ミステリの醍醐味だと思うのですが如何でしょう。
「異人たちの館」など作者の代表作に比較すると、基本軸を法廷シーンと誘拐シーンの二つに絞って極力意味深のモノローグを省いたシンプルな構成が本作の見所で、この大技が見事に決まれば作者のアレ系ミステリでは御約束の小狡い騙しにニヤニヤしてしまうこと請け合いです。明快な構成ゆえに二つの場面が融合した時に明かされる眞相の驚愕度は期待以上、自分は見事にやられてしまったクチなので勿論讀後感は大滿足ですよ。
フェアプレイだの何だのと額に青筋たてながらしかミステリを讀むことが出來ない方は全然受け容れられないのでしょうけど、いかにも気持ち良く騙してくれるか、とワクワクしながらミステリを讀まれている方は本作、大いに愉しむことが出來るのではないでしょうか。
ディテールに目を轉じると、法廷で眞犯人を暴いてやると意氣込むものの、煮えたぎる復讐心にスッカリ頭に血がのぼった冤罪男が空回りする樣子や、復讐復讐、畜生畜生、とキ印っぽい調子でブツブツと獨り言を繰り返すヤスっぽさなど、作者らしい登場人物の造詣も期待通り、全編にわたって紛い物の美學が炸裂した本作は、ジャケットに記された石田黙の「合掌」がさりげなく使用されているところなども含めて、作者の稚気を愉みたい作品といえるでしょう。
[2006/09/24 追記]
藤岡氏が日記にて言及された内容について、「藤岡真氏が「バカミスを定義すれば~折原一 『被告A』を読んで」において本ブログの内容を指摘されている件について」というエントリに纏めておきました。上の文章を讀まれたあと、こちらにも目を通していただければと思います。