虚實の交錯、探偵遊び。斷じてボクら派に非ず。
ジャケ帶の裏に曰く「本書は私の最初の――ひょっとしたら最後かもしれない――非ミステリ・ノンシリーズ短編集」。確かに芦辺センセの描き出すミステリ作品に比較するとその風格はやや異なるものの、虚構と現実が入り亂れて見事な反転を見せる特異な構成や、パスティーシュでありながらも虚實の入れ子構造によって不思議な讀後感をもたらす短篇など、やはり芦辺拓にしか書き得ない個性的な作品がズラリと竝ぶ「幻想ミステリ作集」です。
収録作は、「幻想文学」に投じた「異類五種」をはじめとして、ボンヤリ君が小惡党の犯罪に巻き込まれたことをきっかけに虚構の世界へとダイブする表題作「探偵と怪人のいるホテル」、ミステリ的などんでん返しで惡ノリを極めた怪作「仮面と幻夢の躍る街角」、定番少年探偵もののモチーフに作者らしい寓意を込めた傑作「少年と怪魔の駆ける遊園」、これまた定番怪談ものの構成で怪異と人間のエグさを語り乍ら素敵なオチで締めくくる「黒死病館の蛍」、虚實の交錯という芦辺節に胡蝶の夢を絡めた「F男爵とE博士のための晩餐会」、虚構の側から「あのひと」を描いてみせたこれまた佳作「天幕と銀幕の見える場所」、そして鮎川御大マニアが随喜の涙を流してしまう「伽羅莊事件」など全十編。
一番のお氣に入りは「少年と怪魔の駆ける遊園」で、ロボットを操って惡事をしまくる極悪野郎、怪魔博士の逸話が語られる冒頭から、例によってこの博士が少年攫いの惡を演じるるジュブナイル的展開を見せるのかと思いきや、このプロローグを過ぎると雰圍氣は一變、夢見がちな少年たちの「病」を箱庭療法で矯正する私の語りで物語は進みます。
で、とある少年がつくった箱庭をジッと見つめていると、私はこのジオラマ世界に迷い込んでしまう。やがて少年たちから怪魔博士と勘違いされた私は、……という話なんですけど、ワル博士の「惡事」と語り手である私の所行を重ねたところに或る寓意を込めているところが秀逸。そして私がこの不思議な夢とも幻ともつかない体験を経たあとに、ふとその出來事を回想する場面から再び虚構の世界へと回歸する幕引きもいい。
どんでん返しや変装といったミステリ的な趣向を凝らしまくってトンデモない物語世界を現出させた「仮面と幻夢の躍る街角」も愉しい一編で、宝石のみならず令嬢までも誘拐してみせた悪役殺人喜劇王と名探偵との對決を描くという表向きの展開に、変身願望ありまくりの凡人女が登場する現実世界での逸話を添えた構成が、これまた例によって中盤を過ぎたあたりから虚實を交えての芦辺ワールドへと變轉していきます。
さらに虚構世界におけるボンクラ探偵と花形探偵との丁々發止のやりとりから、殺人喜劇王を交えての惡ノリにも近いどんでん返しも堪りません。そしてこの虚構世界が熔解したあとさらにB級ホラー的ともいえるチープなどんでん返しを見せるところなど、芦辺センセらしいやりすぎ感が極まった怪作。この作品はミステリ好きでも大いに愉しめると思うんですけど、個人的には最後のグロにニヤニヤしてしまいましたよ。
「F男爵とE博士のための晩餐會」は全然ミステリじゃないんですけど、胡蝶の夢というモチーフに、タイトルにはF男爵とある超有名なマッドサイエンティストとE博士ことアインシュタイン博士があるものについて語り合うというお話。訪日したアインシュタイン博士の視點から物語は進むのですが、虚實を交えた定番の構成が三重の入れ子構造であることが判明する幕引きに一捻りを加えた、これまた佳作。
後半はパスティーシュとはひと味違った御大へのリスペクトがビンビンに感じられる作品が竝びます。「天幕と銀幕の見える場所」は道化師からもらった奇妙なチラシに導かれて「あるひと」と一緒にその暗号を解き明かしていくという展開なんですけど、謎解きを終えたあとにこの「あるひと」が語る言葉が非常に印象的。
しかしまあ、はっきりしていることは夢も恐怖も奇跡も、謎も論理も巧緻な犯罪も、探偵も怪人も何もかもが、向こう側の世界にしかいないということだ。僕にできることは、せめてそれらを驅使してこの退屈な現実に対抗してゆくことだが、しょせん彼らと僕とは別世界の存在だからね。
しかしこの「あるひと」のボヤキ節が最後の最後に、「向こう側の世界」の住人の台詞によってひっくり返されるところが素敵。實の世界への回歸から再び虚へと落とし込む幕引きが心地よい余韻を残す好編で、これも好きですねえ。
「屋根裏の乱歩者」はもうタイトルマンマの乱歩が主人公なんですけど、「屋根裏の散歩者」の映画を撮影中にこれまた映画という虚構世界に導かれるようにして、幻想とリアルが交錯する不思議な展開がいい。この作品も「天幕と銀幕の見える場所」と同樣、いつか語られるであろう未來の物語の予兆が不思議な讀後感を殘す作品です。
「伽羅莊事件」は鮎川御大に捧げるオマージュで、鬼貫、丹那コンビから星影、さらには三番館のバーテンまで総出演。この「事件」はあきらかに「呪縛再現」の後にも關わらず、星影と鬼貫が一色触発のような雰圍氣でないのには勿論理由があって、「伽羅莊事件」で發生した「黒いトランク」リスペクトの事件の結末を「あのひと」が推理するという趣向です。
幕の引き方がボクら派に半分片足を突ッ込んでいるところに苦笑してしまうんですけど、ここでも虚實の交錯という芦辺世界のルールがそれを救っているところなど、やはり凡百の(ってそんなにいないか)のボクら派の作品とは違います。これは鮎川御大マニアじゃないとちょっと愉しめない作品ではあるんですけど、ロシア語の暗號解読も含めて御大へのオマージュが炸裂したこれまた怪作でしょう。
そのほか、「紅樓夢」での語りの萌芽が見られる「異類五種」や、そこへユーモア風味も交えた「疫病草紙」など、バラエティに富んだ作品集です。ただ、これがミステリの短編集とあれば何があっても連作フウの趣向を添えないと氣がすまない芦辺氏にしては珍しく、今回そういった仕掛けはいっさいなし。
そのあたりがちょっと物足りないのは事実なんですけど、虚實の交錯という趣向を自らに課したルールとして古典原理主義的な作風とは一線を画し、ボクら派との相違を明確に感じさせるところに要注目、でしょうか。
この虚實の交錯ルールを足枷と見るか、それともいかにもミステリ作家らしい、ルールの中でその極限を見極めようとするストイックな試みと見るかで評價が分かれるかもしれません。勿論自分は後者ですよ。
ただ芦辺ファンには垂涎のマストアイテムながら、ファン以外の人にはちょっと厳しいかなア、という氣もします。ミステリよりも幻想小説とかつての探偵小説ワールドがもっていた風格を愛する奇特な方にお勧めしたいと思います。ただ、厳格な古典原理主義者は御注意のほどを。芦辺氏の希求する虚實の交錯という趣向は思いの外、多くの毒を含んでおりますから。